◆25◆
今年の春、誠次叔父がかつて一緒になろうと考えていたという女性が亡くなった。その娘の鈴佳と名乗る女が、今日突然タクシーで乗り付けて来て、自分を援助しろと言う。
何の義理も無い相手に金を出す理由が無いと、当然突っぱねた。すると今度は金を貸せと言い出した。どう見ても返すつもりは無いのが見え見えだ。なし崩し的に『貰ったもの』にするつもりだろう。
「身体を担保に」と言い出したが、そんな話何の意味も無い。下手に手を出したら、どこまでもしがみついて来る気だ。俺を『ヘタレ』と見定めて、骨の髄まで搾り取る、そんなところだ。
何しろこいつ一文無しで、帰りのタクシー代どころか、今日泊まる場所さえあてが無いと言うのだ。
「分かった、今晩は泊めてやる。飯も食わしてやろう」
「ホント? やったあ!」
「明日も居るつもりなら覚悟を決めろ。お前は俺の奴隷だ。俺の言うことに絶対服従だ」
びっくりした顔で俺を見た。まさかそんなこと言われるとは思っていなかったんだろう。
「何でも?」と、恐る恐る聞いてきた。
「そうだ。今日はもう暗くなって来ているから、飯を食って、風呂に入ったら、寝ろ」
「あの、それって……」
「心配するな。今晩は何もしやしない。だが今晩一晩考えて、俺の言うことが聞けないと思ったなら、明日の朝出て行け。なあに、三十分も歩けばバスの走る下の県道に着くさ」
「バス代も無いんだけど、貸してくれる?」
「県道に出たら右に曲がってまた歩け。大人だったら三時間ぐらい歩けば、家が何軒も固まっている地域に出る。そこだったら町役場の支所があるから、相談してみろ」
「あの、お金……」
「お前に金を貸す気は一切無い。何故なら信用していないからだ。返す気も無いのに貸してくれなんて言う奴を、どうして信用できる。違うというなら、どうやって返すつもりなのか説明して見せろ」
「あの……今はどうやって返すか言えないけど、必ず返すつもりだから」
「本気で返すつもりなら、俺に言われる前にどうやって返すか考えるはずだ。お前、母親が死んでから今まで何をしていた? 半年もあれば普通、生活の目途くらい立てるだろ」
「ママが死ぬ前、通帳からありったけ下ろしたお金が、今月で無くなったのよ」
「それでよく俺のことを、無職だのニートだのって言えたものだな。だいたい俺は、そのどっちでもない」
「じゃあ、何なのよお!」
「今はネットで、デイトレードで稼いでいる。どれだけ儲けているかは教えるつもりも無いが、少なくとも自分の生活費以上の利益は出しているよ」
「それって仕事なの?」
「会社員とかじゃないけどな。それはもう辞めた。株式とか債券とか、今はFXとかを売り買いしている。個人投資家というやつさ。先物とか差金決済なんかはやってない」
まあ、ほとんど「どん亀大明神」の受け売りだ。実際には、俺は怖くて売り買いの判断などできない。この頃どん亀は、その日の内に手仕舞うのではなく、トレンドラインの予想を立て、短期ではあるが十日程度まで持ち越すスイングトレードを始めた。
サーバールームの壁には、今や十二台のモニターが並んでいる。トリプル・モニターどころかトウェルフ・モニターだな。つまり十二種のチャート・ソフトが同時に動いている。どん亀にはモニターなんぞ必要ないという話だから、これらのモニターは俺のために設置されているのだ。でも十二台なんて俺が目配りできるわけあるか?
そんな俺のために、別の壁に六十五インチの大型モニターが二台あって、そこに『どん亀証券』が独自開発したチャート・ソフトが表示されていた。
家の書斎にある二枚ディスプレイに表示されているのはこれの劣化版だが、結局取引はどん亀に丸投げなのだから、お飾りに過ぎないわけである。
「何か分からないけど、凄そう! あんた、ホントはお金持ち?」
鈴佳が値踏みする眼で俺を視る。もっとも、自己資金で相場を張る専業投機家の、生き残れる割合が数パーセントだということの理由を、本当の意味で理解できる能力が彼女にあるわけではない。
地下のサーバールームに設置されているユニットは、現在二十四台。あの後増設され、ラックはすでに満杯である。そこの四方の壁の天井に近い高さで、四基の直流モーターで廻る扇風機が動き、天井の中央にある送風口から出る冷気がサーバー・ユニットに満遍なく届くよう、風を送り続けていた。
「まあ、後悔しないように自分でよく考えて決めるんだな。ただし、残るとなったら俺は容赦しないから、覚悟しておけ。それから飯が不味いとか言うな。俺と同じ物を食べさせるんだから」
「ハイ、ハイ」
「ハイは一回だ!」
「やっぱりオジンね、オーナーと同じこと言ってる」
「俺は二十八だ! それから残る気なら、言葉遣いも改めろ!」
話している内時間になったので、晩飯を作り始める。二人前だとしても、手間はいつもと変わらない。
洗った馬鈴薯の皮を剥かないでラップし、電子レンジで五分加熱。火傷しないよう布巾で包み、皮を剥いておく。
薄切りにした玉葱と、厚切りベーコンを一センチ幅に切ったのと、キノコをバターで炒め、塩コショウ。そこに粉末の鶏ガラスープの素を入れ、牛乳を加えて一煮立ちさせる。
これとさっきの馬鈴薯を賽の目に切ったものと合わせて、耐熱容器の深皿に盛る。ピザ用チーズを覆うようにかけ、二百二十度に予熱しておいたオーブンに入れて、焼き色が付けば完成だ。
ちなみに電子レンジとガスオーブンは、土間とフロアの境目にあるアイランドキッチンのシンクとコンロの下にビルトインされている。誠次叔父が発注して据え付けさせたものだが、叔父さん、あんた、どんだけ金かけてるんだよと、最初見た時思った。
叔父は思い描いていた『家族との生活』が結果として実現せず、心にできた空洞のようなものを埋めようとして、あれやこれやに金を使っていたのかもしれない。俺にはそう思える。
オーブンの中のグラタンが焼けるまでの間に、テーブルを準備し、冷蔵庫から作り置きしておいたトマトと玉葱のマリネを出す。このトマトは家の畑で作った大玉で、不細工に大きくなり過ぎたやつだが、芯を切り取ってから切り分ければ、元の形など分かりはしない。俺は湯むきなどしないで、皮付きのまま使う。樹成りで真っ赤に熟したトマトは、皮付きの方が美味いんだよ。
十五分ほど焼いたポテトグラタンをオーブンから出すと、畑の隅から摘んできた生のパセリを微塵切りにして振り掛けた。
今日の晩飯は、熱々のベーコンポテトのグラタン、冷やしたトマトと玉葱のマリネ(オリーブオイル、酢、岩塩、黒コショウ)、冷たい紅茶だ。
おい鈴佳、何を冷蔵庫開けて探してるんだ? ワイン? 調理用の紙パック・ワインならあるけど。しかしお前、『未成年飲酒禁止法』の第一条第一項の「満二十歳未満の者の飲酒を禁止する」は、二〇二二年四月一日の民法改正以降も適用されるって、知らないのか?