新たにつけられた捕縛符
「そなた達は……いったい何をしておる……?」
不意に背後から、声がかかった。
瑠璃姫だ。
「る、瑠璃姫さまぁ……」
涙目になりながら狐丸が、助けを求める。
瑠璃姫は、はぁと溜め息をつく。
「澄真……狐丸を苛めるのは、やめよ」
漆黒の目が、ギロリと睨む。
けれど澄真は意外にもケロッとしていて、余裕の笑みを浮かべた。
「これは心外。最初に嘗めたのは、狐丸だよ……? 嘗められたのは頬だったが……」
言いながら魅惑的に笑い、見せつけるように狐丸の頬を、軽く唇で噛む。
「うわあぁぁあぁぁ……。あ、あの時!? ……あの時は確か、鬼火が……鬼火がついていたからぁ……」
涙声で、必死に弁解する。どうやら、思い出したようだ。澄真はそんな狐丸を見て、必死で笑いを堪えている。
(そうだ、……そうだった。あの時だ)
狐丸は思い出す。
(何も考えていなかったから、すっかり忘れていた……)
真っ赤になりながら、ジタバタと澄真の腕の中でのたうち廻る。
あの宗源火の事件の現場で、澄真の頬を狐丸は舐めた。
(けれど、あれは鬼火が着こうとしていたから……だから……)
あのまま放置していたら、澄真は顔に火傷を負っていたに違いない。
(それは、嫌だったから……)
けれど、その弁明は言葉にして言うことはなかった。ただただ、顔を真っ赤にして、澄真に爪を立てる。
狐丸の反応に、澄真は再び面白そうに、くくくと喉を鳴らすと手を離した。
「……澄真、そなた、そんな性格だったのか……? 眠すぎて、おかしくなっておるのか?」
瑠璃姫が、呆れた声を出す。
相変わらず澄真は、声を殺して笑っている。
「ふふ……いや、眠くはない。一日二日寝れないことなど、ザラだからな。……少し、からかっただけだよ」
楽しそうに、目を細めながら狐丸を見る。
からかわれたと知って、狐丸は少しムッとする。
「そうだよ! 僕が四条河原の白狐だよ。それで、なに? 僕を祓うの?」
狐丸の捨て鉢なセリフに、澄真は笑いを止めた。
「いや、……祓いはしない。君は人に危害を加えてはいないからな」
真剣な眼差しに、狐丸は戸惑う。
「え? ……そう、なの? で……これは? これは、外してもらえないの……? これって、包帯じゃないよね? よく見たら文字が書いてあるもの……」
『祓わない』と言われ、安心したのか、いくぶん狐丸の言葉が柔らかくなる。が、腕の捕縛符の件はまた別だ。また、同じような目に会うのではないかと思うと、さすがに怖かった。
頭の耳をペタンと垂らし首をかしげながら、左手の捕縛紐を、澄真の目の前に、おずおずと差し出した。
(……可愛い……)
妖怪の子どもというのは、こうも可愛いものだったろうか? 澄真は考える。
小さい頃は、それと分からずに、よく遊んだものだ。その中には、瑠璃姫もいた。
最も、瑠璃姫は一緒に遊ぶと言うよりも、澄真の保護者的な役割を演じていた。
けれど、その妖怪たちのおかげで、普通の人としての生活が送れなかったのも、また事実である。
大人になって、妖怪の事を知るうちに、あれほど憎んでいた気持ちも、いくぶん落ち着いてきた。
しかし、所詮は妖怪。人と相入れるものではない。
余計な感情を持つと、《陰陽師》としての仕事が出来なくなってしまう。一線は引かなくてはいけない。
澄真は、爽やかに笑うと狐丸に向き直る。甘い顔ばかりはしていられない。グッと気を引き締める。
「さっきも言ったけれど、私の『式鬼』になるのだったら、取ってあげるよ」
言いながら嬉しそうに、目を細めた。
捕縛紐を外すのなら、それなりの繋がりを作っておかなければならない。式鬼にならないと言うのであれば、この捕縛紐はそのままにする。
どちらに転んでも、澄真は痛くも痒くもない。
(できれば式鬼にしたいが……)
このままうまく事が運べば、澄真の希望通りになりそうだ。
しかしそれとは逆に、狐丸は険しい表情で澄真を睨んだ。声が微かに、震えている。
「どうして? 僕は悪いことなんてしていない。子どもを助けたし、火事だって防いだ。ケガしないように、鬼火だって制御した。すごく……すごく熱くて怖かったのに……っ」
金色の目から、涙が溢れた。
ポロポロと涙が溢れる。
(……あれ。僕、涙を流して、いる……?)
溢れ出る自分の涙に、狐丸は驚いて手を添え受け止める。生まれてこの方、泣き声を立てたことはあっても、涙を流したことはなかった。
(……っ、あったかい……)
目を閉じ、流れるままに涙を流した。
その表情を見て、澄真は、ぎょっと目を剥く。
「き、狐丸……?」
触れようと、手を伸ばす。
その事に気づいて、狐丸はハッとして澄真の手を叩き落した。加えてグルルと、威嚇する。
「……っ」
それを見ていた瑠璃姫がにっと笑い、狐丸に手を差しのべた。
「可哀想に。狐丸、こっちへおいで……」
「……瑠璃姫さまぁ!」
瑠璃姫に抱きつきながら、うわあんと泣く狐丸。
瑠璃姫は、澄真に向かって、フフンとしたり顔を向けた。それから、見せびらかすように、よしよしと狐丸の頭を撫でる。
「うぐぅ……」
澄真が唸る。
(瑠璃姫め……)
瑠璃姫は、澄真を苛つかせるのがうまい。
そして自分ではなく、瑠璃姫に甘えている狐丸が憎い。助けたのは自分なのに。
──まあ、苛めたのも、自分だが……。
「……っ」
嫌がられる事をした自覚があるだけに、強くは言えず、澄真は悔しげに唇を噛んだ。はぁ……と息をつくと、狐丸に言葉をかける。
「分かった。……それならば、こっちへおいで。ここに来たら、取ってやろう」
苦し紛れのその言葉に、狐丸の肩がピクリと動いた。
そろりと澄真を見る。
「本当に?」
にこりと微笑む澄真。
(嘘だけど、ね……)
けれど、嘘でもつかなければ、狐丸はこっちへは戻って来ない。出来るだけ、優しい笑顔を振り撒いてみる。
(これで、なびいて来るだろうか……?)
少し試してみる。
案の定、狐丸は瑠璃姫から離れ、そろりと澄真近づいた。二人の様子に、瑠璃姫が袖で口許を隠し、苦笑する。
瑠璃姫は幼い頃から澄真を知っている。なので、少し意地悪をしながら遊ぶ癖も、その頃とすこしも変わらない。
(けれど、いつまでそれで遊んでいられるかの……)
目を細め、含み笑いで澄真を見る。
(案外、遊ばれているのは澄真の方かもしれぬのにな……)
狐丸が近づいて来るので、うきうきと手を伸ばして待つ澄真の目の前で、ペタリと座り込み、狐丸は左腕を出す。
「え……?」
「え? じゃない。取ってっ!」
言いながら、左手を見せる。
「いやいや、……そこは、抱きついてはくれないの?」
伸ばした手を下ろして、悪戯っぽく笑う。
その言葉に、狐丸はむっとする。
「なんで僕が、抱きつかなくちゃいけな……ぶふぁっ!」
最後まで言う前に、狐丸の腕を引き寄せ、腕の中に納めた。
「ふふ。捕まえた」
フワリと狐丸を抱え込み、その髪に顔を埋める。
「うわあぁぁあぁぁ! な、何? 離して、なんでまた捕まえるの……っ」
澄真に覆い被され、バタバタと暴れる。
「はいはい。暴れない。大人しくして。まだ、熱は下がっていないんだから……」
澄真は、更に続ける。
「それに……面白いからに決まってるだろう? 狐丸は可愛いな……」
なでなでと頭を撫でた。
「……」
実は狐丸。
撫でられるのは大好きである。
ブスッと膨れつつも、澄真に大人しく撫でられている。
「……」
耳をパタパタさせながら、頭を澄真の方へ向けた。撫でられるのは、嫌いじゃなかった。
× × × つづく× × ×




