黒狐寺の澄真
澄真が黒孤寺に来たのには、訳がある。
封印されている黒孤……瑠璃姫の状況確認と、黒孤寺の近況報告を聞くためだ。
定期的に行っているこの業務は、いつも何事もなく仕事は終わる。誰も立ち寄らないこの古寺に、報告するような事件は起こらない。
「……」
「……」
『……』
しかし、今日はいつもと状況が、違う。
澄真は、出された白湯をゆっくり啜った。
──ズズズズ……。
「……」
静かな沈黙が流れる。
ことり……と澄真は湯呑みを置いた。
「……それで? その稚児はどこでしょう?」
澄真の言葉に、瑠璃姫が唸る。
「本当にしつこいな。お前は」
瑠璃姫の赤い紅をさした形の良い唇から、鋭い八重歯が覗いた。澄真を軽く威嚇した。
「……」
二人は睨み合う。
バチバチと火花が散った。
そんな瑠璃姫を、弦月和尚がまあまあと、なだめる。
「言っておくが、アレをお前に預けるなどという状況には、けしてならぬ」
牙を剥き出し、威嚇する瑠璃姫。
はっきり言って、美しい顔が台無しである。半分キツネの顔に戻っているような、禍々しい顔だ。
しかし、澄真は、そんな顔は見飽きている。ふんっと鼻でせせら笑った。
動揺のひとつも見せずに、再び白湯を手に取る。
妖怪じみた瑠璃姫の顔を横目で見るながら、澄真はホッと溜め息をつく。
「私が引き取ることは、もう諦めた」
一言呟くと、ズズズと白湯を啜った。
名前がどうのこうのと言うつもりはない。
けれど、多少なりとも澄真自身も、人間関係で悩みながら生きてきた。
余計な力……見鬼の才があった為に、しなくてもいい苦労を味わった。
出会ったばかりの狐丸ではあるが、連れていくことが良い事とは限らない。
むしろ屋敷ともなれば、辛辣な言葉を吐く者は、黒狐寺より多い。現に澄真自身が、その標的になったのだ。
それならばいっそ、ここで過ごした方が、あの子のためにもなるだろう……。
「……」
けれど、そう思うといたたまれない気持ちになる。
出来ることなら、傍に置いておきたい。
手の届く場所にさえいてくれるのなら、何を置いても真っ先に助けに行くことが出来る。
けれど弦月和尚や、瑠璃姫、タマとの関係は、とても良いもののように見えた。
「……」
引き離すことは、酷なことのようにも思えるのだ。
それに、妖怪である瑠璃姫が、珍しく興味を持ち、世話を焼いている《護る》……という面でいうならば、瑠璃姫の傍は文句の付けようがない。
今まで氷のように冷徹に、他と過ごしてきた瑠璃姫が、子どもの世話をするのである。なかなか面白い見ものではある。
黒狐寺にいることが、狐丸の幸せに繋がるのなら、それでも構わない。……そう澄真は、自分に言い聞かせる。
けれど、連れて帰りたい事には変わりなく、決心がゆらいでいるのもまた、事実である。
小さく唸りながら、澄真は、言葉を続ける。
「しかし、黒孤寺の状況変化があったとすると、見逃す訳にもいかない。状況を判断して、最善の方法を取ろうと思う……」
言い終わるが否や、澄真は、にやっと笑い瑠璃姫を見た。
「まずは、その『狐丸』とやらに会わせて欲しい」
「……っ」
何故こんなにも、気になるのかは分からない。
分からないが、一度ちゃんと合間見れば、この胸の痛む理由も分かるだろう。分かったその時に、最善の行動を取りさえすればいいのだ。
(ひとまず会える。それでいいではないか……)
澄真は一応の決着を、自分の心の中でつける。
(しかし、こいつら……)
眉を寄せながら、澄真は唸る。
待てど暮らせど、一向に狐丸を連れてくる気配を見せないのだ。
連れてくるどころか、呼ぼうとも、探そうともしない。
明らかに、隠そうとしているのが見て取れた。
「……」
射るような灰色の目を向け、澄真はおもむろに立ち上がる。
「ま、待て……どこへ行く!?」
焦って瑠璃姫が澄真の袖を引いた。
「……」
その様子に、澄真の予想は確信に変わる。
(もしかして、狐丸を隠している……?)
訝しみながら、澄真は微笑んで見せる。
「……連れて来ぬのなら、家捜しでもしようかと……。心配するな。ここには私もしばらくはいたからな。隠れそうな所はすぐ分かる」
ふわりと笑い、狐丸を探すために一歩を踏み出す。
(けれど、何故、隠す必要がある……?)
考えながら、廊下を進んだ。
「待て! 待て待て待て待て……!!」
瑠璃姫が取り乱しながら、澄真の衣を引く。
澄真は、驚いて瑠璃姫を振り返った。
「……」
瑠璃姫が慌てるのは、珍しい。
いつも余裕の笑みをたたえ、人を小馬鹿にしたように見るのが、瑠璃姫の常であった。
(それなのに、この取り乱しよう……)
瑠璃姫の様子に、澄真は軽く目を見張る。
封じられて随分なるが、いつも澄真を鼻で笑うような瑠璃姫である。何故こうまでして、あの子どもにこだわるのか……。
「……何を焦っている? さては、何か隠しているのか? 先ほどから、お前は様子がおかしい……」
「うぐ……」
澄真の言葉に瑠璃姫が唸る。
そこに弦月和尚が、ふっと溜め息をつきながら、助け舟を出した。
「小狐丸や……あまり瑠璃姫を苛めてくれるな…」
「!?」
ピクッと肩が揺れ、すぐさま澄真が和尚を振り返る。《小狐丸》は澄真の幼名だが、好きな名ではない。
「『澄真』です! 和尚……」
苦々しげに澄真は和尚に言った。
「おおぅ、そうじゃった、そうじゃった。年をとると、物忘れが酷くてのぉ……」
ぺちんっと、自分の額を叩く。
「……」
(絶対、わざとだ…)
澄真は思う。
弦月和尚は時々、澄真を幼名で呼ぶ。それは決まって、澄真を嗜める時に使った。
幼い頃からの知人……父の友人であった弦月は、澄真の痛いところをよく知っている。
しかも弦月は、澄真の陰陽師としての師でもある。
力の程はそう強くはないのだが、その人の良さで陰陽小属(公文書の記載や読上げなどの記録実務を担当する、大属を補佐する仕事である)まで上り詰めた。
しかし結局のところ、目が見えなくなり、その業務が遂行できなくなると、自然と隠居の道を勧められたのだ。
「……っ」
正直弦月には、頭が上がらない。
その両の目が見えなくなったのも、一重に澄真のせいだと言っても、過言ではい。
ぐっと下唇を噛む。
「……澄真。申し訳ないのだが、狐丸はつい先ほど出掛けてしまったのだよ……」
弦月和尚が、申し訳なさそうに呟く。
「出掛けた……?」
澄真の言葉に眉を寄せる。
「そんなハズは……」
つい先程、澄真と瑠璃姫は山道を登り黒狐寺に来た。
黒狐寺への道は、一本しかない。降りる者がいれば、すれ違ったはずだ。けれどそんな者などいなかった。
ならば狐丸は、どうやって出掛けたというのか……。
(……)
唸りながら、澄真は思考する。
そんな澄真を見て、弦月和尚は困ったように首を傾げた。
「入れ違いだったのかも知れぬな。狐丸は町中を見たいと言っておった……」
「……入れ違い」
澄真の返す言葉に、和尚が頷く。
(そんなハズはない……)
澄真は改めて思う。
逃したくなくて、辺りの気配に細心の注意を払っていた。
密かに術を使っていたのである。
その包囲網を掻い潜ることなど、並の妖怪ですら出来ないはずだ。ましてや人の子。どう考えても不可能に近い。
(どういう事だ……?)
けれど澄真は、深く追求する事はやめた。
この様子だと、和尚も狐丸を手放すつもりはないのだろう。
「……」
和尚もまた、この黒狐寺に来た時から、魂の抜け殻の様な生活を送っていた。
寺の内部が整っているのも、一重にタマのお陰と言っても過言ではない。
そんな和尚が今、狐丸を庇っている。
共にいたいと、願っているのだろう。
(仕方ない……)
澄真は、軽く溜め息をついた。
これは本格的に、諦めるしかないようだ。
「……はぁ」
澄真は、静かに目を閉じた。
× × × つづく× × ×




