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交わる想い

 上質な白い紙に文字を書いていく。

 途中で間違えては書き直し、内容にダメ出しされては書き直し、書き損じてはまた最初から。つい皇帝の悪口をこっそり綴って怒られたこともあった。

 集中力がまったく続かない。

 なぜか。

 それは言うまでもなく、デロス島の報告書を書いているからである。

 ジェラルドにはすでに州長官であるライオネルから仔細な報告がなされたというのに、だ。


「私から書くことなんて、何もないじゃない」


 ツバキはむうと頬を膨らませた。


「セイレティア様の視点での報告もお聞きしたいのでしょう」


 横で監視するアベリアが淡々と答える。


「これで済んでよかったではありませんか」


 儀式の翌日、つまり昨日、ツバキとカオウはジェラルドに呼び出された。

 場所は交鏡のある州長官執務室。

 ライオネルはおらず、それゆえに、二人は部屋に入って開口一番怒鳴られた。

 デロス島がいかに重要な場所か、歴史的価値についてコンコンと説明され、龍の姿で派手に登場したカオウをネチネチなじり、重要文化財まで焼失させたことをガミガミ説教されること二時間。その間、ツバキたちが口を挟む隙など一切ない。

 そして罰として、カオウはサイロスでの奉仕活動、ツバキはしばらく外出禁止。ついでに報告書をしっかりきっちりまとめることを命じられた。


「私もカオウと同じでいいじゃない。サイロスは今大変なのでしょう?」


 デロス島の地震は、他の島々にも影響があった。

 幸い妖魔は出なかったが、建物の倒壊により重傷者が多数出ているらしい。

 カオウはサイロス軍とともにその復旧に駆り出されているのだった。


「私も手伝った方がいいんじゃないかしら」

「セイレティア様は外出禁止です」

「でも……」

「外出禁止です」


 無表情で圧をかけられる。

 非常に怖い。

 侍女たちがアベリアの背後からひょっこり顔を出した。


「本当に心配していたんですよ。せっかく無事に戻られたんですから、部屋でゆっくりしてください」

「そうです。ツバキ様なら、本気を出せばすぐに終わるのですから、頑張りましょう」

「終わったら、おいしいおやつがありますよお」


 侍女たちに励まされ、ツバキは泣く泣くペンを走らせる。

 しばらく無言の時間が流れ、ようやく終盤に差し掛かったころ、部屋をノックする音がした。

 応対したサクラが戸惑いの表情を浮かべながら戻ってくる。


「どうかしたの?」

「お茶会のお誘いです。……州長官夫人から」

「え……」


 動揺でペンを落とした。書きかけの紙が黒く滲んでいく。

 ライオネルの妻からの、突然の誘い。

 サイロスに来て約二週間、まったくなんの関わりもなかったというのに、なぜこのタイミングなのかわからない。

 それでも断るわけにはいかず、ツバキは承諾した。




 夕方、約束の時間になり夫人の侍女に案内された場所は、宮殿の最上階にある州長官夫妻の私室だった。

 親しくない相手とのお茶会にはあまりにそぐわない場所で、ツバキは困惑する。

 しかも案内してくれた侍女はそのまま下がってしまい、中には夫人一人だけがいた。

 彼女は青みがかった黒髪の巻き毛をゆったりと束ね、服装も長く幅広いドレスで、上に黒いショールをかけて座っていた。くっきりとした目元に穏やかな笑みを浮かべてツバキを出迎える。


「お久しぶりでございます、セイレティア様。こんな場所で申し訳ありませんが、どうかおかけください」

「ありがとうございます、夫人」


 ツバキが優雅に礼をすると、夫人は少し寂しそうに笑った。


「どうぞフローティエとお呼びください」

「フローティエ、様」


 勧められるままツバキは腰を下ろす。

 用意された茶は爽やかな香りがした。

 無言のまま互いに一口飲むと、緊張して乾いた喉を潤してくれる。

 ツバキはまたこくりと飲む。

 何を話して良いのかわからない。

 ふと、違和感に気づいた。

 ドレスがゆったりしていて気づくのが遅れたが、彼女のお腹はすっきりとしていた。

 けれども彼女は現在、妊娠中のはず。

 膨らみがない理由はすでに出産したからかと思うが、彼女の表情は喜びに満ちたものではなかった。


「セイレティア様」


 緊張を孕んだ声に呼ばれて顔を上げる。

 彼女はカップを置き、ツバキに向かって深く頭を下げた。


「今日までご挨拶できなかったこと、本当に申し訳なく思っております。事情をお伝えすることもせず、大変失礼いたしました」


 顔を上げたフローティエはまっすぐにツバキを見つめる。

 ツバキは飲み込んだ茶の味が急に苦くなったように感じた。


「実は、二週間ほど前に……我が子が天界へ旅立ちました」

「…………!」


 二週間前は、ツバキがサイロスに到着したころだ。

 出産報告もなかったということは、産む前、もしくは出産中に。

 動揺を隠せないツバキに寂しげな笑みを返して、言葉を続ける。


「サイロスは大切な儀式を控えておりましたので、ごく一部の者しかこのことは知りません。ですので、セイレティア様にお会いすることもできませんでした」


 フローティエは再び頭を下げた。


「あ、頭を上げてください。あの……フローティエ様の、お身体は……」

「治癒魔道士の治療を受けておりますから」


 フローティエは口角だけを少し上げ、伏し目がちにカップに視線を落とす。


「今のサイロスの状況が落ち着いたら公表いたします。セイレティア様にはその前にお伝えしたかったのです」

「なぜ、ですか。私にそんな。兄は……」


 ツバキは早くなる鼓動を抑えるように胸に手を当てた。

 ライオネルならツバキに知られることを良しとしないだろう。

 そもそも、私室に入られること自体不快と思うはずだ。

 おそらくこのことはフローティエの独断。

 また嫌われてしまう、と思ったツバキの心臓がギュッと痛む。

 フローティエはゆっくりとカップを持ち上げ、また一口飲んだ。


「私は以前から、セイレティア様とお話ししたいと思っておりました。光栄にも家族になるのですから」

「…………」


 常にライオネルの隣にいたため、話しかけられる雰囲気ではなかったのだろう。

 そう考えたツバキの表情を捉えたフローティエは、躊躇いがちに口を開く。


「その……。彼と出会うまで、私はサイロスを出たことがありませんでした。ですから、お二人の噂は帝都に来てから知りました」


 帝都では、兄妹の仲が悪いという噂は昔から言われていることだ。

 特に、兄が妹を嫌っていると。

 ツバキは自嘲気味につぶやく。


「本当のことです。兄は、私を嫌っています」

「いいえ、嫌ってなどいません」


 ツバキはパッと顔を上げた。

 しかし反応してしまった自分の心に影が差し、すぐに視線を下げる。

 フローティエには確か弟が一人いると聞いたことがある。きっと仲がいいのだろう。そうではない兄妹がいるなど考えられないのだ。


「……私は、兄から母を奪ったから……」

「それは違います。あの人は、後悔しています。貴女に何の非もないのに、ひどく傷つけてしまったと」


 ズドン、と影がさらに重くのしかかった。

 フローティエの声が続く。


「今さら自分から歩み寄る資格はないと、諦めてしまっています」


 すっと上げられた真摯な瞳に見つめられ、ツバキの目が揺れる。

 心が重たい影に包まれて沈んでいくようだった。

 耳を塞いでしまいたいのに、手が動かない。


「セイレティア様。このようなことをお願いするのは、おこがましいこととわかっております。けれど……どうか、ライオネルと話す機会をつくっていただけないでしょうか」


 ツバキは服を強く握った。

 頭が、心が、追いついてこない。

 確かに、儀式の兄の態度から、嫌われていないのではと微かな望みを持った。

 けれども一晩寝てしまえば、あれは周囲の目があったからかもしれず、また冷たくあしらわれるのだろうとも思った。いや、そうに違いないから、そう扱われても傷つかないようにしようと決めていたのだ。


(それなのに――)


 フローティエの言葉で、ツバキの決心がぐらりと揺れた。

 幼いころから、何度も歩み寄ろうとして、何度も傷ついてきた。それを今さら後悔しているなどと言われても、信じられるわけがない。しかも本人ではなく、赤の他人から。


(この人は、どうして)


 治癒魔法士が癒せるのは体だけだ。子を失った悲しみは、たった二週間で消えるはずがない。

 その状態で、こんなことを言い出す彼女が理解できなかった。

 沸々と怒りが込み上げてくる。

 なぜ、親しくもない相手に言われなければならないのか。

 散々拒絶された側に、またさらに歩み寄れというのか。

 やんわり断ったとして、罪悪感が残るのはこちらだ。


(余計なお世話だわ)


 差し出がましく、不愉快だと言ってやりたかった。

 しかし、今の彼女に吐き出すことはできない。

 

(……気持ち悪い)


 心を包む影が、異物を排除するようにせり上がってくる。

 呑み込むべき感情が呑み込めない。

 ツバキは片手で口を押えて立ち上がった。


「――今日は、失礼いたします」


 震える声でそれだけを絞り出す。

 フローティエが立ち上がる気配がしたが、ツバキは顔を見ることができなかった。

 ただ、この場から離れたかった。

 扉へ向かい、手を伸ばす。

 同時に、外側から扉が開いた。


「…………!」


 ライオネルだ。

 驚愕して目を見開き、ツバキとフローティエへ交互に視線を動かす。

 今日も仕事に追われていたのか、憔悴しきった顔をしていた。

 儀式以来の対面に、ツバキも動揺する。

 彼は儀式の最中、どんな気持ちでいたのだろう。

 母を亡くし、姉を亡くし、さらに子まで。


(そんな人に、私は何を言えばいいの?)


 兄は疲れた顔に困惑を浮かべたまま、どう動いていいかわからず立ち尽くしている。

 ここは兄の部屋なのだから、何か言えば良いものを。

 言うことがないのならば、扉の前からどけばいいものを。

 それとも、こちらから部屋に立ち入ったことを謝ればいいのだろうか。そう考えたツバキは無気力な瞳で儀礼的な笑みを張り付けた。


「申し訳ありませんでした……生まれてきてしまって」


 直後、ライオネルの顔が蒼白となる。

 ツバキは兄の反応を見てようやく、自分が何を口走ったか気づいた。

 全身が冷たくなる。

 無理やり兄の横をすり抜けようとすると、手首を掴まれた。


「お前が……謝る必要など、ない」


 消え入りそうな声で告げられた瞬間、ツバキの胸の奥で何かが弾けた。


「では、誰が謝るのですか」


 ライオネルが目を見開く。


「私が……どれだけ傷ついたかわかりますか? どうして私は、貴方のことを……イリェーネや、フローティエ様から聞かされなければならないのですか?」


 一度口を開いてしまったら、止まらなかった。吞み込んでいた感情が一気にあふれ出す。


「私を少しでも……ほんの少しでも、気にかけてくれていたのなら……。どうして私は、貴方に長年無視され続けてきたのでしょう。話しかけても……冷たく……あしら……われて……」


 涙があふれてきた。

 嗚咽が込み上げ、我慢しようとすればするほど、息をするのが苦しくなる。


「どうして何も……言って、くださらないの……ですか。私は……ずっと……ずっと、お兄様を……」


 最後はほとんど息のような声になった。

 立っていられず床に座り、片手で顔を覆う。

 もう片方はライオネルに掴まれているため、隠しきれないのがひどくもどかしい。


「…………」


 ライオネルは狼狽えるばかりで、すぐさま答えられなかった。

 ツバキの肩に触れようとして、できずに止まる。

 ただ、勢いで掴んでしまった手だけは離さず、そっと握りなおした。


「……そんな……も……ない」


 ポツリとつぶやくと、ツバキの横に膝をつく。


「幼かったころ……私は、お前が母を奪ったと思っていた」


 ツバキの肩がピクリと揺れる。


「無事に産める可能性が低いと言われても、お前を産もうとしたことが理解できず……。結局、私や姉も置いて逝ってしまった。……そんな母への怒りもお前にぶつけていた。……少しずつ、お前が悪いわけではないと、考えるようになったが……。頭ではわかっていても、お前を見ると、母を思い出して……」


 ゆっくり、一言一言を確かめるように話すライオネルの息は震えていた。

 ツバキの視界の端に映る姿は、先日よりも小さく見える。


「私が未熟だったのだ。母はただ、産まれた子を、この手で抱きたかった。会いたかった。失いたくなかった。それだけだった。そんな簡単なことに、気づけず……長年、お前を、拒絶してしまった。母と姉を亡くしたのは同じなのに……兄らしいことが……何も……できないまま……」


 ライオネルの両目から、涙が零れた。

 泣いていることにも気づいていないような、静かな涙が彼の頬に流れていく。


「今も、どう接すればいいか、わからないんだ。本当に許されないことをしてきた。今さら謝りたいと思っても、謝ることで、またお前を悩ませるのではないかと……。私には……兄と呼ばれる資格など、ない」


 俯いた彼の口から、呻きにも似た息が洩れる。

 ツバキは胸の奥に渦巻く感情を持て余していた。

 長年傷つけられてきたのだから、謝ってほしい気持ちもある。

 けれども、謝罪を受け取った瞬間、許す許さないの選択を任されるという重荷ものしかかる。

 兄の葛藤も理解できないわけではなかった。

 ただ、「許す」の一言で済ますには、年月がかかりすぎた。


(どうしたいの……私は)


 怒りも悲しみも、兄への思慕も哀れみも、確かにある感情で。

 謝ってほしいのか、ほしくないのか。

 許せるのか、許せないのか。

 そんな言葉で片付けられるものではなかった。

 ひとつ言えるのは、兄に握られた手を振り払う気持ちもない、ということ。


「……私も」


 細い声を漏らすと、ライオネルが顔を上げた。

 同じ碧眼と目が合う。


「私も、どうしていいか、わかりません。……だから、まず……話をしませんか。貴方のことを知りたいし、私のことも知ってほしいです。それから、姉のことも、話したいです。それに……」


 ライオネルの目から新たな涙が零れた。

 顔を歪ませて、ぎこちないながらも頷く。


「ああ。母のことも、話そう。……他にもたくさん話をしよう……セイレティア」


 そう答えて、ツバキの手を両手で優しく握った。

 その手は温かいのに、頼りなく震えている。

 あれだけ冷たかった兄が、表情を崩して泣いている。

 泣き顔が少し似ている、と思った。

 知らないことはまだたくさんあるのだろう。


(……これから、ゆっくり……)


 ツバキは手のぬくもりが、じんわりと胸に広がっていくのを感じていた。

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