金の瞳
「はぁはぁはぁ……。き、狐丸は……?」
息を切らせながら、寺の門を叩くと、すぐさま和尚が出て来た。
夜中起きていたのだろう。
朝も早いというのに、既に室内は整っていた。
燭台の火だけが明るく灯り、部屋の中は暗く陰鬱な雰囲気がたれ込めている。
「!」
澄真は思わず息を飲む。
先ほどからしている嫌な予感が、更に輪をかけ強くなる。
弦月和尚は、困った表情で、澄真を座敷に招いた。
タマが暗い室内の中、こぽこぽと茶を淹れている。
狐丸はいない。
「……」
澄真は顔をしかめると、声を荒げた。
「……おいっ」
苛々しながら、灰色の髪を掻き上げ、澄真が怒鳴る。
呑気に茶など、飲んでる暇などない。狐丸の体調が悪いのではなかったのか?
痺れを切らし、澄真が唸る。
「何の真似だ。狐丸はどこだ!」
タマはそんな澄真を横目で見て、顔をしかめるとポツリと言った。
「まぁ、落ち着けニャん。ひとつ話がある……」
言いながら、茶を置く。
「話だと……?」
眉を寄せる。
「話など、後で聞く。ひとまず、狐丸を診せろ!」
言って、踵を返し廊下を歩き始めた。
「あ、お……おいっ! 待つニャ……!」
後ろで、慌てたタマの声が響いた。
「待ってなど、いられるものか! お前の方がそこで待ってろ! 自分で探す」
澄真は言い捨てて、真っ暗な廊下を突き進む。
灯りなど持ってはいないが、闇に目が慣れている。そう不便ではない。外の月や星あかりに照らされて、先ほどの室内よりかはよく見えた。
じき、朝日が登れば、視界もよくなるだろう。けれど、そんなには待っていられない!
澄真の足は、自然と速くなる。
半ば駆け足になりながら、寺中の部屋を見て廻った。
以前はここで過ごしたことのある澄真である。寺の構造は熟知している。
寺の部屋自体は、そんなに多くはない。澄真は考える。
本堂では誰も寝起きをしないので、そこではない。
本堂から地下の洞窟に続く通路も、降りなくていいだろう。そこには瑠璃姫の本体が置かれているが、瑠璃姫の冷気に当てられながら、病人が寝ているはずもないから、その場所も、除外出来る。
檀家の者が休息する、大部屋が二部屋あるが、そのどちらにも狐丸の気配はなかった。
澄真は、口許に手を当て思考を巡らせる。
(……ならば、離れか?)
離れは、本堂と渡り廊下で繋がっており、住職の部屋がある。
料理をする場所、風呂や厠、蔵は除外。
(確か他には、小さな部屋が三部屋あったはずだ)
澄真は渡り廊下を、急ぎ足で過ぎようとした。
「……」
しかし、そこに瑠璃姫が立ちはだかる。
「瑠璃姫……」
またか、と澄真は唸る。
「話がある」
瑠璃姫は小さく呟く。心無しか元気がない。瑠璃姫らしからぬ雰囲気に、澄真の不安になる。
正直澄真は、瑠璃姫のそのような落ち込んだ姿を見るのは初めてで、嫌な予感を更に増幅させる。そんな姿をを見るのは嫌だった。
イライラが、更に募った。
「……それはさっきも聞いた。聞くのは後だ。どけ」
苦々しげに、吐き捨てながら、瑠璃姫を睨んだ。澄真の、灰色を帯びた目が光る。
しかし、瑠璃姫はそれを一笑に伏す。
「……まずは、話を聞け。どのみちお前は、あれに嫌われておるではないか……」
口許を着物の袖で隠し、目を伏せる。
その様子に、澄真が嫌悪感を示す。
「退けと言っている……!」
「退くわけにはいかぬ……!!」
「……っ。お前たちは、さっきから何なのだ!」
苛立たし気に、澄真が唸った。
チチチ……と山の小鳥が鳴く。
日が登り始めた。辺りが白く輝き出す。
暖かな日差しが、いく筋もの光の束になって、庭先の池を照らした。
タマが知らせを持って屋敷に来た時から、もうずいぶんと時間が経っている。底知れぬ恐怖で、澄真の手が震えた。
(……っ、私は何に怯えている……?)
澄真は、震えるように溜め息をつく。
「……お前たちが、私を呼んだのだろう?」
「あぁ、そうだ……」
言って瑠璃姫は顔を上げる。酷く悲しそうな顔をしていた。
「……」
眉をギュっと寄せると、瑠璃姫は澄真に問う。
「お前は、狐丸が好きか……?」
「は……?」
言われている意味が分からず、澄真は顔をしかめる。
(何を言ってるんだ。こいつらは……)
しかし、澄真は答える。
「たった一回……しかもろくに顔も合わせず、話もしていない相手に、好きとか嫌いとかはないだろう?」
「……」
言われて、瑠璃姫は納得する。
瑠璃姫はハァと大きく溜め息をつく。どう話していいか、思いあぐねているようだった。
眉間に、ギュっとシワを寄せた。
「ならば。……ならば、もし。……もしも、狐丸が『物の怪』だったならば、祓うか……?」
不安げな色をたたえたその言葉に、澄真の顔がみるみる変わる。
ドクンと心臓が跳ねた。
「あ……」
思わず声が出た。
今、不安に思っていることを、指摘されたような気持ちになる。
ずっと気になっていた。
何故、狐丸は倒れている?
何故、瑠璃姫が気にかける?
何故、狐丸は『狐丸』という?
それから何故、白狐の《金の目》が気になった……?
「な、に……?」
唸って、瑠璃姫を押し退けて、先へ進もうとする。
それを慌てて掴む瑠璃姫。
「まだ、答えを聞いておらぬ……っ!」
「離せ……っ。あいつは、体調が悪いのだろう? 私を押し留めて、いいことなぞあるものか!」
もしも、……もしも澄真の勘が正しければ、そろそろ限界が来るはずだ。ゴクリと唾を飲み込んだ。
身体中の血の気が引いていく。
「は……離すものかっ! 妖怪であれば、祓うのか……と訊いているっ」
「……っ、人に仇なすものなら祓う。私は陰陽師だからな! お前はどうしたいのだ! 狐丸が死んでしまうぞっ!」
「!」
澄真の言葉に、瑠璃姫の手が緩む。
(……っ)
自分の吐いた言葉に、澄真は歯噛みする。目の前がクラクラして、どうにかなりそうだった。
ばっと瑠璃姫の手を振り払うと、先へと走った。
「!」
澄真の言葉に、瑠璃姫が青くなり、慌ててその後を追う。
バンッと音を立て、障子を開く。
「! ……白……狐?」
渡り廊下を渡りきってすぐ左の部屋に、狐丸はいた。
酷く汗をかいて、荒い呼吸を繰り返している。ぐったりとしていて、眠っているのか起きているのか分からない。
頭に白いキツネの耳がついていた。
「……っ、」
ドクン……と胸の鼓動が大きく鳴った。
ゴクリ……と唾を飲む。
「狐、丸……」
一目見て体中の血液が、音を立てて引いていく。
激しい目眩が澄真を襲った。
(……っ。やはり……っ!)
ギリと拳を握る。
「狐丸……」
真っ青になって、澄真は呟く。
「う……うぅ……ん」
小さな唸り声に、澄真は、ハッとする。
転がるように傍へ寄り、その頬に唇を押し付ける。
凄い熱だ。
汗で着ているものがぐっしょりと濡れている。
(……あいつらは……っ)
澄真は、歯噛みする。
持ち上げた左腕を見て、澄真は叫びそうになる。
「……っ!」
捕縛紐の隙間から、ポタリポタリと血液を含んだ、水っぽい液体が滴り落ちた。
(このままでは、腕が落ちる……っ)
真っ青になりながら、狐丸の様子を見た。狐丸の頭には、真っ白な耳がちょこんと、力なく垂れている。
「……狐丸。少し痛むが、我慢しろよ」
呟いて澄真は、狐丸の処置を行い始めた。
澄真は、まず捕縛紐の呪を解いた。掛けた本人なので、これは簡単に終わる。
問題はここからだ。深く深呼吸をし、震える様に息を吐き出す。
迷っている暇はない。
取り除かなければ、いくら呪を解いたからといって、元に戻るわけではない。
下手をしたら腕が使いものにならなくなる。
「……」
心を決め、澄真はゆっくりと捕縛紐を解いていく。
「ぐ……あぁ……っ!」
狐丸が痛みに悶え、激しく仰け反った。
「……っ」
狐丸の叫びに、澄真の顔が歪む。
捕縛紐に、狐丸の皮膚が張り付き取りにくい。しかし、取らねば腕は落ちる。
「い……やぁ……あぁ……!!」
狐丸の意識はないようだが、痛みに身を捩る。
捕縛紐が絡んだ場所はそう広くはない。狐丸がまだ子どもで、腕が細いのが幸を奏した。
すぐに捕縛紐を取り除くことが出来た。
けれど、狐丸の苦しむこの叫びには澄真の心がかなり抉られた。
「……っ」
悲痛な狐丸の叫びに、澄真は顔をしかめながら、捕縛紐を取り除き終えると、手当てを始める。
「あ。……あぁ……っく」
痛みがだんだん収まってはいるようだ。さっきより顔色がいい。
先ほど叫んだ余韻が残っているのだろう。時折しゃっくりをあげるように、狐丸の体が小さくひくついた。
寝ている布団の端からは、やはり真っ白のふわふわの大きなしっぽが、顔を覗かせている。
(白狐は……おまえだったのか……)
おおかた、狐丸が妖怪であることが引っ掛かり、澄真を呼ぶに呼ばれぬ状態に陥ったのだろう……。
大きな溜め息をつく。
「……くそっ」
何にイラついているのか分からない。あの時は、あぁするより他はなかった。
自分は陰陽師なのだ。
例えばあの時、白狐がことの状況を説明したところで、澄真は一笑に伏していたに違いない。きっと信じなかっただろう。
けれど、自分が投げた捕縛符が、狐丸をひどく傷つけたのも事実だ。
自分のしてしまった事を、澄真は、悔やんでも悔やみきれない。
「……」
呻きながら後ろを振り返ると、瑠璃姫が心配した顔で、様子を見ている。
「……っ!」
不意に、怒りが込み上げて来た。澄真は瑠璃姫に怒鳴る。
「何をしている! 湯を沸かせ! あと、お前は氷が出せるだろ? 盥に氷と水! 手拭いも何枚か持って来いっ!」
きびきびと指図する澄真の様子を見て、弦月和尚が呟いた。
「ほら。悪いヤツではないだろう?」
「……そのようだニャん」
にっこり笑い、パタパタとしっぽをふる。
「っ!」
しかし、澄真がそれを見逃すはずがない。すかさず、叱責が飛ぶ!
「こらっ!! そこの猫! 着替えを持って来い!! ついでに、替えの布団もっ!」
「は、はぃいニャ……っ!」
にゃはっ! と叫びながら、タマはパタパタと走り去る。和尚も肩をすぼめ、ちょこちょこと退散する。
部屋には、澄真と狐丸だけが残った。
狐丸の穏やかな寝息が聞こえる。
「……」
澄真は、その真っ白な髪をゆっくりと、手櫛ですいてやった。
× × × つづく× × ×




