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第四十四話(中編):ボロ宿の下が普通じゃなかった件

行けば危ない場所があり、待てば済む状況があり、わざわざ進む理由も用意されている。

そのうえで、登場人物たちはそれぞれに勝手な理由を持って動く。


合理的に見える判断も、感情でねじ曲がる。

逆に、衝動的に見える行動が、結果として筋が通ることもある。


そういうズレを、そのまま放置した話です。


誰かが正しくて、誰かが間違っている、という作りにはしていません。

そもそも、この状況で“正しい”ことに意味があるのかも、あまり考えていません。


ただ一つだけ決めていたのは、

「全員、自分の都合でしか動かない」ということです。


その結果として何が起きるのかは、ここから先を見てもらえれば十分です。

洞窟の門の前には、一人の男がいた。


壁にもたれ、風を見ている。


桃太郎が近づく。


「通れるか」


男は視線を向けずに答える。


「無理だな」


短い返事だった。風が門を叩く乾いた音が、男の言葉と重なる。


「風向きが違う。南が来ねぇと開かん」


白雪が首をかしげる。


「いつ来るのだ?」


男は少しだけ考えて、肩をすくめた。


「さあな。明日かもしれんし、来年かもしれん」


オババが鼻で笑う。

「随分と適当だねぇ」


男は初めて視線を向ける。

「自然相手だ。そんなもんだろ」


一拍。


桃太郎が問う。


「通れた場合は」


男は短く答える。


「魔物は出ねぇ」


それだけだった。

帰り道、風は相変わらず強かった。


剥き出しの肌を刺すような冷気が、容赦なく吹き抜けていく。


桃太郎は前を見たまま、ぽつりと呟く。


「……別に、ここで待てばいいだけの話だな」


白雪が顔を上げる。

「待つのだ?」


「地上ルートはそのうち開く。急ぐ理由がなければ、無理に動く必要はない」


それは合理的な判断だった。


オババが横目で見る。


「へぇ。じゃあ隠居生活でもするかい」


桃太郎は少しだけ考える。


「……それも悪くないな」


一拍。


「環境は悪くない。食料もある。情報も集まる」


白雪は少しだけ困った顔をする。


「でも……」


言葉を探すように、視線を落とす。


「北に、行きたいのだ」


桃太郎は何も言わない。


オババが口を挟む。


「薬も、北にしかねぇよ」


その一言で、空気が少し変わる。冷え切った空気が、不意に重みを増した。


「ここにいる連中も大体そうさ。採るか、取りに行くか」


白雪が小さく頷く。


「……おじいちゃんに、会いたいのだ」


風の音が一瞬だけ強くなる。


桃太郎は目を閉じて、短く息を吐いた。


「……なるほどな」

そして一言。

「待つ理由が消えた」


(……聞いてなかったのか、こいつら)


“戻ってきたやつはいない”


(理解して動いてるわけじゃないのかよ)


(チクショウ……またこの流れか)


桃太郎は足を止める。


一瞬だけ。


それから、何も言わずに歩き出した。


外はすでに薄暗くなり始めていた。


風は相変わらず冷たいが、昼より少しだけ静かだ。


白雪は桃太郎の袖を掴んだまま離さない。

「……寒いのだ」


オババが肩をすくめる。


「そりゃ夜だからねぇ」


桃太郎は短く周囲を見て、言った。


「宿に戻る」


それだけだった。



石畳の道を少し戻ると、昼間見たボロ宿がそのまま立っている。


凍りついた外壁。軋む木枠。


だが、明かりだけは点いていた。


中に入ると、昼と同じ男が無言で視線を上げる。


「部屋は取ってある」


それだけで通じた。


鍵が一つだけ渡される。



階段を上がると、廊下は静かだった。


足音だけが、硬質な床板にやけに響く。


白雪は袖を掴んだまま、周囲をきょろきょろと見ている。


「……変な音がするのだ」


桃太郎は止まらない。


「建物が古いだけだ」


オババは何も言わず後ろをついてくる。



部屋の扉を開けると、中は意外なほど整っていた。


最低限のベッドと机。だが、壁に埋め込まれた魔道具が、微かに低い駆動音を鳴らしている。


「見た目に反して、機能はあるな」


桃太郎は一言だけ呟く。


白雪はようやく袖から少しだけ手を緩める。

「……あったかいのだ」



窓の外では、風が建物を叩いている。


しかしその音は、どこか一定ではない。


まるで――呼吸しているような揺らぎだった。


オババが窓の方を一度だけ見て、鼻で笑う。

「ここも、少しは“喋る”らしいねぇ」


桃太郎は答えない。


ただ、部屋の中を一度見渡すだけだった。



白雪はベッドの端に座り、小さく息を吐く。


「……お風呂、あるのだ?」


その一言で、少しだけ空気が変わる。


桃太郎は短く視線を動かす。


「あるなら使う」


オババが壁を軽く叩く。


「この手の宿は、だいたい裏に付いてるもんさね」

白雪はぱっと顔を上げる。


「お風呂なのだ」


さっきまでの緊張が少しだけほどけた声だった。



宿の裏手に回ると、石造りの小さな湯場があった。

簡素だが、湯気はしっかりと立っている。


魔力で温めているのか、外の寒さが嘘のように切り離されていた。


「……最低限は揃ってるな」


桃太郎は淡々と呟く。


白雪は袖を握り直しながら、少しだけ嬉しそうに頷いた。


「あったかいのだ」



しばらくして。


湯気の中に、外の冷気が混ざるような錯覚が一瞬だけ走る。


桃太郎はふと顔を上げる。


(……気のせいか)


すぐに視線を戻す。



白雪は湯に浸かりながら、ぽつりと息を吐く。


「……生きてる感じがするのだ」


オババは湯の縁に腰掛けたまま、特に何も言わない。

ただ、時々外の壁の方を見ている。



夜は静かだった。


だが、その静けさは完全ではない。


遠くで、建物が軋む音がする。


風ではない。一定でもない。


まるで、どこかが“呼吸”しているような揺れ。



桃太郎は湯から上がりながら、短く呟く。


「……ここも少し、面倒そうだな」


誰に向けたわけでもない言葉だった。


白雪は湯上がりのまま、小さく袖を掴む。


「でも、あったかいのだ」


その言葉だけは、やけに素直に部屋に残った。

宿の裏の湯場を出ると、外気が一気に刺さるように戻ってくる。


白雪は小さく身をすくめながら、また自然と桃太郎の袖を掴んだ。


「……さむいのだ」


「さっきまでが異常だっただけだ」


桃太郎は短く言いながら歩く。


オババは後ろで鼻を鳴らす。


「湯くらいはまともに作ってるのに、外は相変わらずだねぇ」



部屋に戻ると、さっきよりも静かに感じた。


扉を閉めた瞬間、外の風が少し遠のく。だが、完全には消えない。


どこかで、まだ建物が軋んでいる。



白雪はベッドにちょこんと座ると、ほっと息を吐いた。


「……今日、いっぱい人いたのだ」

「それが普通だ」


桃太郎は淡々と答える。


机の前に立ち、外の様子を一度だけ見る。


窓の外は暗い。風は一定ではない。時折、ガラスを細かく震わせるような、何かが“擦れる”音が混ざる。



オババが壁に背を預けたまま言う。

「ここ、夜は少し騒がしいって話だったねぇ」


「風だろ」


桃太郎は即答するが、視線は窓から外れない。



白雪は毛布にくるまりながら、小さく呟く。

「……でも、変な音するのだ」


一瞬の静寂。


誰もすぐには否定しない。



桃太郎は短く息を吐く。


「古い建物だ。軋むくらいはある」


そう言いながらも、窓の外をもう一度見た。



風は、止まらない。


しかしそれは、ただの風ではないようにも聞こえた。


桃太郎は薄く目を開けたまま天井を見ていた。


(……行きたくないな)


どうでもいい、と心の中で切り捨てる。


「起きろ、白雪」


返事はない。


腕に重みがある。見ると、白雪が腕を抱き枕みたいにして寝ていた。


「……痺れるんだが」


小さくため息をつく。



そのときだった。


――下から、音。


きしむような、ずれるような。


建物の“下”が、一瞬だけ鳴った。


桃太郎は動かない。

ただ、目だけが細くなる。


(地下か)


――まだ、確定ではない。



オババが杖をつき、白雪を連れて傍らにやってくる。

オババが耳を澄ませる。


「……今の。下から人間が喋ってる音だねぇ」

桃太郎は短く言う。


「確かめる」



階段を降りる。


空気が次第に重たくなる。


ここには、噂を聞きつけてこの通路を利用しようと次から次へとやって来た連中の声が、澱のようにこびりついていた。


幽霊の正体は、この場所で通行を阻まれ、すがりついていた者たちの執念だったのだ。


だが、地下には一人の男がうなだれて座り込んでいるだけだった。


背後から、あくびをしながら白雪が階段を降りてくる。

男は顔を上げると、暗がりの奥を指さした。

「……この裏の通路を抜ければ、北の森に出られる。母の薬の材料を、取りに行きたいだけなんだ」

男の声は乾いている。


何日も、何日も。母のためにここを通り抜けようと足掻いているのに、なぜかどうしても前に進むことができない。


桃太郎は男の横にしゃがみ込む。


その表情を見て全てを察した。


自分と同じように、理不尽な状況にただ押し潰されそうになっている人間。


桃太郎は小さく吐き捨てる。


「……チクショ」


桃太郎は杖を握る。


(確かめる必要があるなぁ)


――だが、確かめたところで、変わるとは限らない気もしていた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


桃太郎は合理的に動いているつもりで、結局は状況に引きずられる側です。

白雪は逆に、「行きたいから行く」だけで動く。

オババはそれを止めず、ただ見ている。


誰も間違ってはいないし、特別正しくもない。

そのズレのまま進んでいく話です。


風や建物の違和感については、あえて触れていません。

気づいていても無視する、その感覚のほうを優先しています。


結局これは、「理解しないまま進む」ことの話です。

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