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「離婚するから結婚しよう」と言った恋人が、実は妻帯者でした ~被害者の私は、妻と一緒にやれやれとため息をつく~  作者: 品川太朗


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第1章|「離婚するから、結婚しよう」

「本当に大変なのよ、最近。夜中の三時に起きて、おむつ替えて、また泣き出して……。でもね、寝顔を見ると『ああ、この子のために頑張らなきゃ』って、不思議と力が湧いてくるの」


 彩花が、慈愛に満ちた表情でため息をつく。


 その手元にあるのは、最近SNSで話題の、一点数十万円もする海外ブランドのベビー用品。


「大変」という言葉を免罪符にして、いかに自分が「選ばれた母親」であるかを誇示する。それが彼女の常套手段だ。


「わかるわー。私もね、新居のカーテン選びだけで一週間悩んじゃって。夫が『麻衣がいいと思うものが正解だよ』って言ってくれるんだけど、贅沢しすぎかなって」


 麻衣が、わざとらしく肩をすくめる。


 彼女が住み始めたのは、都心でも指折りの高級タワーマンション。


「夫に甘やかされている幸せ」を、謙遜というオブラートに包んで突きつけてくる。


 (……うるさいな)


 私は、ワイングラスを指先で転がしながら、適当に相槌を打っていた。


 仕事に自信はある。実績も出し、周囲からの信頼も厚い。


 けれど、この場に流れる空気の中では、私のキャリアは単なる「暇つぶしの習い事」くらいの価値しかないように感じられた。


 結婚して、子供を持って、誰かに依存して、誰かに必要とされる。


 それが女性にとっての「正解」なのだろうか。


 かといって、このまま独身を突き進んで、孤独なバリキャリとして人生を終えるのか。


 正解がわからない。


 論理的に最適解を導き出したいのに、人生という不確定要素だらけの数式には、答えが出てこない。


「じゃあ、今日はこの辺にしようか」


 幹事の一声で、同期会はお開きになった。


 その喧騒を離れ、私は夜気に身を浸した。


 胸の奥に溜まったモヤモヤを、深呼吸で追い出す。


 次に向かうのは、恋人の恭介との待ち合わせ場所だ。


 恭介は、私の混乱した心をいつも穏やかに鎮めてくれる人だった。


 誠実で、知的で、私の仕事を心から尊重してくれる。


 彼となら、キャリアも私生活も、うまく両立できるかもしれない。


 静かなレストランで向かい合った恭介は、いつものように優しい微笑みを浮かべていた。


 けれど、切り出した言葉は、いつもより少しだけ真剣なトーンだった。


「澪(みお)、そろそろ結論を出そうか」


 心臓が跳ねた。


 二年前から付き合い、曖昧にしていた今後のこと。


 私は、同期会で感じたあの言いようのない焦燥感と、彼への信頼を天秤にかけた。


 そして、初めて自分の口から、前向きな答えを口にする。


「……私も、考えてたの。仕事は大好きだけど、あなたと一緒にいたい。結婚もキャリアも、両方、前向きに考えたいと思ってる」


 恭介の目が、わずかに細まった。


 期待に胸が膨らむ。彼がどんな嬉しい言葉をくれるのか。


 しかし、彼が口にしたのは、私の想像を遥かに超えた「衝撃」だった。


「実は俺、結婚してるんだ」


 ……え?


 あまりに唐突な言葉に、思考が停止した。


 聞き間違いだと思った。けれど、恭介は至極当然という顔で、さらに言葉を重ねる。


「でも、君が結婚してくれるなら離婚するから! ほら、俺ってちゃんとしてるだろ?」


 満面の笑み。


 まるで、サプライズギフトを披露した子供のような、純粋で、傲慢な笑みだった。


「……はい?」


「君を傷つけたくなかったから、今まで隠していたんだ。でも、君への気持ちは本物だし、これから一緒にいたい。だから、君のために離婚するよ。大丈夫、俺、ちゃんとしてるだろ?」


 自分の人生に、こんなにも滑稽なシナリオが組み込まれていたなんて。


 彼は今、不倫という最低の裏切りを、「君のために離婚してあげる」という聖人のようなロジックにすり替えている。


 呆気にとられて言葉が出ない。


 目の前にいる男は、私が愛していた誠実な恭介ではない。


 ただ、自分を完璧にコントロールできていると思い込んでいる、底知れない不気味な化け物だ。


 激しい怒りが、冷たい炎となって胃の底からせり上がってきた。


 けれど、私はここで声を荒らげることはしなかった。


 今の私は、相手の手のひらで踊らされる被害者でいたくない。


 私はゆっくりと口角を上げ、最大限に完璧な笑みを浮かべた。


「……ええ、本当に。二年間、ずっと」


 (そうね。本当に、完璧に騙されていたわ)


 内心では、彼という人間の存在ごと消し飛ばしたいほどの憎悪が渦巻いていた。


 私は静かに席を立ち、店員を呼んで会計を済ませた。


 彼に借りを作る筋合いはない。一円たりとも、この男に奢られたくない。


「あ、澪? 今日は払ってくれるの?」


 振り返った恭介の、心底不思議そうな顔。


 その浅ましさに、今度は心から笑いそうになった。


 レストランを出て、一人になった瞬間、夜風が肌を刺した。


 絶望? 悲しみ?


 そんなものは、もうない。


 あるのは、純粋な「怒り」と、それを燃料にした「冷徹な計画」だけだ。


 自宅に戻り、コートを脱ぎ捨てる。


 私は迷わずスマートフォンを手に取り、検索窓を開いた。


 そこへ、彼のフルネームを打ち込む。


 騙されていた二年間。彼の正体を、隅から隅まで暴き出してやろう。


 彼が信じている「完璧なコントロール」を、粉々に打ち砕くために。

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