第百四十四話:【竜の嘲笑】
第百四十四話:【竜の嘲笑】
砕け散った超高密度合金の破片が、スローモーションのように視界を舞う。
サキモリが二十年の戦場と研鑽で積み上げてきた「最強の武器」の論理は、竜の皮膚一枚に届くことなく、無慈悲な物理法則の前に瓦解した。
古龍ニドヘグの眼に、冷ややかな色が宿る。
それは怒りでも賞賛でもない。
ただの羽虫が、分不相応な針を持ち出してきたことに対する、至極淡白な「排除」の意思だった。
――スゥ、と。
竜が僅かに、空気を吸い込む。
それは攻撃ですらない、ただの「溜息」の予備動作に過ぎなかった。
だが、山そのものである巨躯が吸い込む大気は、聖域の気圧を急変させ、周囲に猛烈な乱気流を引き起こす。
それだけで、サキモリの肋骨は悲鳴を上げ、全身の毛穴から警告の血が滲み出す。
(……来る。これは、凌げない)
直感。
思考を介さぬ「死」の予報。
次の瞬間、竜の喉から吐き出されたのは、光輝くブレスですらなく、ただの「呼気」を音速まで加速させた空気の塊だった。
「――ッ!!」
衝突まで、コンマ零数秒。
サキモリは、これまで自分を支えてきたあらゆる「論理」と「演算」を、その瞬間に放棄した。
目を見開き、ただ己の肉体を完全な「無」へと委ねる。
二十年の武人としての極致――極限の「脱力」。
ドォォォォオオンッ!!
大気が爆ぜる。
直撃の瞬間、サキモリは己の重心を消失させた。
衝撃に「抗う」のではなく、衝撃と「一体化」する。
物理的な破壊エネルギーを自身の肉体で受け止めず、すべてを後方へと透過させ、その反動を利用して自ら弾丸のように後方へ「吹き飛ぶ」道を選んだ。
「――ごふ、っ……!」
数百度もの大気の摩擦、衝撃波による圧搾。
サキモリは地べたを数百メートルも転がり、岩を砕き、雪を赤く染め上げながらようやく止まった。
内臓は悲鳴を上げ、視界の半分は暗転している。
だが、彼は生きている。
衝撃を殺し、透過させたことで、即死という結末だけは、神の理の隙間を縫って回避してみせた。
「……は、ぁ……っ、げほっ……!」
ボロボロになり、もはや「勇者」の面影など微塵もない惨めな姿。
それでもサキモリは、震える腕で大地を押し、再び立ち上がった。
血に濡れた顔を上げ、古龍を見据える。
その瞬間、ニドヘグの巨大な眼が、僅かに細められた。
物理的な強度ではなく、その「技術」によって、自らの吐息を生存へと変換してみせた矮小な生物。
竜の深淵のような瞳に、初めて「変化」という名の小さな波紋が広がる。
だが、それも一瞬のことだった。
ニドヘグは、まるで興味を失ったかのように、サキモリからゆっくりと視線を外した。
それは「不合格」を告げる、静かな、そして最も残酷な拒絶。
竜にとって、一〇%の出力で立ち上がることすら奇跡であるサキモリは、もはや「遊び相手」の価値すら失った存在に過ぎなかった。
(第百四十五話へ続く)




