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氷壺《月のキツネ》  作者: YUQARI
第一章 古寺に封じられた者
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瑠璃姫さま

 瑠璃姫と呼ばれる大きな黒狐は、急に騒がしくなった周りの状況に、いくぶん顔をしかめながら、面倒臭そうに片目を開ける。


 その名の通り、美しい瑠璃色の瞳を持っていた。

 漆黒のその毛並みから見える、深い瑠璃色の瞳が、酷く印象に残る。


 瑠璃姫さまは、くあぁ~っとアクビを一つする。

『何だ、タマではないか。……よくここに来れたな……?』

 よく通る低い声で、瑠璃姫さまは言いながら、周りを見廻した。そこで初めて、瑠璃姫さまは弦月(げんげつ)和尚さまの存在に気づく。


『ああ、弦月(げんげつ)も一緒か。珍しいことだ。……ん?』

 言って、目を丸くする。


『キツネの妖怪……まさか(おす)なのか? これは珍しいな』

 にやりと笑い、こっちに来いと、僕に手招きをする。


 吸い込まれそうなその瑠璃色の双眸が、僕を(とら)えて離さない。

 呼ばれて僕は、おずおずと瑠璃姫さまに近づいた。


『ふふふ。お前は、(われ)の狐火を喰うたのか……?』

 愉快そうに、喉を鳴らす。


 僕は申し訳なくって、くぅんと鼻を鳴らし耳を垂れた。

『……ごめんなさい』


 項垂れた僕を、瑠璃姫は優しく見下ろす。

『喰うて、なんともないのか?』


 首をかしげ尋ねられて、僕は困ってしまう。

 だって見れば分かるだろ? 光ってんだもん……。

『……体が光って、困っています』


『違いない……』

 言って、瑠璃姫さまは、くくくと喉を鳴らした。

 ゆっくり鼻面を、僕の方へ向ける。


『いやいや、そうではない。本来ならば、(われ)の狐火を食うて、無事であるはずはないのだがな……? 体はどうもないのか?』

『?』

 言われている意味が分からず僕は首を傾げる。

 すると瑠璃姫さまは、『さてはお前は、ただの狐の妖怪ではないな』……と、言いながら、僕をペロリと舐めた。


『うひゃあ!』

 僕は、くすぐったくて、身を(よじ)る。

 その様子を見て、瑠璃姫さまは笑い、嬉しそうだ。


『静かにしていろ、()()(われ)が舐め取ってやるゆえ……』

 言いながら、前足で僕を押さえつけ、ペロペロと舐め始めた。


 黙ってろと言われても、くすぐったくて、かなわない。

 僕は目に涙を溜めて、笑い転げた。

『あはははははは……っ! わははははは……』


 逃げようにも、体の上には瑠璃姫さまの大きな前足が乗っかっていて、正直、息をするのも大変だ。

『あ、あぁ、……瑠璃、姫さま……。ひ、ひぃ〜。く、苦し。苦しい……』

 僕は呻く。

『しょうがないであろ。お前が喰うからいかんのだ』

 瑠璃姫さまに容赦はない。



 しばらく舐められて、僕は笑い疲れ、ぐったりとなった。

 も、もうダメ……。それに腕……瑠璃姫さまの腕が、めちゃくちゃ重たいです……。僕は唸る。


『お? おぉ、そうであったな。すまぬ。すまぬ。……けれどこれで、いくらか落ち着いたであろう……?』

 言って、その腕をどけてくれた。


 一気に体が軽くなる。

『はい……でも、もう笑い疲れました……』

 一通り舐められ、体は光らなくなったけれど、笑いすぎて力が出ない。

『……もう、ダメ……』


 ぐったりと長くなる僕を、瑠璃姫さまは小さく笑いながら横目で見る。けれどすぐに真面目な顔で、弦月(げんげつ)和尚さまに向き直った。


『このキツネは、どうしたのだ? また、(われ)のように封じる気なのか……?』

 少し怒気を押さえるかのように、震えた声でそう尋ねた。

 《封じる……?》

 僕の耳がピクピクと反応する。


 和尚さまは、そんな瑠璃姫さまを見て、小さく溜め息をつくと静かに口を開いた。


「……封じるつもりなどありはせん。(わし)にはもう、そんな力は無い。そんな気力もない……苦労を掛けるのは、お前一匹で十分であろう……?」

 言って、九尾をふり仰ぐ。


(わし)の最大の罪は、お主を封じたこと。……例え、騙されていたとしても、この罪は消えぬ……。いや、……神が許したとしても、この儂自身が、生涯己を許さぬ……」

 そう言って、苦しそうに眉を寄せた。


「あの時もっと、お主の話を聞くべきだったのだ……」

『……和尚さま……?』

 何かあったのだろうか? 《封じる》……など、穏やかな話ではない。けれど二人の仲は、そうギスギスしたものでもなかった。

 瑠璃姫さまは、和尚さまを(なじ)っているようにも見えるけど、労わっているようにも見えた。


 過去を後悔するかのように、和尚さまは苦しげな表情を浮かべて、その姿を見て、瑠璃姫さまは優しく笑う。


『何を今更……。人と言うものは、話を聞かぬものだ。そこが面白くもある』

 優しくそう言って、和尚さまを見下ろした。


「……」

 弦月(げんげつ)和尚さまは、……けれど黙り込む。

 瑠璃姫さまは、はぁ……と溜め息をつく。


『お前の。……人の人生など、(まばた)き程度しかないではないか。(われ)をここに留めてはおるが、それはほんの一瞬の出来事でしかない……。気に病むな』

 言って、和尚さまに、ふっ……と息を吹き掛けた。


 パラパラと粉雪が舞う。


 瑠璃姫さまの妖力で出来た、キラキラ光る粉雪。

 瑠璃姫さまは機嫌がいいと、よくこの粉雪を降らせるのだと、後からタマが教えてくれた。

『うわぁ。綺麗……』

 粉雪はとても綺麗で、僕は思わず溜め息を漏らす。



「!」


 目が見えない弦月(げんげつ)和尚さまにも、この粉雪が分かったようで、ハッとしたように顔を上げた。見えなくも、触れさえすれば、その粉雪を感じることが出来る。

 懐かしむように和尚さまは微笑んで、その粉雪を愉しんだ。


 粉雪は和尚さまの手に触れると、ふわりと消えた。

「……」

 和尚さまは溜め息を吐く。


「昔はそなたの作るこの粉雪が大好きで、《出してくれ》とよく強請(ねだ)ったものだな……」

 若かりし頃の自分を思い出したのか、和尚さまはそう言って、少し微笑んだ。


『お前が気にすることなど、何もなかったのだ』

 ポツリと瑠璃姫さまが呟く。

 和尚さまのその微笑みを、優しく見護った。


『だから、もう……何も、気にするな……』

 瑠璃姫さまは再び、前足に頭を乗せる。

 そして、言葉を続ける。


『……しかしな、弦月(げんげつ)。このキツネはまだ子どもだ。狐火を喰うて、無事であったからには、いずれ(われ)のように九尾になるやも知れぬ。が、まだ幼い。今、(われ)のように封じれば、死んでしまうぞ……?』


「……」

 言われて弦月(げんげつ)和尚さまは、真顔で黙り込んでしまう。

 でもちょっと待って!

 今のって、ものすごく大切な話だよね!? 僕は飛び上がる。静かに寝てる場合じゃない……!

『ねぇ! それって僕も、……僕も九尾になれるの……!?』

 ピョンと飛び起きて尋ねた。

 ついさっきまで、九尾は女の子限定のなのではと、心配していたところだ。それに瑠璃姫さまは、言ったじゃないか《(おす)の妖狐は珍しい》って。だから僕は、半分諦めてた。

 (おす)じゃ九尾になれないんだろうなって。

 だけど、だけど今、瑠璃姫さまはなんて言った? 自分のように、九尾になるかもって……!!

 瑠璃姫さまのその言葉に、僕には希望が見えた気がした。


『!』

 僕のその言葉に瑠璃姫さまは、深い青色の目を細めた。

『おや? お前は九尾になりたいのか?』

『うん! だって瑠璃姫さまは、とてもキレイだもの!』

 パタパタと白い尾を振る。


『そうか、そうか。それならば、(われ)が九尾になる方法を教えてやろう』

 瑠璃姫さまは、優しく微笑む。


『本当!?』

 僕は素直に喜んだ。


「……」

 けれどそれを聞いて、弦月(げんげつ)和尚さまもタマも、渋い顔をした。

『瑠璃姫さま……よろしいのかニャん? こいつ、多分意味、全然分かってニャいニャん』

 呆れた声で、タマが言った。


 瑠璃姫さまは、横目でそんなタマを見る。

(われ)の狐火を食ったのだ。どのみち、こやつは九尾になってしまうだろう。なにも分からぬままでなるより、己が何者であるか自覚してなる方が、いくぶんマシであろうからな……』


 瑠璃姫さまの諦めにも似たその言葉の響きに、誰からともなく、悲しげな溜め息が漏れた。

 ん? ちょっとどういう事? 僕が九尾になると、何か困るの……? 僕は思わずムッとする。



 だけど僕はこの時、知らなかったんだ。

 《九尾》ってのには、秘密がある。


 世間一般には、悪評を響かせ、基本祓う対象になるのが九尾なんだって。

 瑠璃姫さまも、そうした()()に振り廻されて、封じられた妖怪(ひとり)なんだって。

 んー。でもおかしいよね? 間違えって分かったのなら、封印を解けばいいのに……。

 そう和尚さまに言ったんだけれど、和尚さまは悲しげに微笑むだけで、一言そうだねって言ったっきり、黙り込んでしまった。


 九尾になる……。

 それは、瑠璃姫さまと同じ、封じられる道を歩むかも知れない……と言うことに他ならない。


 この時まだ幼かった僕は、そんな事までは、まるで考えてはいなかった。ただ、本当の事を知るのは、これからずっとあとの事で、その時になって僕は初めて、瑠璃姫さまや、和尚さまの苦悩を知ったんだ。


 この時周りにいる大人たちは、そんな僕の未来が薄々分かっていた。

 けれどそれを伝えることが出来ない。僕が小さかったから。悲しませたくないって思ったんだと思う。


 けれど僕は、この日瑠璃姫さまの狐火を飲み込んでしまった。

 だから九尾になる確率はとても高い。


 僕以外の三人は顔を見合わせ、深い溜め息をついていた。


 薄暗く、凍るように寒い古寺の地下洞窟で、何も知らない僕だけが、ただただ嬉しくって、その場をはしゃぎながら跳ね廻っていた。





 × × × つづく× × ×


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