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ひだまりのさす方へ



「もしダメでも俺のお嫁さんになればいいよ」


 言った瞬間、自分で自分の言葉に驚いて俺はその場に立ち止まる。

 横から刺さる視線に振り向けば、もともと大きな黒目をさらに見開いた杏奈が立っている。


「えっと、それって……プロポーズみたい……」


 ぽつっともらされた杏奈の声に、瞬間、俺の顔が真っ赤に染まる。

 えっ、わっ……

 なに言ってんだ、俺!?

 心の中で動揺しまくってる俺だけど、見れば杏奈もつないでいない方の手で口を押えて、視線をあちこちに彷徨わせている。手からはみ出している頬はほんのり桃色に染まっている。

 きっと俺は、耳まで赤くなっているんだろうな。

 そんなことをどこか他人事のように考えながら、俺はがしがしっと襟足をかきむしり、それから視線をわずかに伏せて呟く。


「みたいじゃなくて……そうなんだけどな……」


 言ってちらっと視線を杏奈に向けると、杏奈がさっきよりも驚いた表情で俺を見上げている。

 照れくさくって苦笑すると、杏奈が目を何度も瞬いてから俯き、ぎゅっとつないでいた手に力が籠められる。

 俺はその杏奈の小さな手を握り返してやる。

 自分でもなんてこと言っちゃったんだって驚いたけど、その気持ちはすっと俺の胸に溶け込んでいって違和感はない。

 初めて会った時、迷子の子猫のように不安げに瞳を揺らしていた杏奈。

 家庭の事情で不登校になってしまったこと、それでも頑張って学校に来る杏奈の姿はひたむきな強さに満ちていて、そばでずっと守っていてあげたくなった。

 ああ、俺はいつの間にか杏奈のことを好きになっていたんだ。

 杏奈と出会ったのがつい昨日のように思い出せるのに、杏奈とはもうずっと前から一緒にいるような気もする。

 卒業したら、もう会うこともなくなるかもしれないと思ったら、胸の穴が開いたように寂しくて。もし落ちたらどうしようと不安げに呟く杏奈に、俺は気がついたら言ってしまっていたんだ。

 でも、それが俺の本心で。

 コホンッとわざとらしく咳払いを一つして、俺は杏奈の方に向き直る。


「杏奈、俺と付き合ってほしい。卒業しても一緒にいたいって思うくらい、杏奈のことが好きになっていた。専門学校がダメでも合格でも、ずっと俺の側にいてほしい」



  ※



 甘く耳に響く声に、私は自分の耳を疑ってしまった。

 でも、私を見つめる浅葱君の瞳は真剣な光を帯びていて、冗談やからかっている雰囲気ではない。

 それに。

 一緒にいたい――、そう思うのは私も同じ気持ちだから。

 私は一度だけコクンっと首を縦に振る。


「はい……」


 答えた瞬間、「やったぁー!!」本当に嬉しそうな叫び声をあげると同時に、がばっと私に抱き着いてきた浅葱に、驚きを通り越してその場で硬直してしまう。

 耳元に顔を寄せて、喜びになにか言っている浅葱君の声は私の耳を素通りしていく。

 どれくらいそうしていたのか、ひそひそと周りの囁く声と視線にはっとなって、ぎこちない動きで私から離れた浅葱君の顔は耳まで真っ赤だったけど、きっと私も同じくらい赤くなっているんだろうな。


「悪い、つい嬉しくて……」


 歯切れ悪くボソボソっと言った浅葱君に私は首を横に振る。気恥ずかしくて、浅葱君の顔が見れない。


「と、とにかく、合格発表を見に行こうか?」


 浅葱君も照れているのか、途切れ途切れの言葉に頷くと、しっかりと手をつながれて校舎をさらに奥へと進んだ。これからもずっと浅葱君と一緒にいられると思うと、さっきまでの不安が嘘のように軽やかな足取りで掲示板に向かえた。



  ※



 専門学校は無事合格し、卒業式が済んだ翌日に両親は離婚届を出して正式に離婚した。

 母が荷物をまとめて家を出ていく日。父は仕事でいなくて見送りは私一人。兄も夏の日以来連絡はない。

 大きめのボストンバック一つを抱えて玄関を出て道路に立った母は振り返り、なんとも言えない表情で私を見上げた。


「他の荷物は、後で宅配業者に来てもらうか」

「うん」

「それから……」


 そこで言うかどうか迷うように言葉を切って、母は私から視線を横にそらす。

 それがなんだか寂しくて、この時になって私は初めて母がいなくなることが寂しいんだって実感した。

 父と母が離婚しても、一緒に住まなくなっても、私の母はいつまでもお母さんしかいないんだって強く感じた。


「お母さん、メールするね」


 あの日以来、両親の顔をまっすぐ見て話すことも出来なくなった私だけど、精一杯の笑顔で母に笑いかけた。すると、母は一瞬、驚いたように目を見開き、それからくしゃっと泣きそうに顔を歪めて微笑んだ。その笑顔は寂しさと切なさが混じってて、でも、もう見ることも出来ないと思っていた穏やかなあの笑顔だった。

 母が出ていって数日。相変わらず父は仕事が忙しくて顔を会せることがほとんどなかったけど、部屋で荷造りをしていたら、コンコンっと扉が控えめに叩かれて、私は驚く。


「お父さん……」


 扉の外に立っていたのは父だったけど、もう仕事に行っていないと思っていたからちょっと戸惑う。


「どうしたの……? 仕事は……?」

「ああ……、今日は急に仕事が休みなったから、杏奈の荷造りを手伝おうと思ったんだが……」


 視線を彷徨わせて歯切れ悪く喋る父の姿は、いままでのどっしりとした威厳のある父親とはかけ離れている。どう接していいのか困っているというのが伝わってくるけど、荷造りを手伝おうとしてくれる父の優しさも伝わってきて、苦笑してしまう。

 いままで、父から視線をそらしてきたのは私の方だった。

 だけど、今はちゃんと父を見て話すことができる。それだけで、父が私のことをどんなに大切にしてくれているかが分かって胸が詰まる。まぁ、まだおどおどはしてしまうけど。それでも前ように怯えて縮こまっているんじゃなくて、ちゃんと目を見て話せるようになったのは、浅葱君のおかげなんだ。


「お父さん、ありがとう。でも、もう少ししたら浅葱君が手伝いに来るから……」


 なんとなく、父を包む雰囲気がピリピリしてきた気がして、語尾がだんだん小さくなる。


「ああ、そうか……桃原君が手伝いに来てくれるのか。じゃあ、お昼は三人でなにかで前でもとって食べよう」


 そう言って父は何とも言えない苦を浮かべて、踵を返した。



  ※



 専門学校に合格し春から住むアパートを探していたら、浅葱君が一緒に住もうと言い出した。その提案はすっごく嬉しいけど、戸惑うも大きくて。なによりも、浅葱君は大学まで自転車で通える距離なのに、一緒に住むとなると電車通学になってしまうのが申し訳なくて。でも、浅葱君は私がちゃんと一人暮らしできるか心配だって言ってひかなかった。時々、こんなふうに強引なところがあるけど、それは全部、私のためを思ってくれてるんだって分かるから嫌ではない。むしろ、どんどん浅葱君を好きになってしまって困るくらい……

 両親にそのことを話した時、父はすごく反対したけど母が味方になってくれた。

 一緒に暮らす前にちゃんと挨拶をしたいと言って浅葱君がうちに来ることになった時、本当は仕事なのに有給を使ってわざわざ休んだ父が、浅葱君を玄関まで出迎えた。

 慌てて父を追った私は、玄関で父と浅葱君が対峙している場面を見て焦ってしまった。目には見えないピリピリした空気が二人を包んでいてとても険悪な雰囲気だった。

 玄関の外に立つ浅葱君は、父が出迎えたことに驚き、次の瞬間には見たこともない鋭い眼差しで父を睨み付けたんだけど、父が何か言おうとした時、ぺこっと上半身を直角に折り曲げて、深々と頭を下げて挨拶した。


「はじめまして、桃原 浅葱と言います」


 そう言って顔を上げた浅葱君は、いつものお日様みたいなキラキラの笑顔を浮かべていた。

 それからリビングでお茶を飲みながら話をして、反対していた父も、浅葱が私をずっと支えてくれていたことを知って、一緒に住むことを許してくれた。


「杏奈が選んだ男なら大丈夫だろ」


 そう言って。

 アパートは、二人の学校のちょうど中間地点の駅で安い物件をみつけてそこにした。駅から少し離れているけど、ツーDKで破格の値段だし、近くには大型デパートとホームセンターまで会って、住みやすそうな場所だった。

 引っ越しの日。

 生まれ育った家をでることに少し寂しさを覚える自分がいて戸惑う。あんなに嫌悪感でいっぱいだった家なのに、こんな気持ちになれたのは――


「杏奈っ!」


 ちょうど思い浮かべた大好きな笑顔を浮かべて、外から家を見上げていた私の側に浅葱君が駆けてくる。


「走ってきたの?」


 もうすぐ四月だといってもまだ肌寒い日が続いているのに、浅葱君の額にはうっすらと汗がにじんでいた。


「出掛けにちょっとバタバタして……」

「大丈夫……?」

「ああ」


 その声はとっても元気で。すっと瞳を細めて浅葱君が笑うから、私もつられて笑い返す。浅葱君が当り前のように私の手を握って、私も温かくて大きな手をきゅっと握りしめる。


「では、いきますか。新居へ――」


 そう言って走り出そうとした浅葱君の手を引っ張って、驚いて振りかえった浅葱君に頬に、背伸びをして触れるくらいのキスをする。

 感謝の気持ちと大好きって気持ちを込めて。

 私を見下ろした浅葱君は目を大きく見開いて、それからじわっと目の端に涙を浮かべて、ひだまりの笑顔を浮かべた。




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