第5話「星が綺麗に見えるのは」
雷鳴峡谷から帰ったその足で、私たちは冒険者ギルドへ足を運んだ。
もうすでに日は暮れているし、正直疲労もある。
それでも、今日の出来事はあまりに特異だったため、より早く報告するべきだと考えたのだ。
リンも、それに同意してくれた。
メイにウィズさんを呼んでもらい、私たちは本日二度目のギルドマスター室へと訪れた。
そして、人の手が介入しているような痕跡を見つけたこと、さらに未知の地龍の個体が存在したことを伝えると、ウィズさんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「……まず、謝らせてほしい」
ウィズさんは珍しく、言葉を選ぶように一拍置いた。
「君たちを、想定以上の危険に晒してしまった」
そう言って、ウィズさんは静かに息を吐く。
「異常があることは把握していたが、その『未知の個体』の存在までは掴めていなかった。結果として、君たちに危険な依頼を受けさせる形になったこと、謝罪する。すまなかった」
ウィズさんの表情には、責任者としての悔いが滲んでいた。
私は、首を横に振ってから口を開いた。
「依頼の内容が『調査』であった以上、想定外が起きる可能性は私もリンも初めから折り込み済みです」
「……そうか」
謝罪は不要だと伝える私の言葉に、ウィズさんはそう短く答えた。
それ以上の言葉は交わさず、話はそこで区切りとなった。
ウィズさんに現地の記録書を渡し、私たちはギルドマスター室を後にする。
扉を開けた瞬間、外の喧騒が一気に流れ込んできた。
そのまま受付のあるロビーへと行けば、喧騒に熱気が加わる。
昼よりは多少落ち着いてはいるものの、その騒がしさは続いていた。
仕事から切り離されたその空気に、私はようやく肩の力を抜いた。
ふと横を見ると、リンも同じように小さく息を吐いていた。
その小さな息に、今日一日の重さがようやくほどけたような気がした。
私たちはロビーを抜け、出口の重厚な扉に手をかけた。
その時だった。
「あ、あの……!」
後ろから声をかけられる。
振り返れば、今朝二人組の冒険者に絡まれていた受付の少女がいた。
よほど焦って走ってきたのか、その手には何かの書類を抱えたままで、呼吸も少し乱れている。
「なにか?」
少女は一度深呼吸して息を整えると、私とリンの目を真っ直ぐに見た後に、深々と頭を下げた。
「ユーフィリアさん、リンさん。今朝は助けてくださり、ありがとうございました」
突然の言葉に、私は大きく目を見開く。
「……いえ、その……」
口を開いたものの、続く言葉が見つからなかった。
「ありがとう」と言われる場面を、あまり想定していなかったのだ。
役に立つことは仕事だった。
誰かを助けることは当然だった。
でも、感謝されることは——いつからか、縁のないものになっていた。
「大したこと……してない」
リンが、ぽつりとそう言った。
その言葉が、胸の中で引っかかっていたものをすっと撫でる。
リンのその言葉は、ただ——事実として、そこにあった。
「……そうです。当然のことをしただけです」
私は、微笑んでそう言えた。
「……もしかしたら、おふたりはそうおっしゃるんじゃないかって思ってました。でも、どうしても言いたかったんです」
そう言った少女は、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「おふたりとも、とってもかっこよかったです!」
その笑みと言葉に、私の中で小さく何かが肯定されたような気がした。
「呼び止めてすみません。これで失礼します」
少女はぺこりと頭を下げて、受付の方へと戻って行った。
「……褒められちゃったね」
「……うん」
照れ隠しのようにそう話し、互いに視線を合わせた私たちは、少しだけ口元を緩めた。
そして出口の扉に手をかけ直し、今度こそ外へ出る。
喧騒と熱気は後ろへと離れ、代わりに夜の冷たい空気が体を包む。
月明かりが、地面を淡く照らしている。
「リン、見て。星が綺麗だよ」
「……そう、だね」
久しぶりに王都で見上げた夜空は、以前よりも輝いて見えた。
長い一日を終えたから?
胸の奥に余計なものが残っていないから?
たぶん、それもある。
でもきっと、一番の理由は——
「ユーフィリア、と……一緒だから、いつもより……綺麗に、見える」
隣に立つリンが、静かに口にした。
「……私も、リンが一緒だから前より綺麗に見えるって、言おうとした」
リンも同じ気持ちだったことに、照れくささよりも先に確かな嬉しさだけが残った。
「……少し歩かない?」
私の提案に、リンはこくりと頷く。
私たちは歩調を合わせ、街道を歩み始める。
街灯が一定の間隔で並び、淡い光が石畳を照らしている。
遠くで誰かの笑い声がして、どこかのお店の扉が閉まる音がする。
それらすべてが、私たちの歩調より少し遅れて流れていく。
隣に、リンがいる。
それだけで、七年ぶりの王都の道が前とは違う顔を見せた気がした。
「……今日は大変だったね」
「……うん。でも……ちゃんと、終わった」
私は歩きながら、少しだけ考える。
そしてほんの少しだけ迷った後、ぽつぽつと話し始めた。
「……今日、ギルドで、パーティを追放されたって言ったよね」
唐突な話題に、リンが驚いたように少しだけ目を見開いた。
「……うん」
「そのパーティリーダーがね、弟だったんだ。義理だけど」
「……そう、なんだ」
リンは小さく相槌を打つ。
「……在籍中は扱いもぞんざいだったし、別れ際にはひどいことも言われたけど……それでも、全部が嫌だったわけじゃないんだ。拠点でみんなの食事を用意してた時とか、報告書を書きながら他愛もない話をしてた時とか……楽しかった時間も、確かにあったから」
リンは何も言わず、黙って話を聞いてくれていた。
自分でも、なんでこんな話を始めたのかわからない。
でも……リンには、聞いてほしかったのかもしれない。
重い空気を遮るように、私はわざとらしく肩をすくめた。
「今のリンくらいの歳までは、『ユフィ姉ちゃん』なんて呼んで可愛かったんだけどね」
「ユフィ?」
リンが、その名前を小さく繰り返す。
「うん、そう。私が大人になってからは、そう呼ぶ人はいなくなったけど」
言い終えたところで、リンが何か思いついたような顔をする。
「じゃあ……わたし、が……ユフィ、って……呼んでも、いい?」
「……え?」
「だめ?」
リンが眉を寄せて小首を傾げる。
うっ…… そんな顔されて、断れる人類がこの世にいるのか?
いや、いない。
「……いいよ」
そう答えた瞬間、リンの顔がぱあっと明るくなる。
「ユフィ」
「……なに?」
「えへへ……呼んでみた、だけ」
くぅっ……どうしてこんなに可愛いんだ……
リンの可愛さに悶えながら、それから更に少し歩いた。
そうしてギルド本部が小さくなった頃。
ふと、リンの歩みが遅くなった。
「リン?」
心配になって顔を覗き込む。
その顔には、わずかに迷いが浮かんでいた。
「……わたし、が……」
そこで言葉が止まる。
だが、リンは意を決したように再び口を開いた。
「わたしが……冒険者を始めた……理由、のこと……」
「お母さんに会うため、って言ってたこと?」
リンが一つ頷く。
「わたしの、お母さん……強くて、優しくて……かっこよかった、の……」
「……そうなんだ」
リンは、言葉を探すようにゆっくりと続ける。
「だから、わたし、も……冒険者に、なって……」
いつもよりも途切れがちではあるけれど、リンの言葉は止まらなかった。
「Sランクに、なって……有名に、なって……それで……」
リンはそこで一度、言葉を飲み込んだ。
でも——溢れ出る思いのように、言葉の続きは紡がれた。
「……お母さんに、また……会いたい、の……」
リンの静かな独白を、私は黙って聞いていた。
「……ユフィが……話してくれた、から……わたしも……話したく、なった」
「……そっか」
しばらくの間、二人の靴音だけが規則正しく石畳に響く。
私の胸には、リンが自分の内側を預けてくれたという静かな熱が残っていた。
「……会えるよ。絶対」
リンは少しだけ目を見開くと、わずかに表情を和らげた。
私は少しだけ歩調を緩め、リンと同じ早さになってからそっと前を向いた。
「もしかして、飛龍のソロ討伐できちゃうくらいのリンの強さはお母さん譲りだったりして」
私の言葉に、リンが顎に手を当てて少し考える仕草をする。
「そう、かも。お母さんも……飛龍、討伐したことある……って、言ってたし」
……え?
「ちょ、ちょっと待って。お母さんも飛龍殺し(ドラゴンスレイヤー)なの?! ま、まさか、ソロ……?」
驚愕した私の問いに、
「うん」
と、リンがこともなげに頷く。
「しかも……私が倒した飛龍、は……お母さんから……聞いてた話より……弱かった。だから……お母さん、は……多分、わたしよりも……強い、と思う」
「へ、へえ……」
ぼ、冒険者一家だったり……するのかな……?
「でも……そっか」
声に出した自分の言葉が少しだけ可笑しくて、思わず口元が緩んだ。
「……?」
小首を傾げるリンに、私はほんの少し首を横に振る。
「ううん。聞いてて、しっくりきただけ」
リンは少し考えるように間を置いてから、こくりと頷いた。
「……それなら、よかった」
穏やかなリンの表情と、澄んだ夜の空気が重なる。
その光景を、私はそっと胸に仕舞った。
「面白い」と思っていただけましたら、ぜひ評価をお願いします!執筆の励みになります!




