第百三十六話:【零下の進軍】
第百三十六話:【零下の進軍】
精霊の森の緑が途絶えた瞬間、世界は白銀の暴力へと塗り替えられた。
一歩。たった一歩の境界線を越えただけで、気温は数十度も急落し、大気は鋭利な刃物と化した雪礫となって一行を襲う。
「……ッ、これは……ただの嵐ではありませんわ! 魔力そのものが凍りついている……!」
エレンの悲鳴が風の咆哮に掻き消される。
視界は数メートル先すら判別不能なホワイトアウト。立ち止まれば、数秒で体温を奪われ「死」という名の彫像へと変えられるだろう。
「総員、連結を維持してください。これより極地進軍に移行します」
サキモリの声は、この極寒の中でも凍りつくことなく、淡々と、機械的なまでの冷静さを保っていた。
「ルミナ先生、魔力熱量の管理を。私の前方へ熱源を集中させてください。エレンさんは私の筋力出力を三割底上げ(ブースト)。アリサ殿はアイギスを全方位に展開、風圧を完全に殺してください」
サキモリが先頭に立ち、膝まで埋まる雪原に手を突き立てる。
彼はただ雪をかき分けているのではない。
エレンから供給される魔力を腕力へと変換し、積もった雪を猛烈な勢いで掘削。その際、雪と腕の間で生じる莫大な摩擦エネルギーと運動エネルギーを、ルミナの制御によって「熱」へと変換し、自分たちの周囲に滞留させていた。
「雪を掘る」という単純な生存活動を、物理学的な熱交換と出力管理の工程へと作り変える。
二十年の夜戦、極地での隠密行動で培ったサキモリのサバイバル論理が、魔法という非日常を「効率的な生存システム」へと最適化していく。
「一人が止まれば、熱循環が途絶え全員が凍死します。私の足跡だけをなぞってください」
アリサが盾の波動で風を裂き、エレンが魔力を注ぎ込み、ルミナが熱の分布を調整する。
四人が一つの熱力学的な閉鎖系となり、絶望的な白銀の壁を穿ち続けていく。
一歩でも歩調が狂えば崩壊する、極限の連結進軍。
「ハァ……ハァ……サキモリ様、まだ……上がありますの……?」
「ええ。標高が上がるほど、環境変数はより残酷になります」
どれほどの時間が経過したか。
感覚が麻痺し、時間という概念すら吹雪に削り取られた頃。
ようやく一キロほどの距離を走破したところで、先頭を往くサキモリの足が止まった。
「……これは、自然の造形ではありませんね」
サキモリが顔を上げ、手にした魔力灯で前方を照らす。
そこには、雪山ではありえない光景が広がっていた。
眼前にそびえ立つのは、不自然なほど急勾配で、天を突くように高く積み上がった凍てつく雪原の傾斜。
滑らかな鏡面のように凍りついたその「垂直に近い壁」は、登る者を拒絶する巨大な拒絶の意志そのものだった。
(第百三十七話へ続く)




