表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/23

第7章:特区の産声と、永田町の蜘蛛の糸

 ハンス・ルードリッヒとの密約は、静かに、しかし確実にこの国の経済構造に亀裂を入れ始めていた。

 租借地からの資金が九条屋を通じて「情緒価値」へと変換され、北関東の温泉街には奇妙な活気が戻りつつあった。だが、その変化を嗅ぎつけたのは、外資のハイエナたちだけではなかった。


 永田町。

 そこは、この国が租借地へと成り下がる過程で、外資から利権を吸い上げることで甘い汁を啜ってきた「売国政治家」たちの巣窟だ。


「……九条湊、か。北関東で面白い動きをしている小僧がいるそうだな」


 薄暗い料亭の一室。古ぼけた着物に身を包んだ男、民政党幹事長・権藤は、報告書を投げ捨てた。彼の背後には、情報屋たちが張り巡らせた蜘蛛の糸のように、全国の経済動向が監視されている。


「ハンスが動いたということは、何かがあると見るべきだ。これ以上、あの旅館に勝手な真似をさせるな。特区化? 笑わせるな。利権のない特区など、ただのゴミだ」


 権藤は灰皿に煙草を押し付けた。


「法務省の『家政調査室』を送り込め。多妻婚法の規定を盾に、九条の『家庭』に不備があるという名目で、あいつの家族構成権を剥奪する。家長としての資格を失えば、ただの未成年だ。旅館ごと接収してしまえ」


 同じ頃、九条屋では。


「湊くん、法務省からのお達しよ。突然の査察が入るわ」


 玲華がタブレットを叩きながら、苦々しい表情で告げた。彼女の「完全合理計算」ですら予測しきれなかった、政治的な介入だった。


「家政調査室? なんの目的で……」


「『多妻婚法における家庭管理体制の健全性調査』……つまり、湊くんが法に則った『家長』として適切か、という査察ですわ。形式上は正当な行政処分。でも、実態は私たちの『家』を破壊するための、政治的な刺客です」


 玲華の瞳が、珍しく焦燥で揺れる。

 この国では、家長としての資格を剥奪されれば、経済活動の一切が制限される。それは、九条屋の再建どころか、俺たちがここまで築いてきた「救済のビジネスモデル」の全否定を意味していた。


 紬が俺の隣に座り、不安そうに俺の手を握る。


「私たちが……湊くんと紬、そして玲華さんが家族でいることが、法的に認められないってことなの?」


「そういうことだ。彼らは俺たちの絆が、この国の腐敗した構造を破壊する『脅威』だと理解したんだろう」


 俺は立ち上がり、鏡を見た。十六歳の少年。その瞳には、黄金色の数字が渦巻いている。

 経営眼で視ると、今、この旅館を取り囲もうとしている「国家の悪意」が、黒い霧のような数式の奔流となって視界を埋め尽くしていた。


「湊、どうするの。法務省の査察官は明日来る。彼らは準備万端で、私たちに言い逃れの余地を与えないつもりよ」


 玲華の問いかけに、俺は冷徹な笑みを浮かべた。


「言い逃れなんて必要ない。……彼らが『多妻婚法』を武器にするなら、俺はその法律の『穴』を逆手に取って、彼ら自身を法廷へと引きずり込むまでだ」


 俺は玲華に、ある一つのプログラムコードを提示した。それは、過去五十年にわたる永田町の政治資金収支報告書と、家政調査室の歴代メンバーの不透明な資産形成を突き合わせた、決定的な「相関図」だった。


「これは……! あなた、まさか……」


「ハンスから得た極秘データと、俺の経営眼で解析した『汚職の羅針盤』だ。これを使えば、彼ら自身が自分たちの首を絞めることになる」


 査察官が来るのは明日。

 俺たちの「家庭」を守り、同時にこの国の腐敗を焼き払う、最も危険で合理的な戦争が幕を開ける。


「紬、玲華。準備はいいか。俺たちは今日から、ただの旅館経営者じゃない。……この腐った国を再構築する『経営陣』だ」


 窓の外では、空が不穏な色に染まり始めていた。

 九条湊の挑戦は、今や旅館の一室から、日本の首都・永田町へとその戦場を移そうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ