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17 公爵家との婚約

 父は、さすがに婚約の書類にはサインした。これまでお母様に私のことを全て任せてきたが、この書類には父のサインが必要だ。


 何故なら、婚約と同時に私は公爵家に引き取られて、必要な花嫁修行に勤しまなければならない。


 庶民のそれとは違う。王家の方や、伯爵家より家格が上の貴族の方々とのやり取りや、時に外交も必要になる。そういった作法などの花嫁修行だ。


 書斎で父と向き合っている。執務机を挟んで。父は書類に目を通すと、迷いなくサインをした。


「……シェリル」


 それは、もう、いつから聞いてなかった声だろう。


 最後に聞いた時よりずっと老けてしまったような、掠れた声だ。でも、ずっと昔にそう呼んでくれた時と同じ声でもある。


「……幸せに、なりなさい。……愛している、これからもずっと。何か辛い時には、帰ってきていい。その時こそ……私がお前を守る」


 まるでずっと喋れなかった人が初めて話すようなたどたどしさで。


 泣きながら父は私に書類を渡した。


 やめてほしい。私は父との距離を開けることに慣れてしまっているのに。社交界デビューの日に、私を見てくれただけで充分だと思っていたのに。


「かならず、幸せになります。だから、お父様……、心配なさらないで。そして、お願いです……、お父様、お母様とジュールを、私に向けるよりずっとずっと愛して守ってください」


 私は父の言葉に素直には肯けなかった。当たり前だ。もう何年も会話もしていなかったのだ。守るなんて言われても、それをしてくれたのはお母様だ。


 そして、そんなふうに私とジュールを愛して育ててくれたお母様に愛を向けない父は許せない。


「すまない……、その言葉は、必ず守る」


 抑えきれない涙に目頭を抑えた父は、本当に老けてしまった。しかし、最後の言葉には安心できた。


 私を愛してくれてありがとう。だけど、あなたと私の間には取り戻せない距離がある。私を守ってくれていたのは、お母様だから。


 私は書類を受け取って礼をすると、執務室を出た。扉の前で少しだけ涙が溢れたが、それを拭ってお母様とジュールの所へ行く。


 2人に婚約が決まったことを書類を見せて話す。ジュールは心からのおめでとうと、以後は許されないからと子供の頃のように頰に口付けを。


 ずっと私にわからないように私を守ってくれていたお母様と抱擁を。


 書類を届けさせると、向こうからも同じように書類が届いた。婚約成立だ。


 私は家を出る支度に取り掛かった。3日後には公爵家に入る。


 家具を持っていっても仕方がないし、衣類は恥ずかしくないものばかりだから持っていくことにして……、化粧品も忘れてはいけない。減ったら、今度は自分で買い足そう。


 本当のお母様のお下がりのドレッサーに映った忙しそうに働く私。


 ユーグに愛されているからか、お母様の懺悔を聞いてしまったからか、私は私の顔に可愛いとか可愛くないとか、そんな感情が湧かなくなった。


 いや、可愛くないとは思っている。そう簡単に言葉の呪縛は落ちたりしない。けど、ふとしたとき、本当のお母様に見えるようになったと言う方が正しい。


 私が覚えている本当のお母様は、綺麗な人だった。


 鏡に映っているのは間違いなく『可愛くない』私。だけど、同時に『綺麗な本当のお母様』。


 不思議な感覚だ。私はいつか、お母様に聞けるだろうか。


 ——私はそんなに醜いですか?

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