第8話「存在することの意味を知らされるのは、幸福とは言えないかもしれない(5)」
「一度は来てみたかったんだよね! 高校近くのたい焼き屋さん!」
思い出作りの第一歩が、蒼と一緒に近所のたい焼き屋さんを尋ねること。
高校生らしくないとか、男女二人揃って来る場所じゃないとか、蒼も蒼で言いたいことはいろいろあるかもしれない。
でも、クラスの子たちが学校近くのたい焼き屋さんに通い詰めていることは高一のときから知っている。
私たちの高校に通っている人たちにとっては、このたい焼き屋さんは馴染みがあるということ。定番スポットであることは調査済み。
「甘い物は平気?」
「平気」
「あんこ? クリーム?」
「んー……あんこで」
空が薄暗くなる時間帯に差し掛かり、この時間帯にたい焼き屋さんを訪れるのは部活終わりの生徒たち。
クラスメイトという知り合いに会うことがないと分かっている私たちは、仲のいいクラスメイトとして接することを選んだ。
「蒼と、このたい焼きのあったかさを共有したいんだけど……」
店主であろうおじさんは店の中で食べてもいいと声をかけてくれたけど、私と蒼も店の外に出て出来立ての味を堪能することにした。
「莉雨が一旦、たい焼きから手を離してくれたら」
蒼とは、直接たい焼きを受け渡すことができない。
それをなんとなく察した私たちは自然な流れで、たい焼きを受け渡すための会話を整えていく。
「じゃあ、この看板の上に紙袋置くね」
「助かる」
お店の中で食べたところで、蒼が幽霊ってばれる心配は恐らくない。
人は、そこまで他人に関心を持たないから。
「買い食いって、ちょっと憧れてたの」
「一人じゃ難しそうだな」
「付き合ってくれて、ありがとうございます」
けど、念には念を。
たい焼き一個の受け渡しで、もたついてしまったら不審に思われるかもしれない。
「たい焼きのあったかさ、感じる?」
「出来立てで美味そう」
「良かった」
幽霊の蒼が生きるって、そういうこと。
幽霊の蒼が騒ぎ立てられないように、私たちは周囲に気を遣う。
幽霊の蒼が生きていくって、そういうこと。
「いい季節だね」
「たい焼き屋って、夏はどうしてるんだろ」
「……聞いてくる?」
「いや、そこまでしなくても……」
何かが起こりそうで、何も起こらない。
何かが起きる期待と、何も起こらないことへの安堵感。
たい焼きを食している間、期待と安堵が入り混じるっていう不思議な時間を体感した。
変わるって決めた私たちが変わっていくようで、変わっていない。
それは良いことでもあり、悪いことでもあるのかもしれない。
「次は、蒼がやりたいことをやりたい」
「特に希望もないんだけど……」
「ないならないで無理することはないよ」
ゆっくりやっていこう。
その言葉が幽霊の蒼にとっての正しいか悪なのかは私には判断できなかったけれど、私は焦る必要ないって言葉を蒼に伝えた。
「やりたいことができたら、教えて」
「……ありがとう」
「こちらこそだよ」
たい焼き屋さんに来るには、まずは私と高校が同じに通っていないといけない。
私と知り合いでなければいけない。どちらかがたい焼き屋さんに誘わなければいけない。
たい焼き屋さんに来るためには様々な条件をクリアしなきゃいけなくて、蒼はそれらすべてに該当した。
その該当者と出会うことすら、私にとっては奇跡的なこと。
蒼は、とんでもない奇跡をもたらしてくれたってことに気づいていないのかもしれない。
「あ」
「何か思いついた?」
あ、って一音だけを零す人が本当に存在することに笑ってしまった。
蒼に希望があるって言うなら、私が蒼の希望を叶えてあげたい。
「浮かんだ」
「今日は私のやりたいを叶える日だったから、次は蒼の番ね」
私は無理に聞き出すことをせずに、美味しいたい焼きをゆっくり味わっていく。
「とりあえず今は、写真関連ってことだけ伝えておく」
蒼は満面の笑みを浮かべるような人ではないけど、ゆっくりと口角を上げて笑みを向けてくれた。
(なんで、一日ってあっという間に終わるんだろう)
蒼と別れた後は、家に帰るしかやることが残っていない。
しばらく自分の家の玄関の扉を見つめていたけれど、中に入らなければ私の人生に変化はない。
扉を開くために取っ手に手をかけたとき、冷たさが指先にまで伝わってきた。でも、その冷たさすら我慢して、開きたくなかった扉を大きく開いた。
「ただい……」
「おかえりー」
扉が開いた瞬間、慣れ親しんだ家の匂いから逃げ出してしまいそうになった。
でも、私を迎えてくれた母の声があまりにも明るくて、ここが私の何か帰る場所なのだと言い聞かせていく。
「名刺、貰っちゃった」
明らかに、娘を出迎えるテンションではない母。
良いことがあったと言わんばかりの母の声の高さに、私は口を閉ざす。
母と一緒に、母にとっての良いことを共有できればいいのに。
私と母は、互いにとっての良いことを共有できない。
「お母さん、芸能活動でも始めるの?」
「私じゃなくて、莉雨にって」
お母さんは昔、私と一緒にメディアに出ていた時期がある。
天才子役の桝谷莉雨は芸能界から消えてしまったけれど、お母さんの外見は昔とそう大きく変わらない。
桝谷莉雨の母親だと気づいた人が名刺をくれることがたまにあって、まだ桝谷莉雨を覚えている人がいるんだってことにも驚かさる。
「やっぱり莉雨には、需要があるのね」
どこかの誰かから貰ってきた名刺を、誇り高そうに見せびらかす母。
リビングには私しかいないのに、それはもう名刺を自慢したくて仕方がないらしい。
(一緒に盛り上がってあげれば、楽になれる)
でも、私は更なる楽を望んでしまう。
話を、適当に流す。
それが、最も楽になれる方法だと私は知ってしまった。
「高校卒業したら、芸能界に戻ったら?」
「考えておく」
考えておくと返事する私も悪いけど、考えておくって言っておいた方が家族は円満に落ち着くと私は知っている。だから、今日も私の返事は、考えておく。
「若いうちが華だからねー」
若いうちが華。
お母さんの、この言葉を聞いた世間の人たちは母のことを完膚なきまでに叩き潰してしまうだろうってことが容易に想像できる発言。




