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◆33◆

 『やってみせ  言って聞かせて  させてみて  誉めてやらねば  人は動かじ』というのは、太平洋戦争時の日本海軍軍人山本五十六の格言だそうだ。


 俺の家から追い出されそうになって、鈴佳はやっと詫びを入れてきた。それで俺は手取り足取り、掃除の仕方を彼女に教えた。箒の持ち方、掃き方、ゴミの塵取り方、捨て方、室内でのはたきの掛け方、棚桟家具等の埃の拭き取り方、電気掃除機の掛け方、廊下の拭き方、ワックスの掛け方、風呂や洗面所等水回りやトイレの清掃法、台所のシンクやコンロの磨き方、等々だ。


 ただし『やってみせ・言って聞かせて・させてみて』まではできたが、俺にはどうしても鈴佳を『誉めて』やることができなかった。


 だって何と言うか、『心が』こもってないんだもの!


 いやまさか俺も、こんな意地悪な姑《しゅうとめ》みたいな心持ちに自分がなるとは、思ってもいなかった。だが、終始不本意な顔を見せながら作業するのを見せられては、俺もあら探しに徹するよりないと、つくづく感じさせられた。


 やっぱりこいつは、『調教』するしかない。


 肝心の所で、心に俺の言葉が届いていないことを、これだけ露骨に示されたらね。それだけ不満なら出て行けよ、と思う。これで俺の方から追い出さないのは、俺も意地になっているからだな。



 数日間、朝食後に付きっきりで掃除の特訓をした。朝食前には犬の散歩と言って、ドーベルマンたちを連れて山に入る。だから俺は、日の出前起床だ。


 山で何をしているかというと、例の『身体強化アプリ』で自分の特訓強化である。家を出る前に、市販の材料からどん亀が調合したドリンクをコップ一杯ほど飲む。戻ってきたら、また飲む。主な材料は乳清《ホエイ》と各種ミネラルだが、出発前と帰着後の調合は異なっているそうだ。


 でもそれだけでは直ぐ腹が減るので、そこから朝食を作り始め、鈴佳と一緒に七時頃食べる。今朝は、鶏胸肉とレンズ豆のトマト煮がメインだ。


 家の畑から収穫したズッキーニを五ミリ幅に半月切り、パプリカと玉葱は五ミリ角に刻む。これらと一口大に切った鶏胸肉を、中火に熱してオリーブオイルをひいた中華鍋に投入し、色が変わるまで炒める。玉葱がしんなり油に馴染むまでだ。


 次にトマトを適当に刻んで潰したのと、顆粒のコンソメ、塩、オリーブオイル、黒コショウ、ローリエを混ぜて作ったソースを鍋に入れる。一煮立ちしたら豆の出番だ。


 前の晩に水に浸して、今朝圧力鍋で下茹でしておいたレンズ豆を中華鍋に加える。弱火で十五分ぐらいかき混ぜながら煮込んだら完成だ。大きな深皿に入れて、別の器に刻んだ生パセリを盛ったものを添えて、テーブルに出す。


 レンズ豆と鶏胸肉とパプリカ、それに調味料と油は買ってきた物だが、あとは自家製の材料を使っている。鶏肉を五百グラムと、ちょっと多めに使っている。豆も多めか。


 だって鈴佳もかなり食うんだもの、仕方ない。まるで何かの敵討ち、食わないと負けだというようなんだ。決して俺に、あいつの胸を育てようとかの意図があるわけではない。基本、肉体労働を強いているから、あいつには食いたいだけ食わせている。


 食い終わったら、テレビを見ながらの食休みの後、畑仕事だ。この時期は収穫や雑草の除去、それから寒くなる時期に向けてのビニールハウス内の世話になる。家は自家消費だけの農家だから、作業内容も高が知れているが、それでも馴れない都会者には重労働である。


 俺にあれこれ指示され、鈴佳はブツブツ文句を言いながら働いている。俺も言いたくは無いが、黙っていたら手が止まってしまうんだもの仕方ない。だいたいこいつが顔を洗って食卓に姿を現したのは、料理ができる頃だぞ。俺より二時間は遅くまで寝ていると思うんだが。


 畑仕事が終わったら、鈴佳のすることは掃除と洗濯だけである。もっとも洗濯機があるので、洗濯の方は干すだけだ。家の裏の薪小屋の前に物干し場があるから、晴れた日はそこで干す。雨が降ったら、裏口から入った土間の天井から電動で降りてくる物干し機を使う。


 物干し機と言っても、ステンレスの細い棒で組み立てられた枠が、天井まで電動で昇降するだけだ。干してから土間にある薪ストーブで薪を十本も燃やせば、直ぐに乾いてしまう。


 鈴佳は「洗濯物が煙り臭くなる」と文句を言うが、上手く焚き付ければストーブから煙は漏れ出さない。外に干す時は「洗濯物が重い」という不平だから、どっちにしろやりたくないだけだ。



「なあ、どん亀。鈴佳《あいつ》に不平を言わせないようにするアプリって、無いのか?」


 ある日俺は、そんな言葉をポロリっともらしてしまった。


「ソレハ、喋ラナクスルトイウコトデスカ?」


「いや、あの性格を何とかできないか? 働いてるのが不幸だって思い込んでるみたいなんだが……」


「ますたー自身ハ、ドウデシタカ?」


「俺?」


 俺は一度は職に就いたけど、その時は働くのが嫌だなんて、思ってもみなかった。毎日決まった時間に起き、朝飯を急いで食べて服装を整え、職場に向かう。与えられた仕事を果たすため、自分でスケジュールを考え、昼飯の時間までタスクをこなす。たいていコンビニで買った弁当か何かを食べて中休み。必要があれば外勤。同僚と多少の会話は交わすが、あまり積極的に人と交わる方ではなかった。超勤もあるが毎日ではない職場で、早く帰れる日は自分で晩飯を作った。洗濯や掃除は週末まとめて。


 あれ? 今の方が働いてる気がする。でも当時も、働くのは当たり前って考えてたはずだ。他にすることも無かったからな。


 たまたま俺は、『上手に』あの仕事をこなすことができなかった。毎日毎日のノルマは果たしたが、それだけだった。もっと上手くやって上司に誉められようとか、出世しようとかも考えたことが無かった。そんな毎日が積み重なって、あの上司《おんな》とのことが切っ掛けで破綻したのは、最後の止めだっただけである。


 周囲から見たら、何であんな愚図なやつが同じ職場にいるんだ、という部類だったのかもと、今なら思う。少なくとも、あそこをより良い職場にしようとか、全体の業績を上げて大きな会社に成長させよう、などという意気込みは無かった。ただ誰かが作ってそこにある会社や職場環境に寄りかかり、生きるための収入や福利厚生を与えられていたのだ。


 ほとんどの人間はそんなものだ。大層な熱意とか志に動かされ、何かを成し遂げる奴なんて、千人に一人、万人に一人だろう。だからまあ、俺自身の中で何かが壊れ仕事を辞めることになったあの時まで、職場には俺を積極的に攻撃して退職に追い込もうとする奴はいなかった。


 ただそう言う俺だったから、あの上司《おんな》に、廃棄しても構わない都合の良い道具として扱われただけである。


「どうって言われてもなあ。働くのが不幸って感じちゃうと、生きるのが辛いんじゃないか?」


「デハ、ますたーハ、アノ女ニ辛イ思イヲサセタクナイノデスネ」


「いや、単にあのブスーッとした顔見てると、イライラしてくるだけだよ」


「顔ダケデスカ?」


「いや、分かったよ! 性格というか生き方かな?」


「自信ガ無イノデスネ」


「そうだな。そんなあやふやなことで、あいつの性格を歪めようとするべきじゃあないな」


「フム、デハ、アノ女ニ従属IDヲ与エマショウ」


「何だそれ?」


「乗員資格ヲ持ッタますたーニ従属スル者ノIDデス。意思疎通ハデキマセンガ、もにたりんぐトでーたノだうんろーどガ可能デス」


「?」



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