◆73◆
智音から出された当然の疑問を、俺は曖昧に受け流した。
マリン・トラフィックというのは、「全世界の船舶の動船状況」を簡単に取得できるインターネット・サービスだ。ほぼリアルタイムで、船の位置、航路などの情報を提供している。
ただしそれは、各船が搭載している「船舶自動識別装置」の自己申告に依存しているので、船舶がAISトランスポンダを装備していなかったり、正しく動作していない場合(船が外洋にいて、送信電力が弱いクラスBのトランスポンダしか装備していないとかも)は、表示されない。
船名が分かっていて、その船が正直に所在情報を発信していれば、これを利用して居場所を発見するのは簡単だ。ただトライデントの調査部も掴んでいなかった船名を、どうやって短時間で俺が知ったのかは、別の問題である。
「だって二〇〇フィート級のスーパーヨットなんて、年間何隻も日本に来ないだろう。そっちだって船名を探り出すのは時間の問題だったはずだ」
「それはそうですが……」
トライデント調査部の能力を疑問視された形の俺の応えに、智音も追求をあきらめた。
「それよりも、安西は俺を売った代償に何を手に入れるつもりだ?」
「さあ? ただウーラム財閥を甘く見ない方が良いですよ。華僑は裏で、いわゆる黒社会との繋がりもありますから、どんな手段をとってくるか分かりません」
「ここは日本だぞ」
「逆に何をしても、当局が身柄を押さえる前に国外に出られれば、手の打ちようがありません」
「ふーん、どうかな」
もしそんなことになったら、どん亀が容赦するとは思えなかった。
「その自信はどこから来るんですか? まさか……?」
「それはまだ、知らない方がいいんじゃないか」
「ミスターLも、そう言ってましたが……」
「ランドグレンか? ミスターLって?」
「そうです」
「ガードたちは、そんな呼び方してなかったはずだ?」
「外部の人間や、本人の前では言いません」
どうやら俺は「内部の人間」になってしまったようだ。智音はできるだけ早く、日本に残ったガードたち三人を連れ、宮古島に来ると言い通話を切った。
大晦日、年越し蕎麦とお節を、宿泊棟に届けて貰った。
沖縄の年越し蕎麦は暖かいスープの蕎麦粉を使わない麺で、豚バラの三枚肉とネギ・生姜が載せてある。一見すると蕎麦だが、食べるとラーメンに近い気がする。
お節の方は三段重に沖縄風の料理が詰まっていた。昆布と豚肉の炒め煮、田芋でんがく、白身魚の昆布巻き、伊勢エビ風のロブスター、インゲンと魚肉ソーセージの沖縄風天ぷら、パイナップルのハム巻き、等々。骨付き肉、骨付きでない三枚肉、ミミガー、ハム等。豚肉が多い、沖縄風の野菜が多い、白身の魚が多い、かな? 本土と変わらない煮物や卵焼きもあったが。
雑煮は丸餅、鶏肉、人参、椎茸、春菊に鶏の骨出汁と鰹だしを注いだ椀だった。運んできてくれたスタッフによると、雑煮で正月を祝うようになったのは本土復帰後で、今でも白味噌の豚汁や中身汁を選ぶ家庭が少なくないそうだ。
「ご希望があれば、昼にお持ちします。カステラ蒲鉾が入っていて、美味しいですよ」
そう勧められたが、重箱の中味だけで腹一杯になりそうなので断った。鈴佳? 酒があれば満足だってさ。
こいつの酒量を制限するようにしないと、本当にアル中になってしまいそうだ。今のところ禁断症状は出てないようだが、飲み始めると限度がない。健康のことを考えろって!
午後遅くには、橘優奈が上陸した安西と会ったという報告がどん亀から入る。港で盗み聞きしたボットたちの情報をまとめると、光一が残したメモを優奈が持っているようだった。
安西所長はそれに基づき、GNペイントに俺の兄姉との接触を依頼したという。クソッ!
まあ、そっちは未だに俺が引きずっている尻尾だ。だがいくら肉親だとは言え、いざとなったら切り離す。
陽が落ちて暗くなる。テレビを見ながら年越しをした。少し豪華だが、平凡な正月だ。直ぐ側の系列ホテルではカウントダウン・イベントがあるというがパスする。えっ、浜から花火が上がってる?
「綺麗!」と、テラスに出て大輪の花火が広がる夜空を見上げ、鈴佳が涙目で言った。
「うん、良かったな」
「ありがとう」
「何言ってんだ。ここを見つけてくれたのは鈴佳じゃあないか」
「だって、英次さんがいなかったら、あたし……」
「鈴佳、身体を大事にしろよ。お前だけのものじゃないんだから」
「えっ?」
「いや、あのな……飲みすぎんなよ。お前がいないと、俺も困るだろう……」
「そう……困るの?」
丁度その時パッと花開いた花火の光が、俯いた鈴佳の顔を照らし出す。それはクシャクシャっとした、何だか醜い表情であった。
だが俺には、それを嫌な気持ちで見ることができなかった。長く続く暗闇の中で手探った先に、一筋の手がかりを得た子どもの、泣き出す直前のそれに見えたからである。
俺はクズだが、そう悪人ではないつもりだ。




