静かに壊れる音
カオウの機嫌はすこぶる悪かった。
奉仕活動には自由時間がまったくない。
瓦礫の撤去、建物の修繕、道路の舗装などなど、繊細な魔力操作が必要な魔道具の扱いに関してカオウは別格なため、引っ張りだこなのだ。
三日目の今日の現場は、本島からもデロス島からも離れた、観光地でもなんでもない小さな島。
地震の被害自体は軽微だったが、近隣の島から船が出ず孤立してしまったため、サイロス軍数人と共に支援物資を届け、ついでに家の補強や、がけ崩れの恐れがある斜面の固定作業を手伝っている。
数件の壁の補強を終えたトキツが様子を見に近づくと、広範囲の斜面に薬剤を塗りたくっていたカオウに睨まれた。
「なんで俺がこんなこと」
「まあまあ、これで終わりなんだし、頑張ろう」
「明日帰るなら今日くらい休んだっていいだろ。だいたい、俺がいなかったら儀式は失敗してサイロスはもっと滅茶苦茶になってたってのに、なんで罰与えられてるのか意味わかんねえ」
「それはそうだけど……。サイロス軍だって手一杯なんだし、動ける奴が動かないと」
実のところ、儀式で大勢のサイロス軍が命を落としたとはいえ、州全体からすれば一部にすぎない。
さらに他州からの援助もあるため、手が足りないわけではなかった。
しかしトキツは、仕事をしていないと妖魔のことを思い出して気が滅入る。
正直、カオウのお目付け役として一緒に行動している身としては、カオウが罰を受けてくれて少しほっとしていた。
――などとは、口が裂けても言えないが。
「つーか、そもそも儀式なんてまどろっこしいことやってるから悪いんだ」
「ちゃんと意味があるんだよ」
「いーや。今回のは絶対大げさにしてるだけだ。火つけるだけなら陽の光じゃなくてもいいんだから、さっさとつけりゃよかったのに」
「大声で言うなって」
一緒に来ていたサイロス軍にギロッと睨まれる。
サイロスの人々にとって儀式の手順は守るべきもので、トキツにもその考えは理解できるが、カオウには無意味に映るらしい。
「ほら。ちょっと休憩したら」
トキツは茶の入った筒をカオウに渡した。
カオウは作業を中断することなく、そこそこ大きな魔道具を片手で器用に操りながら受け取る。
飲み終えたカオウは苛立ちを隠さず息を吐いた。
「なんでこんなちまちま塗らなきゃいけないわけ。もう一台とって。両手でやる」
「いやいや、それ普通は両手使うものだから。俺は今お前が片手でやってて驚いている」
「軽いんだからトキツでも持てるだろ」
「重さの問題じゃなくて。魔力操作が難しいんだよ」
噴射と同時に薬液に混ぜた微細な鉱石へ魔力を通し、斜面に均一に定着させる必要があるため、この魔道具は本来、両手で支えて慎重に扱うべきものだ。
片手で操作すれば魔力の流れが乱れ、最悪の場合は薬液が暴発してしまう。
ところがカオウは、まるで玩具でも扱うかのように片手で操り、他の作業者の三倍の速さで職人並みに仕上げていた。
「あ、飛びながらやった方が早いかも」
「人間は空飛べないからなー」
「あーもうやだ」
カオウはポイっと魔道具を放り投げた。
ガチャンと大きな音がしたため、近くにいたリーダー格の男性がすぐさま駆け寄ってくる。
「ばかやろう! 壊れたらどうするんだ!」
カオウは無視して歩き出す。
男はカッとなって肩をつかんだ。
「とっとと作業に戻れ!」
「邪魔」
ゾクリ、と鳥肌が立つ。
男の手は恐怖で震え、カオウが去ると糸が切れたように崩れ落ちた。
トキツは慌ててカオウを追う。
いつもなら宥めるところだが、今はできない。
恐ろしかった。
仕事柄人の殺気には慣れている。
けれどもカオウのそれは殺気とは違った。
突然巨大な化け物が目の前に現れたような、少しでも動いたら踏みつぶされてしまいそうな、圧倒的な強者を前にした恐怖に一瞬で飲み込まれた。
(どうしたんだカオウのやつ。魔力不足ってわけじゃなさそうだけど)
どうしたものかとトキツは首の後ろをかく。
皇帝から奉仕活動を命じられた直後は、ここまで苛立ってはいなかった。
渋々ではあるものの、頼めば比較的素直に動いてくれ、普段なら触れることもない工事用の魔道具を楽しそうに操っていたことすらあったのだ。
しかし、本来の目的である精霊のイヴェが手に入ったのに遊びにいけないのは、相当ストレスだったのだろう。
奉仕活動自体は皇帝の命令とはいえ、見知らぬ人間に高圧的に命じられるのも良くなかったかもしれない。
段々と虫の居所が悪くなり、上官の命令を無視するようになった。
それでも昨日はまだトキツがフォローすれば機嫌を直す余地があったが、今日は最初から仏頂面で、刺すような気を放っている。
(ツバキちゃん不足かなー)
それならば解決策ははっきりしている。
どうせ今日はもう奉仕活動を続けるのは無理だ。
午後はふたりでゆっくりできる時間を作ってもらえるよう、女官に頼んでみるか……とトキツが頭を悩ませていると、前を歩いていたカオウが突然止まった。
いつの間にか、暗い森の中に入っていた。
普段から人が入る場所ではないらしく、風の通りも悪いのか、腐った落ち葉が堆積した嫌な匂いが充満している。
どことなく嫌な感じがした。
「トキツ。あれ見えるか?」
カオウが指したのは木の陰。
とはいえ、どこもかしこも木ばかりなので、そこが他と何か違うようには見えない。
トキツが否定すると、カオウは不満そうに目を細めた。
「ふーん。あんたに見えないなら、憑かれるのも仕方ないのかもな」
憑かれる? とトキツは訝しげに首をひねる。
カオウは自分の空間から鉱石を二つ取り出した。
一つはよく見かける、魔力を込めると火がつく鉱石。
それらをまとめて木の陰へ投げ込む。
火が上がるのを睨みつけたかと思うと、カオウはいきなり怒鳴った。
「おいヒッヒー! 聞こえてんだろ。結界の綻びだろこれ。さっさとなんとかしろ!」
数秒後、火がチリっと一瞬爆ぜた。
風もないのに、まるで何か躊躇っているように揺れる。
妙な間が空いたあと、ぼうっと急に火力が上がり、隣の鉱石まで燃えた。
(なんだ……?)
淀んでいた空気がふっと薄らいだ気がした。
トキツの背中を嫌な汗がつたう。
「今投げた石って……まさか、儀式で使ってた女神の火……?」
「ああ。転がってたやつをくすねといた」
トキツはあんぐりと口を開けた。
儀式でトーチからばらまかれた石のことだろうが、いつのまに盗んだのか。
「さっき、結界の綻びって言ったよな? どういうことだ? ヒッヒーっていうのは?」
「綻びは綻びだよ。ヒッヒーは最高位の火の精霊」
「ふあ!?」
素っ頓狂な声を上げたトキツを、カオウはめんどくさそうに一瞥する。
そして。
「今見たことあいつに言っといて。俺はもう帰る」
こめかみをぐりぐり押しながら投げやりに言うと、そのまま姿を消した。
「えっ。ちょっ。おい!」
あいつとは皇帝のことだろう。
”今見たこと”というのは、おそらく――結界の綻びを見つけ、最高位の火の精霊を呼びつけ、女神の火を使って塞いだ、ということだ。
そこまではなんとなく理解できた。
理解はできたけれども。
「サイロスにいるのに、どうやって陛下に伝えればいいんだ! 詳しいこと聞かれても答えられないし! おーいカオウ、戻ってくれえええ!!」
当然ながら、カオウは瞬間移動したのでいない。
トキツの声だけがむなしく森に響き渡った。
瞬間移動で本島の宮殿へ戻ったカオウは、ツバキのいる部屋へ続く廊下を歩いていた。
そのまま部屋へ飛んでもよかったのだが、怒りが収まらないまま会うのは良くないと思い、少し落ち着く時間を取ることにした。
深く息を吸い込む。
ジェラルドに怒られることは覚悟していた。
龍の姿で雷を降らせることに慣れていなかったとはいえ、妖魔を撃退した際、力加減を誤った自覚はあるからだ。
だが罰を受けるとは思っていなかった。
それも面倒な奉仕活動。
しかも、あくまで軍の人間として参加しなければならなかったので、かなり行動が制限された。
先程のリーダー格の男の顔が脳裏に浮かぶ。
カオウは自分より弱い人間に命令されるのが大嫌いだ。
ジェラルドは臣下になると約束したし、ツバキ関連ならば腹も立たないが、今回はまったく関係がない。
(兵士たちを巻き添えにしなかっただけ、ありがたいと思えってんだ。罰じゃなくて褒美与えるべきだろ)
怒りが消えないのでもう一度深呼吸してから、とにかく午後は好きに過ごそうと決めた。
(ツバキに会ったら、とりあえず瞬間移動して街へ行って……)
サイロスに来る前に読んだ旅行案内に載っていた島に行きたいが、地震の影響が残っている場所もあるかもしれない。
ならば、本島内にある店を回る方がいいだろう。
本島も倒壊はあったが、修復は早く、そろそろ営業を開始しているはず。
そう思えば奉仕活動一日目に頑張った甲斐があったというものだ。
(ツバキが好きそうな雑貨を売ってた店あったよな。あ、うまそうなデザートもどっかで見たな。帝都にない果物とか、もちもちした丸いやつが乗ってるんだったっけ)
海の上をツバキと飛ぶのも面白そうだ。
夕陽が海に沈む景色はまあまあ綺麗だし、ツバキもきっと気に入るだろう。
などと想像していると笑みがこぼれ、足取りも自然と軽くなる。
ふと、近づいてくる気配に気づいた。
ツバキだ。
カオウは嬉しくなって、はやる鼓動のまま角を曲がった。
「あっ。カオウ」
こちらに気づいたツバキが満面の笑みを向ける。
「奉仕活動はどうしたの?」
「もう終わった。今から街へ行こうぜ」
隣に女官がいるが無視だ。
小言を言われる前に瞬間移動してしまおうと、ツバキの手を取る。
だが――。
「ごめんねカオウ。今からお兄様と食事するの」
ツバキがはにかんでそう言った。
(は?)
よく見ると、ツバキは薄い水色の細身のドレスを着て、何か意味があるのか、胸元に黒い真珠の小さなブローチをつけていた。髪は三つ編みに結いあげ、化粧もしているようだった。
外出禁止のはずなのに。
「明日帰るんだろ。今日しか観光する時間ないんだから、一緒に行こう」
「お兄様、午後はお休みを取ってくれたの。次いつ会えるかわからないし……観光は今日はやめとく。カオウとならいつでもいけるじゃない」
カオウは愕然とした。
ツバキからライオネルとのことは聞いていた。
ずっと謝ろうとしてくれていたのだと。
しかし、今さらそんなことを言われたところで、信じられるわけがない。
どうせいつものように、期待していたようにいかず、結局泣いて戻ってくるに決まっている。
そう思っていたのだ、昨日までは。
(昨日は……会う時間がなかったって……言ってたのに……)
今のサイロスの状況を考えれば、州長官は多忙のはず。
カオウだって働かされていたくらいなのだから。
(なのに。なんで)
カオウは拳を固く握った。
近くで女官がツバキへ移動するよう促す声が聞こえる。
ツバキが何か言った気もする。
カオウの頭は思うように動かなかった。
遠ざかっていく気配を追うこともせず、ただ、立ち尽くす。
心臓が握りつぶされたように痛んだ。
ドン!
壁を思い切り叩きつける。
拳を中心に、天井から床へひびが走った。
「また……ツバキの大事なものが増えた――」
カオウが大切なものはツバキだけだ。
ツバキは、そうではない。
認めたくない事実が心を蝕み始める。
もやがかかったように、思考が黒く黒く、浸食されていく。
――ツバキヲ……ニ。エイエンニ、イッショニ……。
闇の中で、それがささやく。
カオウはぼんやりしたまま、輪郭が薄れていくように、静かに姿を消した。
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