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◆44◆

 土曜の朝、都心には雨が降っている。


 鈴佳はエステの後、ホテルでメイクの指導を受け、その後君嶋の紹介してくれたトレーナーの所へ行く。立ち居振る舞いや、話し方・聞き方の訓練をしてくれる人間だ。


 君嶋の話だと、外資系に転職した女性が壁を越えるのに必要な助言をしたり、田舎から出てきた女を上流階級に違和感なく溶け込ませるというような、ニッチな仕事で稼いでいる人物だそうだ。


 鈴佳には、どん亀謹製の改造スマホを持たせた。例の『閃光スタン』や『心的通話を利用した追跡装置』などのギミックが満載だ。


 鈴佳がホテルの部屋で、お試しと言ってパシッパシッやり出したので、「眩しいからむこうでやれ! それに外では非常時だけだぞ!」と、バスルームに追い遣った。


 そしたら二秒後に、「キャア!」という悲鳴が上がった。


 鏡の中の自分に向けてパシッとやり、一瞬視力を失ったらしかった。ドアを開け様子を見に行くと、三分ぐらい動けず、仰向けに倒れていた。


「お前、ヘタすりゃ失明するところだぞ!」って脅す。


「だって、頭までクラクラするんだもん。こんな酷いとは思わなかった」


 それは結果だ! 事前に考えろ! でも、レーザー光だし、的になった奴しか分からないかも。駐車場で絡んで来たあいつら、よくあの後追い掛けてこれたなぁ。


 鈴佳は二着のドレスと靴をキャリーケースに入れ、それを引っ張って出かけて行った。


 ついにあいつも、一人で『お出かけ』できるようになったか、俺は嬉しさと一抹の寂しさに、涙し……たりするか! 何が『一人でできるもん』じゃ! と、一人突っ込みを入れそうになったのは秘密だ。誰に? 鈴佳にだよ! あいつだってタクシーくらい乗れるのは前から分かっている。田舎の、俺の家まで来たろ、一人で。


 すずかには十万渡した。「後で領収書提出な!」と釘を刺してある。お手当だと勘違いしないように、よぉおく言い含めた。買い食いなんかすんなよ。


 でもそのうち、鈴佳あいつにもお小遣いというか、自由に使える経費を持たせる必要があるか。通帳作るなら、その前にマイナンバーカードがいる……いや、俺って完全にあいつの『保護者』か? 


 法的には違うよ、そりゃ。でもあいつの『ますたー』だからな。


 そこへどん亀が心的通話で話しかけてきた。俺はスマホを取り出して耳に当てる。ちょっと前から、心的通話でどん亀(あいつ)と話す時はこうすることにしている。でないと万が一誰かに見られたら、誰もいない空間に向かって話す危ない人物になってしまう。


 えっ? 声を出さず、唇も動かすな、だって? いや、どうしたって視線が動いたりして、挙動不審な様子になるんだよ。音を切ったテレビ画面の中の誰かみたいに。


 まあ、今はホテルの部屋の中だから、いいって言やぁいいんだが、何事も習慣づけね。


 今度からスマホを鳴らしてから話しかけるように言っておこう。バイブでもいいが。


 で、どん亀からの通話だ。


「今晩会ウ相手ノ人物査定あならいずハ読了済ミデショウカ?」


「あれを鈴佳に見せるのか?」


「必要ナ留意点ヲ噛ミ砕イテ、教エテオイテクダサイ」


「うーん、無理だろ」


 渡しても読まないと思うし、いくら噛み砕いて話しても右の耳から左の耳へ、するっとスルーだろうな。




 宮村賢治、四十四歳。元は国立産業技術開発研究所カーボン・ナノ・チューブ実用研究センター長を務めていた男である。専門は物理工学で関東の旧帝大を卒業後、官費でハーバード大へ留学した。帰国後は、日本でのカーボン・ナノ素材産業化の先駆者として、従来の合成法を超えるカーボン・ナノ・チューブの合成法を発案、開発を主導している。


 この宮村という男、実績や経歴から見ても、かつては科学技術者としてトップ・エリートであった。しかし科学の進歩は休み無く、二十年前の革新的技術はあっという間に陳腐化する。二十代では周囲から羨望の眼で見られた彼の発想力も年月とともに衰え、やがては後から出てきた若い研究者たちの後塵を拝することになった。


 これは加齢によりどんなに優秀な研究者にも訪れることである。宮村は過去の実績により十分認められ、然るべきポストも与えられていた。彼はそれに満足し、今度は後進の研究者がより良い成果を上げられるよう、指導とサポートに自分の役割を見いだすべきだったのである。


 しかし宮村は、第一線で脚光を浴びた過去の栄光が忘れられず、他人の成果物を横取りしてまで、研究者としての名声にこだわった。その挙げ句、あんざい新素研から出向していたグループを泥棒呼ばわりで誹謗し、彼らと衝突することになる。無論実際にアイデアや実験データを剽窃したのは、宮村の方だったのだが。


  結果は、安西匠の政治力と人心掌握力を甘く見た宮村の敗北であった。官の組織に地位を持つ自分には、民間の一企業であれば頭を垂れるのが当たり前という宮村の驕りが、安西の力を見誤らせたのだろう。何よりも安西は親分気質で、多少の手傷を負おうと、手下を見捨てるような男ではなかった。


 宮村は頼りにしていたその地位を失い、研究者としての立場まで失うこととなる。




 今晩俺が会うことになっているのが、この宮村賢治という男であり、週明けには彼が執筆者として名を連ねた『画期的な研究成果』を仲介する形で、トライデントと交渉しなければならない。もっとも本人は、自分がそんな論文を書いたどころか、関わったことさえ、数日前まで知らなかったんだけどね。


 トライデントの方だって、その『研究』が本当に宮村自身の成果だと信じているかどうかは、怪しいものだ。宮村の過去を調べていないはずはないし、だとしたら彼がどこかから剽窃した可能性を疑わないはずはない。


 あるいはこの案件が、トライデントを的にした大規模な信用詐欺コンゲームである可能性さえあった。


 それにも関わらず、間違いなく月曜の夜、彼らは接触を図って来るだろう。どん亀の用意した『甘い餌』に惹かれて。


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