稚児の薄衣
「……はぁ」
澄真は、溜め息をつく。
今日初めて出会った相手ではあるが、澄真は、狐丸の事がひどく気掛かりだった。抱き上げたとき、ひどく軽かったのがその理由だ。
しっかりと食べれているのかも、定かではない。
太らせるつもりはないが、健康的な生活の保証くらい自分なら出来るのに……。そう思うと、黒狐寺の対応が恨めしくも思う。
(ただ、……どちらにしろ、今は、本人がいない)
ふっと溜め息をつく。
逃げられたのが、本当に口惜しい。
深い溜め息を何度もつきながら、空を見上げる。
空は雲ひとつなく、清々しく晴れ渡っていた。
「!」
その中で、何やらヒラヒラ飛んでいる。
淡い桃色のそれは、まるで天女の羽衣のように目を引いた。澄真はハッとする。
よくよく目を凝らしてみれば、それは先ほど出逢ったあの稚児が、必死に握りしめていたあの薄衣によく似ていた。
「……!」
それは、ふわりふわりと近くまで落ちてくる。
思わず駆け寄り、澄真はの薄衣を受け止めた。
「これは……」
呟きながら、手の上の薄衣を見た。
やはり間違いない。あの少年の持ち物だ。
とても大切な物だったのだろう。抱き上げたときも、必死になって手に握っていたことを澄真は思い出す。
(それを手放すとは、……もしかしたら、何かあったのか……?)
サーっと血の気が引いた。
澄真は真っ青な顔になって、瑠璃姫を振り返る。
「……」
しかし、瑠璃姫は呆れた顔で、そんな彼を見た。
「……それは、吾がアイツに渡したものだ。その時おまえも、傍にいたから知っているであろう? 吾から、また渡しておくから大丈夫だ」
言いながら、手を伸ばす。しかし、澄真はパッと衣を自分の後ろに隠し、離さない。
「……いや、いい。私から渡す。……それに、あんなに大切にしていたのに手放すなど、何かあったのかもしれない」
オロオロとする澄真が、瑠璃姫の目には、少し可笑しく映る。思わず心の中で苦笑した。
(そこまでとは……!)
けれど狐丸も、今や黒狐寺の家族も同然。真っ青になるほどに心配してくれると思えば、嬉しくもある。
瑠璃姫はふふふと笑う。
(正確に言えば、大切に持っていたではなくて、狐耳とその色をお前に見られたくなくて、必死に隠してただけなのだがな……)
瑠璃姫は目を細め、《何かあったのでは?》と慌てふためく澄真を見る。
「……」
(愚かなこと。……正直に言えばいいものを。狐丸にまつわる物を手に入れられて、嬉しい……と)
もともと自分のものだった薄衣を、澄真が抱きしめている事に眉をひそめ、瑠璃姫は呆れながらそれを見る。
澄真は狐丸を心配しながらも、薄衣を抱いて、無意識にふわりと微笑んでいる。
狐丸が走り去って行ったその先を見つめながら、今にも駆け出して行きそうな様子であった。
瑠璃姫はそれを見て、小さく溜め息をついく。
(……今駆けて行かれては困る。……なんと面倒な事よ……)
「ちっ」
小さく舌打ちをする。
「待て待て……何もあるものか。ここは吾が護っておるのだぞ。何かあったのなら、吾が真っ先に気づく」
駆け出しそうになった澄真を、瑠璃姫が慌てて袖を引く。
「……まぁ、お前みたいなのが、気配を消して侵入さえしていなければ、……の話だがな……」
ギリッと瑠璃姫は澄真を睨んだ。
その事は事実なので、澄真は少しバツが悪い。いやしかし、そもそも、この黒狐寺に来る度に、妖怪に見張られていると思うと、気分が悪くなる。
気配を立つのも当たり前ではないかと、澄真は思っている。
片や瑠璃姫には、それが理解出来ない。毎回なんのために、澄真はわざわざ気配を殺して、この寺へやって来るのだ! とイライラを募らせているのである。
それはいつも驚くほど巧妙で、瑠璃姫がどんなに網の目を細かくしても、澄真を見つけることが出来ない。いったい、どうやっているのか。
(今回もそうだ)
瑠璃姫の鼻息は荒い。
狐丸には、世間の何たるかを教えているところへ、いきなりこいつが現れた。まだ十分に教えきってはいなかったものを……! と瑠璃姫は唸る。
自分と同じ轍を踏ませないためにも、陰陽師の事も妖怪の事も、まだまだ話しておきたい事は沢山あったのに……。
(それなのに、こいつときたら……っ)
いつもいつも、邪魔ばかりする! 瑠璃姫はムッとして顔を上げた。
「それに、何かあったと言うのであるならば、……それはお前が恐ろしくて、必死で逃げているだけの事であろう? アイツをあまり苛めてくれるな……」
「うぐ……っ」
澄真は、顔をしかめ、息を呑む。確かに自分から逃げるのに必死になって、落としたのかもしれない。
あの時は自分も逃げられまいと必死で、多少強引だったのも否めない。稚児は微かに震えてもいたのだから、怖がらせたのも事実だ。
(けれど、逃げられるほどのことはしていない……!)
《必死で逃げている》《苛めるな》……の言葉に、少なくとも澄真は、軽いショックを受けた。
(私は、苛めた覚えなどない……、はず……)
眉間にシワを寄せ、今までのことを振り返る。
確かに、和尚に会いに行こうとするのを阻みはしたが、後はただ、抱き上げただけだ。それほど悪いことのようには思えなかった。
痛い目にあわせたわけでもないし、辛辣な言葉を吐いた訳でもない。……手酷いこと、などしたつもりはないし、していないと言い切れる。
(……それとも、唇を寄せたのが悪かったか……?)
一つ思い当たることがあったのを思い出し、澄真は青くなる。
(いやしかし、あれはただ、熱をみただけだ。ひどく軽かったものだから、病気でもしているんじゃないかと気になった……)
けれど、そんなに嫌がるほどの事だっただろうか……? おでこに口づけただけだぞ? ……いや、頬にもしたな……。
けれどあの時、ひどく驚いた時のあの反応は、とても可愛かった……。
(……もう一度、逢いたい……)
薄衣が飛んできた方向を、澄真はぼんやり見る。
きっとあの方向に、いるに違いない──。
「……よっと、」
考えている澄真の隙をついて、瑠璃姫は薄衣をするり……と奪い取った。
「あ……! 何をする!」
慌てて掴もうとしたが、もう遅い。瑠璃姫は、知らん顔を決め込み、澄真から奪ったそれをするりと羽織った。
唯一の稚児との繋がりを奪われ、澄真は非難がましい目を瑠璃姫にむける。ギリリと歯ぎしりをした。
「……っ」
瑠璃姫は、ふふんと笑う。
「ボーッとしておるからだ。……和尚に用があるのだろう? 早く行って用事を済ませてしまえ。そして、とっとと屋敷に帰ってしまうがいい……!」
「……瑠璃姫っ」
睨む澄真の背中を『ホレホレ』と押して、瑠璃姫は山道を急がせた。
× × × つづく× × ×




