◆71◆ ☆
死の天使たちのネットワークが、宮古島、池間島、伊良部島、下地島、来間島、大神島の六島とその周辺の海域を覆った。
「死の天使」と呼んだのは冗談でも何でもない。これらの野鳥・昆虫型ボットたちは、情報収集を基本行動としてはいるが、いざとなったら致命的な対人攻撃も可能なのである。
昆虫ボットの平均重量は数グラムだが、軟目標であれば自爆攻撃での殺傷能力を持っていた。また少数ながら、化学物質を散布したり注入したりする機能に特化したタイプも含まれている。
野鳥型ボットの主な機能は、空中からの車両追跡や情報の中継、そして昆虫型ボットの運搬だ。だが燕ボットは翼の先端と嘴に金属も切り裂けるカーボン・チップを装備しており、ハシブトガラス型の足や嘴にも同様な部品が組み込まれていた。
両者の違いは、燕ボットが軽量・速度重視で亜音速まで行けるのに対し、ハシブトガラス型は速度が遅い(時速二百キロ程度)点である。その代わりにハシブトガラス型は多用途・多機能で、運搬能力が燕型より高かった。
どん亀は何かと邪魔になる橘優奈を排除すべきだと提案する。だが俺はあまり気が進まない。だってそうだろう、殺してしまえばやり直しは利かない。それに俺は、どん亀が引き返すことの出来ないところまで俺を追い込もうとしているのではないかと、疑っていた。
橘光一が死ぬ羽目になったのは俺の意思とは関わりないし、手を下したのもランドグレンの部下で、俺には責任が無い。だが、どん亀が何かすることで優奈が命を失うことになれば、他の誰かが知らなくとも、止めなかった俺はその徴を額に受ける。
そう、カインのあれだよ。その時俺は「人類の側に立つ」と、一点の曇りも無く、果たして言えるだろうか?
だが一方、俺が何もするなと指示した場合、優奈が何をやらかし、その結果がどうなるかも、予想がつかない。
本来は先延ばしにするべきでない判断を、俺は下せないでいた。
「乗船許可を求める」
俺は無意識にその言葉を口にした。空っぽになったコンテナは、すでに船内に戻されていた。
「アイ アイ(aye aye)」
承諾を待って、俺は薄緑にボーッと光る傾斜路を昇った。「ヒー・ホー」という号笛が聞こえるようだ。
入ってみるとそこは貨物室で十二角形の壁に沿って、貨物コンテナが固定されていた。後ろで機外への出口が閉まる。
中央に上の操縦室に上がる螺旋階段があって、俺はそこをゆっくりと昇った。
操縦室とは言っても、操船は当然AIが行うので、搭乗者は指示を出すだけである。貨物室の天井高は二・五メートルだが、こちらは少し低くって二メートルしかない。直径一メートルの丸窓が等間隔に六個配置されていて、そこから外の景色が見えた。
俺が操縦室の床に踏み出すと、シューッと微かな音がして螺旋階段が巻き上がり、そこは平らな床になった。窓と窓の間の二箇所に、大型の曲面ディスプレイがある。丸窓からは夜空しか今は見えないが、ディスプレイの方には離れていく海岸が映し出されていた。
ディスプレイを見なければ上昇していることには気付かなかった。慣性制御装置とかいう代物が、働いているんだろう。
そのうち丸窓から市街地や道路を走る車の灯りが見えてきた。機体が傾いているはずだ。でも外を見なければ、全くそんな気がしない。重力も制御しているのか?
「コノ短艇ハ人間ヲ搭乗サセルヨウニ設計シマシタ。運行時ニ物理的負荷ガ掛ラヌヨウ、各種環境装置ガ装備サレテイマス」
いや、逆に何か不自然なんだけど。
「ソノ内、慣レマス。ソンナコトデハ、宇宙ニハ出ラレマセンヨ」
「はーっ、宇宙かあ」
「直グニ、月ヘ向カイマスカ?」
「いや、鈴佳を連れて行ってやりたい。でも、そのためには……お前のことを打ち明けなけりゃならないんだよな……」
意気地無しの俺は、島の上空を廻っただけで元の海岸に戻して貰った。結局島の夜景を、上から眺めただけだ。
優奈を見つけるには、どん亀でも時間が必要だ。昆虫ボット軍団が島中に散り、ホテルや民宿を、虱潰しに調べている。見つけても「まだ」殺すなと、俺は命じた。
それから俺はまた歩いて、宿泊棟に戻る。テラス側は施錠してあるので、カードキーで玄関を開け、中に入った。
鈴佳はまだ眠っている。酒クセー!
俺は半分氷が溶けたワインクーラーから、ペリエの瓶を引っ張り出して口を開け、ゴクゴク飲んだ。それから鈴佳が寝ているのとは別のダブルベッドに行って服を脱ぎ、寝ることにした。この宿泊棟は、ツー・ベッド・スイートなんだよ。
で、寝たら謝花という、あのコンシェルジュの夢を見た。あん、浮気? 夢だよ、夢。俺だって、夢ぐらい見るさ。内容は……教えない。別の言い方をすれば、秘密だ。
次の朝起きたら、鈴佳が俺の寝ていたベッドにいた。どうも夜中に起き出して、こっちに移ってきたらしい。まだ酒臭い! お前、俺のとこにもぐり込む前に、シャワーくらい浴びろよ。
いや、俺も浴びてないんだけどね。
で、俺たち二人は、シャワーを浴びないで、テラスの前のプライベート・プールで、すっぽんぽんで泳いだ。早朝からだから、当然寒かった。いくら温水でも、屋外じゃね。冬だし。
急いでジャグジー・バスに引っ越した。こちらの方が温かい。
人心地がついてから、俺と鈴佳は本島で買ってきたアロハに着替え、カートでホテルのブッフェに朝食を摂りに行った。『ブリュー・アンジェル』て店名が、筆記体のネオン管で入り口に掲げられてあった。
「ニューヨークのキャバレーみたいな名前だな」って俺が言うと、鈴佳が「どこ、それ?」って聞いた。
「お前、月に行ってみたい?」って尋ねる。
鈴佳は「何言ってるの!」って顔してみせる。
そうだよな。こんなこと言われたら。
俺はちょっと上を見上げて、「イン・アザー・ワーズ~♪ 」ってハミングしてみせる。
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ショート・カーゴ(短艇)
『Fly Me to the Moon』の初演は、ニューヨークの「Blue Angel」で1954年だそうです。作詞・作曲のバート・ハワードがつけた当時のタイトルは『In Other Words』。耳バカの野乃は、歌詞の中のこれを"in other world"とばっかり思い込んで、意味も勝手に解釈して聞いておりました。今となっては、何を考えていたのか分かりません。
2020.06.25. 野乃