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第9話「存在することの意味を知らされるのは、幸福とは言えないかもしれない(6)」

「私は芸能界に戻りたい……戻りたくない……?」


 お母さんから離れた場所で、自問自答。

 自ら芸能界からの引退を決断した割に、家族が喜んでくれるなら芸能界に戻ってもいいのかもしれないなんて思う。


「でも……」


 今の芸能界に、私の居場所はない。

 引退した子役が戻って来て、また華々しく活躍ができるかっていったら、そう甘いものではないと知っている。

 知っているからこそ、私は《《あなたは必要ありません》》って言われる前に逃げ出した。


「莉雨ちゃんって、おしばいがじょうずだね」


 家で過ごす時間は穏やかなんて生易しいものではないからこそ、ベッドの上に寝転がって深呼吸をして心を落ち着かせる。

 でも、過去の私に向けられた言葉の数々が、脳裏に攻撃をしかけてくる。


「パパとママ、莉雨ちゃんのおしばいをみて、泣いちゃったんだよ」


 カーテンが閉まっていないこともあって、私は窓向こうに視線を向けることが出来た。

 一日の終わりを告げるために、藍色の空が世界を覆い尽くすためにやって来る時間帯。

 そろそろ部屋の明かりをつけて、真っ黒な夜を迎える準備をしなければいけない。


「ママとパパがね、莉雨ちゃんみたいな子がほしいって」


 でも、藍色の空は、私の心まで覆い尽くしてしまった。

 昔のことを思い出した。

 承認欲求というものが満たされていくことに心地よさを感じた、あの日のことを。


「ただいま」

「はい、はい、ありがとうございます」


 子役時代に空を見上げたことがあるのかないのか記憶ははっきりしないけど、子役時代の頃は晴女と賞賛されるほど私は青い空に囲まれていた。


「莉雨、次のお仕事決まったって」

「やった」

「うん、やったね」


 次の仕事が決まる度に、母と交わすハイタッチ。

 手と手が触れ合って、ぱちんと音を鳴らす。

 この、ぱちんという音に幼い頃の私は喜びを感じていた。


「……引退、しようかな」


 私は、いらないって言われる前に逃げ出した。

 高校生の桝谷莉雨は芸能界に必要ないって言われる前に、芸能界から逃げ出した。

 でも、逃げるのって簡単なことじゃない。

 そう思い知らされたのが、中学時代の頃だった。


「なんで引退しちゃったの?」

「もったいないよね」

「私のパパとママ、残念がってたよ」


 天才子役の桝谷莉雨を欲してくれる人がいることに、心地よさを感じていたはずなのに。

 私が必要とされているっていう自覚できた、あの瞬間。

 何物にも代えがたい幸福を得ることができたはずなのに。


「やっぱり芸能界って怖いんだね」

「いらなくなったら捨てられるって本当なんだね」


 天才子役の桝谷莉雨を欲してくれる人がいることが、心の錘となってしまった。

 興味本位で、私に近づいてくる人たち。

 天才子役の桝谷莉雨は中学に入っても必要とされたけど、必要のされ方が変わってきた。

 興味の矛先が変わるだけで、こんなにも呼吸がし辛くなるなんて知らなかった。


(あの日の空の色は、何色だったかな)


 今を生きる私が、過去の空の色を尋ねたところで誰も答えてはくれないけど。

 それでも、ときどき過去の私に問いかけたくなる。


(空の色は、何色に見えますかってことを)


 幽霊の蒼が、いつ消えてしまうかは誰にも分からない。

 残された時間の中で、交わさなければいけない言葉はたくさんあると気づかされる。


(もしも私が、明日死んだら……)


 後悔なく生きることができましたかと問われれば、真っ先に否定してしまうかもしれない。

 その後悔を片付けるために幽霊として生きてみなさいって訳の分からないことを言われて、私は自分の物語を終えるために生きていかなければいけないかもしれない。


(蒼も、そんな感じなのかな……)


 自分に与えられた物語が閉じてしまう気がして、幽霊として生きることすら躊躇ってしまうかもしれない。

 自分が蒼になんでもやってみようって強いていることの残酷さに、ようやく気づいたところですべては遅い。


(後悔なく生きるって、難しすぎ……)


 まだ、高校生。

 まだ、若いんだからやり直すことができる年齢。

 そんな投げやりな言葉をぶつけてくる大人もいるかもしれないけど、高校生は高校生なりに苦しんでる。

 後悔なく生きることの大切さを知っているからこそ、後悔なく生きることの難しさに苦戦しすぎて泣きたくなる。


「はあー……」


 部屋の中に広がる盛大な溜め息。

 これだけ単純な動作なのに、息を吐き出すだけで手が震えてきてしまう。


(泣いたところで、これは私の人生でしかない……)


 誰も私の涙を拭いになんて、現れてくれない。

 自分の人生に責任を取るのも、取れるのも、自分だけだから吐きそうになる。


(でも、蒼がいてくれたら……)


 自分の人生に言葉を交わしてくれる人がいるってだけで、強くなれる気がする。

 どんなに失敗しても、どんなに落ち込んでも、どんなに悔しくても、話し相手がいてくれるってだけで、自分はどんなことでもできそうな気がしてしまう。

 できもしないことができるんじゃないかっていう希望に変わってくる。

 大切な人ができるってことの意味と力強さに愕然とすると同時に、救われているなーと感じる。


「後悔のない人生、歩んでみたい……」


 蒼の苦しそうな顔も、蒼の悲しそうな顔も、見たくない。

 私だって、蒼だって、互いを傷つけるために出会ったわけじゃない。

 残酷な現実を乗り越えた先に、幸せというものがあるって信じているから。


「幸せになりたい……なりたいよ……」


 死ぬまで、嘘を吐き続けることになるかもしれない。

 それでも、自分の人生の失敗を他人のせいにするということをしない人になりたい。


「蒼も一緒に、幸せになろうよ……」


 蒼と過ごしてきた時間が、蒼を育ててくれた人たちと過ごした時間が、私という人間を変えてくれたのかもしれない。


「いつか消えるなんて言わないで……一緒に……」


 後悔しているけれど、後悔していない。

 後悔していないけれど、後悔している。

 そんな、複雑な感情に包まれていく。


「蒼、蒼、蒼……」


 名前を、呼んでほしい。

 名前を、呼んであげてほしい。

 名前を、呼びたい。

 名前を、呼んでください。


(一緒に、生きたい)


 生きていく過程の中で、大切だと思える人に出会えること。

 生きていく過程の中で、大切な人ができていくこと。

 幽霊と出会うっていう非現実的なかたちではあったけど、大切な人()と出会えたことを私は幸せに思っている。


(もっと、もっと長い時間、一緒にいたい)


 演じるのは得意。

 私は、私に与えられた役を演じるのが昔から大得意。

 これは、出会うのが遅かったって後悔するための物語じゃない。

 これは、私が選んだ、私が主人公になるための物語。

 だったら、最後まで演じ切ってみせたい。

 私を必要としてくれる人が、安心して私と別れられるように生きてみたい。


(私だけの幸せなんて、嫌だよ)


 蒼と一緒に見上げた空の蒼色が鮮明に記憶に残っているのに、私はこの日を最後に有栖川蒼と会うことができなくなってしまった。

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