川べりの宗源火
弦月和尚さまに、お客さまの到来を告げると、僕はタマと一緒に、市中を見て廻ることになった。
このまま寺にいても、澄真との余計ないざこざが起こるだけだからね、お寺にいない方が良いって思うんだ。
そしてそれなら、市中を見て廻ろうって話になって、タマと一緒に見聞を深める事にした。
山を下る途中までは、澄真の目を気にして、『見つかるんじゃ』って思って、僕はかなりビクビクとしていたんだけど、多分、通った道が違ったんだと思う。一度も澄真に会うことなく、山を降りる事が出来た。
山を抜けてからは、僕はご機嫌でしっぽをフリフリ、空を駆けた。
やっぱり、元の姿は、動きやすい。
時折、ブフォー、ブフォーと鼻から青い狐火を吐き出し、上機嫌で僕は進む。
そしたらね、タマが言うんだ。
『き、狐丸? そんなに妖力の無駄遣いすると、ニャくニャってしまうニャんよ?』
『え? そうなの?』
誰かに気遣って貰えるって、すごく嬉しくって、笑いが止まらなかった。
……まぁ、言うことを聞くか聞かないかは別として……。
だって多分、僕の妖力はすごく多い。
それは、黒狐寺の瑠璃姫さまの狐火を食べたからかも知れない。けれど僕は、飛びながら狐火を吐くくらいなら、なんて事はなかった。……時々やってるから。
……てなわけで、そんなタマの心配をよそに、僕は好き勝手に狐火を吹き散らかしながら、市中を駆け巡った。
『……それにしても狐丸。いつの間にか、大きくニャったニャ?』
僕の姿を見て、タマは呆れ返ってそう言った。
……うん。そうだよね。僕もそう思う。
この前までは、弦月和尚さまの膝に、ちょこんと乗れるくらいの大きさだったんだ。それなのに、今や和尚さまの倍ほどの大きさに 成長しちゃってるからね? ちょっと異常だよね?
これじゃあ、どこからどう見ても、妖怪にしか見えない。
……いや、妖怪なんだけどね、実際。
これ以上のデカさになると、僕も過ごしにくくなるのじゃないかと思うと、ちょっと心配になってくる。
多分、タマも、同じように思ったんじゃないだろうか?
『……まあ、妖怪って、視える者と視えニャい者がいるから、大丈夫だニャ』
タマはぼそりと言った。
『え? 僕が視えない人もいるの?』
タマの言葉に、僕は聞いた。
タマは小さく頷いた。
『ほとんどの者は視ることが出来ニャい。あの客……澄真は特別ニャん。幼い頃からタマたちが見えたニャ』
『そう、なんだ……』
自分は視えるのに、相手は視えない。
そんな事もあるのか……と、僕は純粋に驚いた。
見て欲しい時に、相手に見えないとなると、なんだか悲しい。だってそれって、話し掛けたり微笑んだりしても、気づいて貰えないって事だろ? それってどうなんだろって、僕はぼんやり思った。
実際、僕が他の人から、見えないような態度を取られたことは、今のところない。
前に出会ったキツネの親子は、僕を見て怖がったけれど、少なくとも僕が見ていた。だから怖がることもできる。見えなきゃ《怖がる》ってことも出来ないはずだし……。
そもそもあの動物たちが、僕を見ていないってなると、狩りをするのが、すごく簡単なはずだ。
だけど動物たちには、確かに僕の姿が見えていて、目が合うと驚いたように逃げていく。
獲物に逃げられるのは、一度や二度ではなかったもの……。
(見えないなら、逃げないだろ……?)
タマの気のせいじゃないの?
僕はそう思って、眉を寄せ訝しんだ。
僕は続ける。
『じゃあさ、タマ? アレも、人間には見えないの……?』
僕がふんふん……と鼻面で指すと、タマはそっちを見る。
僕の示す先には、大きな川が流れていた。
川の近くには、所々に大きな桜の木が植えてあり、可愛らしい桃色の花びらを散らしている。
その川縁に、大きな火の玉がドシンドシンと上下に揺れながら、移動してたんだ。
あれって絶対異様だよね?
黒狐寺近くの山の中で、あんな気持ち悪いの、見たことない。
人の多い都には、悪霊や妖怪を呼び寄せる何かがあるんだろうか? 物の怪って言われる類のものを、僕は当然見たことあるけれど、こんな昼間っから見るのは珍しい。
大抵は、闇夜に紛れるように、夜に行動するものだから……。
目の前の火の玉は、そんな《妖怪のルール》を完全に無視していた。
昼日中から姿を現して、川縁を移動している。何かを追いかけているようにも見えた。結構素早いその動きに、僕はちょっと引く。
……あんなのに、追い掛けられたくない……。
『んん……? あれは宗源火かニャん?』
タマが目を凝らす。
『宗源火?』
僕は頭を捻る。
『そうニャん。《宗源火》。大きな火の玉の真ん中に、苦痛の表情を浮かべた坊主の顔が浮かんでるニャん。生前悪ことするとろくな事ニャいニャん。狐丸も覚えておくといいニャん……ってもう妖怪だから遅いニャんね』
ニャハハハハ〜っとタマは笑う。
『……火の玉に苦痛の顔……』
僕はゾッとする。
あれってただのでっかい火の玉だって思ってた。それなのに《顔》!?
あれって、顔なの!?
夜には絶対、見たくないやつだ……。
『……』
僕は恐ろしくて黙り込む。
『うーん。でも、珍しいニャん……。宗源火は壬生の寺からは滅多に出て来ニャいのに……』
言いながら、タマは身を乗り出す。それがまた、落ちる勢いで下を覗くものだから、僕は慌てた!
ちょ、タマ……! いい加減にして……っ!
『あ、タマ危ないってば! 落ちちゃっても知らないからね……!』
タマが落ちないように、身を捩りながら、僕は呻く。
けれどタマは、僕の言葉を聞いているのか聞いていないのか、動きを止めようとはしない。
むしろ、更に身を乗り出して、叫び出した。
『ニャニャん!? 大変ニャん! 子どもが追いかけられてるニャん!』
ガリガリと僕の頭を引っ掻いた。
『痛い。痛い……痛いってば……!』
タマに引っ掻かれた。それがとても痛くて、僕は身を捩る。
ちょ、ひどいよ! タマ……。
けれどタマはお構いなしで、今度はバシバシと僕を叩いた。痛い、痛い……! もう!ホント勘弁して……っ!
『早く! 早く行くニャん! 助けるニャん! 』
痛がる僕を無視し、タマは暴れた。
『もう……分かった。……分かったってば。分かったから、その爪、片付けて……っ』
言いながら、僕は地表に向かって急降下する。
(タマは、変わってる……)
僕は思う。
なんで、人間なんか助けようと思うのだろう……?
基本妖怪は、人間を玩具としか見ていない。あの宗源火だってそうだ。
あの子どもを追い掛けるのは、食べようとしてるのか、玩具にしようとしてるかのどっちかに違いない。
自分に関係ないのなら、放っておけばいいのに……。
『……』
そうは思うけれど、タマのそういう優しいところって、僕は嫌いじゃない。
確かに妖怪にしては、ちょっとおかしいなって思うような行動だけど、僕はそんなタマが大好きだ。
祓う力のある陰陽師は怖いけれど、力のない弱い人間は別。やっぱり僕も、助けてやりたいって思う。
『……』
僕は、川縁の宗源火を見下ろした。
近づくにつれて、その大きさがひどく目についた。
うわぁ……気持ち悪い。
炎かと思ったけど、あれってぼっさぼっさの髪の毛……? 僕は目を見張る。
その上、ものすごいギョロギョロっとした目を、飛び出さんばかりに見開いて、血走ったその目をめちゃくちゃに動かしていた。
……うそ。あれで本当に、周り見えてんの……?
『……』
僕は少し、尻込みする。
……近づきたくないんだけど……。
パッと行って、パッとあの子どもを咥えて逃げるってどうだろ……?
…………。
考えてはみたけれど、どうもそれは無理そうだ。
だって子どもはもう、宗源火に捕まりそうだから……。
飛び降りて、子どもを咥えてまた飛び上がる……? その間に絶対僕、アイツに捕まるよね? それにあの子どもが、僕を恐れて、逃げ出さないとも限らない。
『……』
だったらまず、僕がアイツを威嚇して、タマが子どもを安全なところに連れて行く……ってのが一番効果的なんだろな……。
気は進まないけど、でも、それしかない。
……うん。僕、頑張るよ。
それで行こう!
『ねぇ、タマ……』
『ニャ……?』
僕はタマ作戦を伝え、宗源火の前に飛び降りる用意をした。
……はっきり言って怖い。あんな変な顔のヤツ、何するか全然分からない。だけどやらなくちゃ、あの子は助からない……!
僕は決心すると、宗源火の前に躍り出た……!
──ブワッ……!
僕が降り立つと、風が巻き起こる。
宗源火がその風圧に驚き、一瞬怯んだ。
チャンス! 僕は唸り声を上げた!
──ぐああぁぁーっ!!
口を大きく開き、鼻に皺を寄せ、宗源火に向かってこれでもか! とばかりに威嚇する。
『……っ』
目の端で、タマがビクッとみを震わせたのが分かる。
……ちょ、タマ。
タマが怖がってどーすんのさ……。
タマは少し怯みながら、追いかけられていた子どもの位置を確認する。
『……! いたニャん!!』
叫んでタマは駆け出した。
途中、《ポン!》と音を立てて、人形をとった。アレならさっきの子どもだって怖がらないと思う。
子どもは道端の桜の木の幹に身を寄せ、フルフルと震えていた。震えていたけれど、タマを見て、ホッと息をついたのが見えた。
歳の頃は十歳くらいに見える。品のいい色の水干を身にまとっているから、どこかの貴族なんじゃないだろうか……?
黒狐寺にやって来た澄真も、結構身なりは良かったけれど、その子はそれ以上の身分の者に見えた。
「大丈夫かニャん? あっちの木の影に隠れるニャん……」
タマが子どもにそう言っているのが聞こえる。
その言葉に、子どもはこくりと頷いて、震える足でどうにか移動し、隠れることが出来た。
さて、子どもが安全なら、後は簡単!
僕が暴れて、宗源火が逃げ出せば、こっちの勝ち!
『グルルルル……!』
僕は更に唸り声を高める!
宗源火は、突然現れた僕に一瞬驚きはしたものの、すぐに威嚇を始めた。
小さく低く唸り声を上げ、ギョロギョロと視線の定まらなかったその目を、キッ! と僕に集中させる。
……う、怖っ。
『……っ、』
だけど怯む訳にはいかない。
きっとあいつはあれで、僕の力量を推し量っているのに違いないんだから……!
──『ウゥー……っ、ウオォオォォー……』
宗源火は唸る。
ひぃーん。怖い。
怖いよぅ……。
『……っ』
僕はチラッとタマを見た。
タマは怯える子どもの背中を、ぽんぽんと撫でながらあやしていて、僕の方なんて見ていやしない。
「もう、大丈夫ニャん……」
「う、うん。……ひっく……うっ……」
『……』
……分かるよ、その気持ち。
こんなのに追い掛けられたら、そりゃ僕だって泣きたい。
いやいやいっそ、僕も今泣きたい。
僕は思わず、鼻を鳴らそうとしたところで、タマと目が合った。
『……』
タマは明らかに僕を見て、怯えていて、僕は言葉を失う。
…………まぁ、目の前の宗源火、早く退治して、寺に戻ろう。
そう、冷静に考える自分がいた。
× × × つづく× × ×




