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第8章:査察官の誤算と、法を越える絆

 翌朝、九条屋の玄関に、黒いコートを纏った三人の男女が音もなく現れた。

 中央に立つのは、法務省家政調査室の一級査察官、室井という男だ。表情を鉄の仮面で覆った彼は、、懐から赤い紋章の入った身分証を突き出した。


「九条湊さん。多妻婚法第十四条に基づき、あなたの家系管理能力および、同居人との関係性についての緊急査察を行います。非協力的であれば、即座に家長権の一時停止措置をとります」


 ロビーの空気は一瞬で氷点下まで下がった。

 背後で、紬が震える手でエプロンを握りしめている。玲華は無表情を装っているが、その瞳は鋭く室井の背後の動向を探っていた。


「どうぞ。隠すような不備はありませんから」


 俺は悠然と彼らを応接室へと導いた。

 室井は着席するなり、膨大な書類をテーブルにぶちまけた。


「調査報告によれば、あなたはまだ十六歳。にもかかわらず、椎名紬、白金玲華という二名の女性を実質的な配偶者候補として囲い込んでいる。……だが、白金玲華さんは外資系企業に籍を置く身。これは資産の海外流出を招く『不適切合併』の疑いがある。さらに、旅館の収支も不透明だ」


 室井の声には、最初から結論が決まっている者の傲慢さが滲んでいた。

 俺は経営眼ビズ・アイを起動し、室井の精神状態をスキャンする。


「対象:室井一志」

「心理状態:権藤幹事長への絶対的服従」

「脆弱性:自身の次男による租借地でのギャンブル依存と多額の借財」


見えた。俺は玲華に、指先で微かな合図を送った。


「室井さん。あなたが言う『不透明な収支』とは、もしかしてこれのことですか?」


 玲華が手元の端末を操作し、ホログラムで一つの送金記録を空中に投影した。

 そこには、室井がひた隠しにしてきた、租借地のカジノ運営会社から彼の親族口座へと流れた「洗浄された金」の流れが、赤裸々に描き出されていた。


「なっ……! 貴様、これは何だ!」


「あなたが今日、ここに来るために権藤幹事長から受け取った『報酬』の一部、そしてご家族の負債を肩代わりしてもらうための密約の証拠です。……経営眼で視れば、数字の嘘は通用しない」


 室井の顔から血の気が引いていく。俺は身を乗り出し、逃げ場を塞ぐように告げた。


「法務省の人間が、法を破って私的な家長権剥奪を画策する。これが明るみに出れば、多妻婚法そのものの信頼が揺らぎ、現政権は崩壊する。……それとも、今ここで私と『新たな合併』を試みますか?」


「合併だと……?」


「家政調査室が、九条屋を『模範的な家政運営モデル』として認定する。その代わり、あなたの家族の負債は、俺がハンスを通じて解決してやる。……政治の蜘蛛の糸に絡め取られるより、俺という投資家と組む方が、生存確率は高いと思いませんか?」


 室井は震える手で眼鏡を拭った。

 彼は気づいたのだ。目の前の少年が、単なる旅館の跡取りではなく、国家を盤面に見立てた巨大なチェスプレイヤーであることを。


「……三十分、時間をくれ。上と、いや、一人で考えたい」


 室井たちが別室へ引き上げた後、紬が俺の肩に顔を埋めた。


「湊くん……怖かった。でも、これでいいの? 悪い人と組むみたいで……」


「毒を食らうには、毒の知識が必要なんだ、紬。……玲華、データの追尾を頼む。室井が権藤に連絡を入れた瞬間、その通信を傍受して、幹事長の弱みをさらに握る」


 玲華は不敵に微笑み、タイピングを再開した。


「心得ていますわ。……湊、あなたは本当に恐ろしい男。でも、その冷徹さが、今のこの国には最高の特効薬になるのかもしれませんわね」


 多妻婚法という歪な法の下、俺たちは「偽りの家族」を演じる段階を終えた。

 これは、一つの志を共有する「戦友」としての絆だ。


 一時間後、室井は青白い顔で戻り、九条屋の調査報告書に「完全適正」の判を押した。

 それは、九条湊が国家という名の巨大な帳簿に、初めて自分の「署名」を刻んだ瞬間だった。


「さあ、玲華。室井という『パイプ』が手に入った。次は、永田町の中心部……権藤の鼻先に、九条屋の特製粥を届けてやろうじゃないか」


 反撃の舞台は、温泉街から首都へと、その規模をさらに拡大していく。

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