表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/23

第21章:凱旋の宴、あるいは愛という名の特異点

 北関東、水ノ守の山々に静かな夜が降りてきた。

 アビスの冷たく無機質な大理石の床ではなく、九条屋の使い込まれた廊下の木の温もりが、足の裏を通して俺たちの生存を改めて教えてくれる。

 ヘキサゴン・キャピタルという世界の心臓部を止め、エーヴァルトの提示した「零」という絶望を「絆」で塗り替えた。その代償として、俺の視界を支配していた黄金色の数式は、今、凪のように静まり返っている。


 主の間の大広間には、紬が腕によりをかけた凱旋の馳走が並べられていた。

 この山で採れたばかりの山菜の天ぷら、脂の乗った和牛のすき焼き、そして、特区で収穫されたばかりの米を丁寧に炊き上げた白飯。豪華ではあるが、どこか懐かしく、そして何よりも「命」の重みを感じさせる料理の数々だ。


「さあ、湊くん、玲華ちゃん、陽葵ちゃん。まずは、本当にお疲れ様。……生きて帰ってきてくれて、ありがとう」


 紬が、少しだけ赤くなった目で、三人のグラスに冷えた地酒を注いで回る。

 彼女はアビスの最奥でも、最後まで「日常」という名の武器を捨てなかった。その献身が、俺の脳が焼き切れるのを防いでくれたことを、俺は生涯忘れないだろう。


「……乾杯しましょう。数字と暴力に支配された旧世界への弔いと、私たちがこれから創り出す、新しい日本の誕生に」


 玲華が、少しだけ声を震わせながら杯を掲げた。

 彼女の完璧なアナリストとしての鎧は、今夜だけは脱ぎ捨てられている。解いた黒髪が、柔らかな行燈の光に透けて、彼女の持つ本来の脆さと美しさを浮き彫りにしていた。


「乾杯! 私、明日の配信のタイトル決めたんだ。『世界を買い戻した夜、私たちは一番美味しいご飯を食べた』って!」


 陽葵が、弾けるような笑顔で続けた。

 彼女の「共鳴」が、冷徹な資本主義の壁を内側から崩した。彼女という希望がなければ、俺たちはアビスの深淵に飲み込まれていただろう。


「……乾杯」


 俺の声は、自分でも驚くほど穏やかだった。

 酒が喉を通り、胃の腑に落ちる。それと同時に、張り詰めていた緊張の糸が解け、心地よい酔いと倦怠感が全身を包んでいく。


 宴が進むにつれ、話題はこれからの特区の運営、そして日本の再建へと移っていった。

 世界経済の「初期化」は防いだが、依然としてこの国は疲弊している。借金は消えず、外資の爪痕も深い。だが、今、俺の手元にはエーヴァルトから譲渡された、世界の半分を動かすための「マスターキー」がある。


「湊、これからの戦略はどうなさいます? ヘキサゴンの資産をそのまま使えば、GDP1位への返り咲きも、一年もあれば可能ですわ」


 玲華が、酔いで少し潤んだ瞳で俺を見つめる。

 彼女は、俺が何を考えているのかを察しながらも、あえて問いかけてきた。


「……いや。数字だけの成長に、もう価値はない。これからは、ヘキサゴンの資金をすべて『幸福インフラ』へと転換する。教育、医療、そして文化。人間が人間らしく、誰かを愛するために時間を使える社会を作る。それが、新しい日本の『輸出製品』だ」


「湊くんらしいね。……それなら、私、もっともっと美味しいご飯の作り方、広めていきたいな。みんなが笑顔になれるように」


 紬が俺の隣に座り、そっと肩を寄せてきた。

 彼女の温もりが、戦いで荒廃していた俺の心を、最後の一欠片まで癒やしていく。


「あ、私も賛成! 特区を、世界で一番ワクワクする『遊び場』にしようよ。湊くんが王様で、私たちが……えへへ、お妃様?」


 陽葵が顔を真っ赤にして、俺の反対側の腕に抱きついた。


「陽葵さん。多妻婚法は、あくまでも才能を統合するための便宜上のシステムですわ。……ですが、まあ、今夜だけはその定義を『愛情の統合』と書き換えることも、合理的と言えるかもしれませんわね」


 玲華も、少しだけ寂しそうに、けれど決意に満ちた表情で、俺の正面に座り直した。


 十六歳の俺に、これほどまでの重責が果たせるのか。

 経営眼で視れば、未来にはまだ無数のリスクが渦巻いている。だが、隣にいる彼女たちの温もりが、その不安を心地よい挑戦へと変えてくれた。


「……夜が明けたら、新しい仕事の始まりだ。特区を広げ、日本を買い戻し、世界を九条屋の『客』にする。……準備はいいか、皆」


 三人の少女たちが、力強く頷く。

 九条湊の物語は、復讐や制裁の段階を終え、ここから真の「創造」へと向かっていく。


 深夜。宴の片付けを終え、主の間には俺と、三人の妻たちが残された。

 外での森が風に揺れ、新しい時代の訪れを祝福するようにざわめいている。

 俺たちは、静かに重なる影の中で、明日への誓いを、言葉ではなく熱として確かめ合った。


 GDP67位からの大逆転。

 その奇跡の先にある、誰も見たことのない黄金色の地平線へ。

 九条湊と、三人の最愛のパートナーたちの戦いは、今、最高の幸せと共に続いていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ