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取りあえず、俺たちが宿泊している棟の周囲は、どん亀のボットたちにより警護されていることを確認した。誰かが侵入しようとしたら即座に知らせが入るし、対象を無力化することも可能だという。
山城智音と三人の護衛たちについては、謝花コンシェルジュを通して系列ホテルと交渉し、そこの二階の二部屋を確保することにした。表向き満室となっていても、何かあった時に備えて、ホテルには必ず予備の客室が確保されているものだそうだ。後は条件次第と言うので、俺は正規料金に加え、割増金を払った。
そんな手間を掛ける理由? どん亀の警備だけで十分と思うかも知れないが、セキュリティというものは目に見える部分も大事だ。護衛がいることを相手に示すだけで、リスクを大きく減じることができる。俺が人型のボットをリクエストし、第二案として徴兵した人材の強化を選択したのもそのためだ。
どん亀は二隻目の貨物船を建造中であった。現在の一隻体制だと、金星と地球の位置関係によって十二日から三週間の間隔が、往復の行程と積み卸し及び船体のメンテナンスを含めて必要になる。
金星工場の生産能力は今の何倍もあるので、輸送能力を増やそうというのだ。
距離・時間的に言えば月の裏側の方が近いのだが、生産に必要な原料や貨物船の加速・減速に必要な反動物質を、地球の重力井戸の底から運び上げなければならない。また月を観測している人間は意外に多く、発見される可能性も無視できなかった。
二隻目が就航すれば、製品の提供間隔は六日から二週間ほどの間隔にできるだろう。現在は供給不足で、こちらの付け値に割増金が付いている状態だが、それは本意ではない。多くの製品を流通させることで、地球の経済がどん亀の供給する物に依存するようになることが望ましいのだ。
そうなれば供給を調節することで、世界全体に影響力を及ぼすことができる。軍事力を直接行使しないでも、世界を支配できるというわけだ。
ただそうなると人類世界の側は、一方的に債務超過に陥る可能性がある。どん亀の生産する物をどんどん買うばかりで、人類の側には何も売る物が無い。ただただ貨幣という形の富が、どん亀に集まるだけになってしまうのだ。
こういう富(?)の滞留は、人間の身体で言うと血の循環が滞るのと一緒で、危険な結果をもたらすことになりかねない。そのことを俺は、どん亀に話した。
「ぴらみっどデモ建造シテクダサイ」というのが、どん亀の応えだった。
「あ?」ってしか、俺は反応できなかった。俺が現人神になるの?
「前ニ言ッテイタ『軌道えれべーたー』デスヨ。無論ソノ他ノ贅沢デモ構イマセン。ドンドン無駄遣イシテ、財貨ヲ消費シテクダサイ」
なるほど、現代のピラミッドは軌道エレベーターになるのか。どん亀が月に工場を建設しなかった理由は、これもあるのだろう。軌道エレベーターが完成すれば、月ヘは今よりもっと容易に行けるようになる。
軌道エレベーターの建設には膨大な資金と国家間の利益調整が必要だ。その係留部は、赤道上にある海のどこかというのが無難な所だろう。だが、これに茶々を入れようとする大国は当然出てくる。そこで俺は気付いた。
「おい、俺に何てことをさせようと言うんだ、どん亀! 命が幾つあっても足りないじゃないか」
どう考えても俺の命を狙おうとする組織や国家が出てくるに違いない。単に利権がどうのこうのじゃあない。ヘタをすると、いくつかの国家の存続にも関わりかねない事業だ。いや、人類全体の運命を左右する結果をもたらすだろう。イデオロギーとか環境問題とかも絡んでくる。
俺はだな、どん亀のチートに寄生して大金持ちに成り、ひっそりと贅沢を楽しみながら年老いていくのが望みなんだ。派手なプロジェクトを打ち上げて、世界中の注目の的になるなんて、まっぴらご免だ。
「大丈夫。身辺警護ハ万全デス」
スマホから聞こえるそのどん亀の声を、何故か今までのようには信用し切れない俺がいた。俺は一体、お前の何なんだ? ひょっとして、生け贄の羊なのか?
相変わらず晴れた日が続いている沖縄地方は、一月なのに夏日が続いていた。ただし夜になると北風が吹き、十五度以下の気温となる。寒暖差が十度もあると、体調を崩しがちであった。
鈴佳はホテルのショップで買い込んだお土産を、宅配便で送り出していた。誰に送るの? あ、友達いるのか。
自慢じゃないが、俺にはいないよ。だからお土産なんか……自分に何か買うか?
鈴佳は母親の入院と病死以降に途絶えてしまった友人との連絡を、再開したそうだ。俺との口喧嘩で、ここでは話す相手がいなかったというのが切っ掛けだという。リゾートの中で、男漁りをするほど擦れてはいなかったらしい。
スマホで話してるのを聞いたら、リゾートでの贅沢を自慢しているようだったので、「あんまり個人情報を垂れ流すなよ」と注意した。素直に「分かった」と言っていたが、S N Sとかどん亀にチェックさせよう。
どん亀が俺に押しつけようとしている生き方を考えると、万が一の場合は鈴佳を切り捨てなければならないが、俺にはそれができる自信が無い。
いや生き方どころか、俺が自分で求めて手に入れつつある巨万の富だけでも、俺は押し潰されつつある気がする。まず間違いなく、一年以内に億から兆の単位になるだろう。
そうなったら何でも買えるが、自由だけは無理、ということになりそうだ。
そういう俺の隣に、お前は居たいと思うのか、鈴佳?
俺と一緒に居たら、多分お前の友達は友達じゃあなくなるだろう。
俺は手で触れた物が何でも黄金に化してしまうマイダス王の気持ちになった。多分彼は、貧乏な羊飼いを羨んだことだろう。俺には分かる。
鈴佳のためには別れるべきだな。一生生活に困らない財産を持たせてやれば良い。こいつは修羅場に耐えられるような強い女じゃあない。家でも最初、自分の部屋で泣いていたじゃないか。どん亀がモニターしてたから、俺も知ってる。
ただなぁ、そうすると俺はひとりぼっちになっちまうんだよ。前は平気だったが、今は……。こいつが押し掛けて来てから、何やかやと賑やかだったからなあ。
俺はコンシェルジュの謝花桃花のことを思い浮かべた。
「ああいう、強い女だったら、どんな運命も乗り越えて行けるのかなあ?」
「誰ノコトデスカ?」
おおっと、どん亀、俺のことモニターしてたのか!