第百三十三話:【理科(サイエンス)の毒】
第百三十三話:【理科の毒】
「……これで、材料は揃いました」
サキモリの回避は、もはや円舞に近い。
精霊王が繰り出す魔力の触手。その猛攻を「歩法」だけでいなす合間に、彼は指先で壁の鉱石を砕き、床の苔を毟り取っていた。
一般に異世界の「調合」スキルとは、薬草を煎じ、魔力を込めて回復薬を作る聖なる業だ。
だが、サキモリの解釈は違う。彼にとっての調合とは、戦場にある物質を分解し、敵を殺すための「化学反応」を設計する工程に過ぎない。
サキモリは、抽出した塩素と水素を自身の微弱な魔力で繋ぎ合わせ、即座に高濃度の「塩酸」を生成する。
それを精霊王の放つ熱量を利用して最適に気化させ、自分を包み込むような「目に見えないガスの膜」を構築した。
「逃げ惑うのもそこまでだ、人の子よ。我が魔力を直接注ぎ込み、その矮小な魂ごと焼き切ってくれよう!」
精霊王が、勝ち誇ったように笑う。
王はサキモリの回避が限界に達したと判断し、無数の魔力回線をサキモリの体に直接突き立てた。
王の意識が、サキモリの神経系へとダイレクトに接続される。
――その瞬間、王は「絶望」を味わうことになった。
「――!? な、なんだ……これは。我が感覚器官が……溶ける……!?」
魔力の接続は、情報の共有と同義だ。
サキモリの周囲に漂っていた「気化した塩酸」は、魔力の流れに逆流し、精霊王の繊細な魔力知覚器官へと直接吸い込まれていった。
ファンタジーの理で生きる精霊にとって、化学物質という「物理的な毒」に対する免疫など存在しない。
ただの数滴、たったコンマ数ミリグラムの酸。それが、神にも等しい精霊王の広大な神経ネットワークに、未知の「致命的エラー(致命傷)」として拡散していく。
「魔法は万能ではありません。……ただの『現象』である以上、それを阻害する物質は必ず存在する。近代戦においては、常識ですよ」
サキモリは、麻痺して動きを止めた魔力の触手を、冷徹な瞳で見下ろした。
精霊王の巨躯が、内側から生じたシステムダウンによって激しく痙攣する。
偉大なる森の王が、一人の「無力な人間」が仕掛けた理科の毒によって、その場に膝を屈した。
(第百三十四話へ続く)




