後編
翌日―――学校へ行くと、みんなが私を見て驚いた。
「香澄! どうしたのっ?!」
仲良しの亜季が、吃驚した顔で聞いてきた。
「あ……うん…イメチェン? ほら…私ってずっと髪長かったじゃない? 飽きたなぁって思ったから……似合わない?」
短くなった髪を摘まみながら、おそるおそる訪ねると、亜季は首を振った。
「全然! スッゴク似合ってる。可愛い! 香澄って髪が短いとイメージ違うね」
「そんなに違う?」
「うん、腰まである黒髪も大人っぽくて似合っていたけど、今の少し明るめの髪色やふわふわのショートが、香澄の大きい目を引き立ててる。可愛いよ、私は今がいい」
「ありがとう」
亜季に言われると、すごく嬉しい。亜季はオシャレには非常に敏感な子だから、そんな彼女から似合うって言われて自信がつく。
「……で? 何があったの?」
「なっ、何が?」
思わず、身構えながら聞き返す。
すると亜季は『ふぅーっ』と溜息を吐いた。
「あのねぇ……香澄、あんなに髪を大事にしていたあんたが、そんな…思い切って短くして来たら、嫌でも何かあった?って勘ぐるよ?」
「何もないよ!ただのイメチェン!」
私は必死に笑顔を浮かべて、亜季にそう答えた。
しばらく私をじっと見ていた彼女は、曖昧な笑顔を浮かべると『そう…だったらいい』と話を終わらせてくれた。
言えないよ……いくら亜季でも。槇野君の事は。
私は心の中で、亜季に『ごめんね』と謝った。
「野々宮……? 何で?」
後ろから声をかけられ、振り向くと呆然とした槇野君と目が合った。
「あ…槇野君、おはよう」
「おはよう……っていうかっ、お前…その髪…」
「あぁ、これ? イメチェンしてみたの?」
そう言って、彼の反応を見ようと顔を上げると---何で? そんなショックを受けた様な顔してるの?
「………」
「あの? 槇野君?」
何も言わない彼に、思わず声をかける。
名前を呼ばれた槇野君は、我に返ると慌てた様に頷いた。
「いっ……いいんじゃない? 今までの野々宮のイメージとは真逆な感じでっ」
焦った様に答えると、槇野君はフイッと顔を逸らせた。
そんな彼の態度に少しだけ傷ついた。
「ははっ…ありがとう」
私は無理に笑うと、彼に背を向けた。涙が浮かんでくるのを瞬きで誤魔化した。
やっぱり……髪を切ったからといって、彼が私を好きになるなんてないよね?
朝の槇野君の態度を思い出し、そっと溜め息を吐いた。
あぁーあ、勢いで告白しようと思ってたけど、止めようかな?
そんな事を考えていると、亜季と涼夏が私の前の席を陣取った。
「香澄ぃ……さぁ、本当の事を言いなさい。何で髪の毛を切ったのかなぁ?」
明らかに面白がってる様な2人に、少しばかりムカついた。
「だから、言ったでしょ! イメチェンだって」
そう言って、席を立とうとした私を涼夏の一言が留まらせた。
「そう? 私はてっきり……誰かさんの気を引くためかと思ったんだけど?」
「誰か……って?」
意味深な笑顔を浮かべる涼夏を見て、背筋に冷や汗が流れ落ちる。
「うん? いいの? 言っちゃって? 誰かさんがこの前『髪の短い子が好き』って言ったから、切ったんじゃな……うぐっ!…」
「り、り、涼夏っ! 言わないでっ」
慌てて彼女の口を両手で塞ぐ。
だ、だって、3つ隣の席にはその『誰かさん』がいるんだよ。やめてよっ、聞こえたら…私は恥ずかし過ぎて、明日から学校に来れない。
「ち、ちょっと! 香澄っ、手っ、手離しなさいよ。涼夏…苦しそうだよ」
亜季に言われて、涼夏を見ると苦しそうな表情で頷いている。
「あ、ごめん!」
手を離すと、涼夏ははぁーっと、深呼吸をした。
「まったく……死ぬかと思ったわ……まぁ、からかった私も悪い。ごめん」
そう言って、涼夏は頭を下げた。
「でも……香澄、どうするの? まさか、髪切っただけで、告白はしないなんて無いわよね?」
亜季がすかさず訊ねてきた。
その言葉に、彼の態度を思いだし俯いた。
「香澄?」
心配そうなその声に思わず本音が漏れた。
「無理だよ……きっと」
「そうかな?」
「涼夏?」
さっきのからかう口調とは違い、真剣な顔で言うと彼の方を見た。
そして視線を私に戻すと、曖昧な笑みを浮かべた。
「私の勘だけど……槇野は香澄の事、好きだと思うんだ」
「ま、まさかっ! 涼夏、からかうのはやめてよ」
涼夏の言葉に、顔が赤くなる。そんな私を見て、亜季も小さく頷いた。
「私もそう思う。槇野……時々香澄の方を見てたし……何故か解らないけど私を恨めしげに睨むんだよ」
「亜季も? 私もっ!気のせいじゃなかったんだぁ」
涼夏が安心したように頷くと、再び私を見た。
「ね? 大丈夫、脈ありだから、頑張ってみたら?」
そんな……簡単に言わないでっ!
黙り込む私に涼夏は更にこう言った。
「それに、香澄の短くなった髪の毛を辛そうに見てる彼に、その理由を教えてあげれば喜ぶんじゃないかなぁ」
その言葉に胸が高鳴る……辛そう? 本当に?
私は今朝、槇野君がショックを受けた様な表情を浮かべていたのを思い出した。
もしかして?
少しだけ、期待してしまっている私がいた。
「……あっ!」
いきなり声を発した私に2人の視線が集まる。
「何っ? どうしたの」
「…やっぱり、槇野君が私を好きって有り得ないよ……だって『ショートヘアの似合う子』が好みなんだよ? 私の短い髪を見て辛そうって……それって似合ってないからなんじゃないかな……」
「いやぁ……それは違うと思うけど……寧ろ逆?」
「は?」
涼夏の言ってる意味が判らない。
首を傾げる私に、涼夏と亜季が苦笑する。
「ま、とにかく……香澄が槇野に理由を教えれば、全て解決! だと思うから、頑張ってごらん」
2人に応援(面白がられて)されて、私はただ頷くしかなかった。
放課後、私は1人で教室にいた。
『槇野君へ
放課後、少しだけ時間をくれませんか?』
そう書いたメモを、昼休みが終わる寸前に勢いで彼に手渡した。
一瞬、驚いた表情で私を見た後、メモに目を通すと再び私を見て小さく頷いてくれた。
それを見た私は、その後の授業なんて全く頭に入らず、放課後の事ばかり考えていたのだった。
30分位経った頃、廊下を走って来る足音が聞こえたかと思うと、教室の扉を開いて槇野君が入って来た。
「ご、ごめんっ! 遅くなって」
「ううん、私こそごめんね?」
槇野君は生徒会の役員もしていて、本当なら放課後は生徒会の仕事をしなければいけない多忙な人なのに。
「で……野々宮、俺に何か用があるんだろ?」
「え? あ、あの……」
さっきまで、頭の中でシュミレーションしていた話の内容がすっかり飛んでしまって、思わず口籠ってしまった、
「野々宮?」
槇野君が首を傾げながら私を見つめている。
「あ、あの…、槇野君に聞いてほしい事があって……」
「何?」
優しく尋ねられて、勇気が湧いた私は勢いよく切り出した。
「わ、私がっ……髪を切った理由を聞いてほしいのっ」
「……っ」
私の言葉に、彼が息を呑むのが判った。
「槇野…君?」
「いいよ、言わないでも……判ってるから。でも、ごめん……俺、力になれない……」
そう言って俯いた槇野君に、胸が痛んだ。
あぁ、やっぱり駄目かぁ……そうだよね?
判っていたけど、拒絶された事が悲しくて---目の前が涙で滲んできた。
「……っ、ご、ごめんねっ……迷惑だよね? いきなりこんな事言われても。うん……忘れて下さい」
涙を堪えながら彼にそう告げると、教室を出ようと身体を反転させた。
「まっ、待って! 野々宮っ」
出て行こうとする私の腕を彼が掴んだ。
「やっ……もう、いいから……ほっといてっ!」
「嫌だ! 泣いてる野々宮をそのまま放っておけない」
槇野君はそう言うと、何故か私の身体をそっと抱きしめて頭を撫でてくれた。
いきなりの事に驚いてしまった私は、彼の腕の中で硬直したままだった。
そんな私に気づかないのか、槇野君は更に話し掛けてきた。
「なぁ、そんなにあいつが好きだったのか? あんなに綺麗な髪を切るくらい……だけど、あいつには彼女がいるんだ。野々宮には悪いけど、あの2人の間に割り込む事は出来ない」
は? 槇野君、何を言ってるの? あいつって?
「あの……槇野君、あいつって誰?」
取り敢えず私は疑問を彼に投げかけた。
「誰って……向坂の事だけど?」
「向坂君? 何でここで向坂君の名前が出るの?」
「はぁ? 野々宮は向坂が好きなんだろ。だから、あいつに彼女がいるって知って髪の毛切ったんだろ?」
槇野君は確認する様に、私の顔を覗き込みながら訊ねてきた。
「私が向坂君を? 何で、有り得ないんですけど」
私の返事に槇野君は驚いた表情を浮かべた。
「え? 野々宮……向坂の事、いつも見てたよな? だから俺はてっきり……」
「私、向坂君を見てた覚えない……」
何でそんな風に思うんだろう?
「だって、いつもお前の視線は向坂の方を向いてたから……」
そう言って、槇野君は顔を逸らせた。
ん? 待って……向坂君の席って槇野君の1つ隣……まさか?
私は微かな期待に胸が高鳴るのを押さえながら、慎重に言葉を選んで答える。
「私が見ていたのは向坂君じゃないよ……私は槇野君を見てたの」
そう告げると、急に恥ずかしくなって俯いた。
「は? 俺……」
凄く驚いている様な槇野君の声---2人の間に沈黙が落ちる。
あぁぁぁ……やっぱり、言わなきゃ良かったよぉ……恥ずかしいっ!
沈黙と羞恥に耐えられず、私は口を開いた。
「ご、ごめんね! 私の言った事忘れてっ」
「……何で?」
「え……」
「嘘だろ? 俺を見てたって」
そう言う彼の顔は、怒った様な悲しそうな何とも言えない表情をしていた。
「嘘じゃないよ」
「じゃぁ……何で、失恋でもないのに髪の毛切ったんだよ!」
「そ、それは……槇野君が『ショートヘアの似合う子』が好きって言ってるの……聞いたから。もしかしたら、髪の毛を切れば私の事、見てくれるかな?って思って……」
引くかな? 引くよね……こちらを見てほしくて髪の毛切るなんて……
「くっ……俺のせいかよ」
「槇野君?」
何故か彼は悔しそうに唇を噛み締めている。
「ごめん、迷惑だよね? うん、忘れて! 髪の毛切った事は槇野君のせいじゃないから……じゃ、帰るね」
私は悲しい気持ちと恥ずかしい気持ちが一緒になって、取り敢えずこの場を早く離れようと教室の入り口まで歩いていく。
「野々宮っ!」
「…えっ、な、何っ…」
気づけば私は再び彼の腕の中に囚われていた。
「ごめんっ……俺っ」
苦し気に謝る槇野君を慰める様に、私は彼の背中をポンポンと叩いた。
「だから、槇野君のせいじゃないから。私が勝手に切ったんだもの。気にしないで」
そう言って離れようとすると、私を抱き締める腕に力が籠る。
「ちょ、ちょっと槇野君っ! 離してっ」
「俺、野々宮が好きだっ! 中学の頃からずっと好きだった!」
「は?」
「最初は野々宮の長い髪に見惚れてた。触れたいって、ずっと思っていて……だけど、だんだん野々宮の笑顔とか話す時の表情とかに惹かれていった。気づいた時には野々宮の事が好きだった」
私を抱き締めながら、槇野君はそう告白した。
「う…そ…だって『ショートヘアの似合う子』が好きだって… だから、私は髪の毛を切る決心をしたのに」
「あれはっ……あいつら、俺の気持ち知っててワザと野々宮の前で言わせようとしたから……つい、逆の事を言ったんだ。だけど、まさか…あんなに綺麗な髪を切るなんて……ごめんっ」
槇野君は短くなった私の髪を優しく撫でてくれた。
「今日……野々宮を見た時、『向坂に失恋したから髪を切った』って思って、そんなに思われている向坂が羨ましくて、憎らしかった。俺なら野々宮を大事にするのにって……まさか、俺の為に切ったなんて思わなかった」
「私が好きなのは槇野君だよ。だから…髪の毛を切るのも平気だった。私を好きになってくれたらいいなって……そう思ってたから」
そう言って、彼の顔を見てにっこりと笑った。
「野々宮……改めて言う。俺と付き合って下さい」
「はい」
お互い見つめあっていたけど、可笑しくなってつい噴き出した。
「あぁ……こんな事なら、俺……もっと早く玉砕覚悟で野々宮に告れば良かった。そしたら、髪の毛切らなくても良かったのに」
悔しそうに呟く彼に、思わず尋ねる。
「もしかして、髪の短い私は嫌?」
「なっ、んな訳無いだろっ! そりゃあ…野々宮のあの長い髪を梳いてみたいって思った事は1度や2度じゃないけど、短い髪も野々宮の可愛い顔に凄く似合ってて、それはそれで……いいなって…」
真っ赤な顔をして槇野君はそう言った。
「あ、ありがとう……私もこの髪型気に入ってるから……」
「うん、凄く可愛い……」
槇野君は私の顔を覗き込みながら言うと、そっと私の唇に口づけた。
「……えっ?」
突然の事に、呆然とする私を抱き締めると、私の髪に顔を埋める。
「ごめん、まだ……付き合おうって言ったばかりだけど、野々宮が可愛すぎて思わずキスしたくなった」
「あ、ううん……吃驚したけど、嬉しい……」
「もう、帰ろうか……野々宮の家まで送るから」
私を抱き締めていた腕を解くと、槇野君は2人分のバッグを持つと私の手を握った。
驚いてその繋がれた手を見ると、彼は躊躇いがちに訊ねた。
「手……繋ぐのは嫌?」
「ううんっ」
思わず握り返すと、安心した様に槇野君は笑ってくれた。
そして槇野君と手を繋ぎながら家までの道程を帰る私は、とても幸せな気分だった。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。