第二十話:迷宮の中心で“おじいちゃんフラグ”が立った件
現状把握が最優先」
そう言い聞かせて迷宮に入った。
だが、世界の中心に触れた瞬間、俺は気づいた。
ここでの“現状”は、誰かの手によって書き換えられることもある――と。
では、物語スタートです。
迷宮が、悲鳴を上げた。
「――全員、止まれ!!」
桃太郎の声が響いた瞬間、天井の魔法陣が耐えきれずに砕け散った。光が降り、床がひび割れ、迷宮そのものが歪む。
(……来た)
計算は終わっている。出口は見えている。崩壊の順序も、落下の範囲も――。
「計算通りだ! 俺の後ろに――」
言い切る前に、床が消えた。
「……っ!?」
視界が反転する。内臓が浮き、重力が喉を引き裂く。
(――早い)
想定より、半拍。ほんの、半拍だけ。
だがそれで十分だった。コンマ一秒のズレが、人生を終わらせることを受験生だった俺は知っている。脳内で答えが弾き出される。
(……ああ、助からない)
「ももっち!!」
カリンの声が、遠くで割れた。俺は反射で手を伸ばす。必死に。無様に。
距離。
角度。
速度。
――足りない。
冷徹な数式が完成する。
救出、不可能。
「来るな!!」
叫んだ瞬間、視界に、小さな手が飛び込んできた。
近い。信じられないほど、近い。
なのに――届かない。
指と指の間に、わずかな空白があった。
(俺たちはまだ五歳なのに)
どうやっても埋まらない距離。
計算は、正しい。
(……くそ)
そのときだった。
(……ちがう)
カリンの胸の奥が、きしんだ。
(さっきと、同じのは、いや)
音が、遠のく。崩れているはずの迷宮が、水の底みたいに静かになる。
桃太郎には分からない。だが、カリンだけが気づいた。
世界が、止まっている。
叫び声が途中で凍りつき、落ちるはずの瓦礫が、空に縫い留められている。
(……なに、これ)
怖い。でも――逃げたいとは思わなかった。理由は分からない。でも、分かった。
(……今)
――トン。
小さな足音。さっきより、ほんの少し前。ほんの、一歩。
世界が、再び動き出す。
崩壊音。風順。落下。
同じだ。さっきと、全部同じ。なのに――。
「……っ!?」
桃太郎の指先に、確かな感触があった。温度。柔らかさ。
「――掴めた!?」
計算が、追いつかない。同じ距離。同じ速度。同じ角度。ありえない。
「ももっち!!」
カリンの声が、すぐ近くで聞こえた。
「離すな!!」
桃太郎は叫び、全力で指を絡めた。細い腕が悲鳴を上げる。
「っ……!」
カリンの足が滑る。迷宮が、さらに崩れる。それでも、彼女は離さなかった。
「だいじょうぶ……!」
声が震えている。でも、目は逸らさない。
二人の身体が、床に叩きつけられるように転がり、瓦礫の影に滑り込む。
直後、さっきまでいた場所が、音もなく奈落へ消えた。
荒い呼吸。心臓の音。しばらくして、子供たちの泣き声が、現実として戻ってくる。
「……助かった……?」
誰かが呟いた。
桃太郎は、まだカリンの手を握ったまま、彼女を見た。
「……今の」
言葉が、続かない。
カリンは、自分の手を見つめていた。戸惑いと、確信が入り混じった顔で。
「……ねえ、ももっち」
小さく息を吸う。
「今……一回、だめだったよね?」
その一言で、桃太郎は理解した。
(……ああ。計算じゃ、なかった)
崩れ続ける迷宮の奥で、世界は、ほんの一秒だけ、彼女を選んだ。
「――話は後だ」
俺は、低く言った。感情を整理する暇はない。
「全員、動けるか! 固まるな。俺の指示だけ聞け」
俺は立ち上がり、崩れた通路を睨む。
(……もう一回、同じことは起きない。少なくとも、俺の計算では)
その横で、カリンがもう一度床を見つめていた。さっきと同じ場所。同じ瓦礫。
でも――彼女は、動かなかった。
(……使えない? それとも――使わない?)
判断を先送りにした。
「行くぞ」
「――走るぞ!」
返事を待たない。俺は先頭に立ち、崩れた通路を指差した。
「右壁沿いだ! 床を見るな、天井を見ろ!」
迷宮が軋む。さっきまで“道”だった場所が、次の瞬間には穴になる。
(出口は、近い。迷宮は、もう嘘をつけない)
「次、段差! 飛べるやつは飛べ!」
瓦礫が降る。背後で、壁が丸ごと落ちた。
「きゃああっ!」
「――大丈夫だ、来い!」
俺は手を伸ばす。さっきと同じ動作。
(……今度は、計算できる。誰も落ちない距離。誰も見捨てない順番)
「ももっち!」
カリンの声が、すぐ横にある。彼女は走っている。迷宮を“読もう”としていない。ただ、ついてきている。
(……それでいい)
「出口だ!」
光が、見えた。最後の通路が崩れる寸前、全員が飛び出した。
――次の瞬間。迷宮が、完全に潰れた。
土煙。
轟音。
そして、外の空気。
俺は、全員を数えた。
(……いる。全員、いる)
その事実だけで、肺の奥まで息が入った。
「……終わった、の?」
「終わった」
崩れた迷宮の前で、誰もすぐには動けなかった。
梟人の子供の一人が、膝を抱えてしゃがみ込んでいた。
翼が、うまく畳めていない。
俺は、ゆっくり近づいた。計算はしない。ただ、同じ高さまでしゃがむ。
「……怖かったな」
言葉は、それだけだった。
「……おちると、思った」
「ああ。今は、地面がある。ここに、いる」
その横にカリンが座り、自分の外套を外して、そっとその子の翼にかけた。
風が、戻ってきた。遠くで、鳥が鳴いた。
カリンが、微かに息を吐いた。
「……動いた」
「止まってた時間が、動き出した」
カリンが、俺の手を見た。まだ、離さない。離せない。
「……ももっち。今の……私、なんだったのかな」
「……分からない。でも、俺は……」
「……いいよ。分からなくても。私は、ももっちの隣にいたい」
その言葉が、世界の止まりを破った、一番大きな一歩だった。
――その瞬間だった。パタパタ。遠くから、リミバァのサンダルの音が聞こえた。
姿は見えない。でも、分かった。――見られている。
俺は、カリンの手を強く握り直した。
(……おい、俺。俺、今、何やってるんだ?)
カリンが、静かに笑った。
「……私、さっきの“一歩”で、何か変えた気がする」
「変えたのは、俺じゃない。お前だ」
「……ふふ。じゃあ、私、ももっちの隣で、世界を変えるってこと?」
俺は、思わず苦笑した。隠居したいだけだったのに。
なのに、世界を救ってしまった。
「……俺、何やってんだよ……!」
カリンが吹き出しそうになって、笑いを押し殺した。
「……ふふ。でも、いいよ。私は、ももっちの隣にいる」
(……ああ、これが、俺の異世界転生か。イヤイヤだけど、止められねぇ。)
時間が戻った。
中央図書館は、何事もなかったかのように静かだった。
崩れた迷宮の痕跡は消え、
俺たちがあの場所にいたことさえ、
夢のように薄れていく。
それでも、俺は知っている。
俺たちは確かに、世界の中心に触れた。
そして、入り口の前に、
古いわらじの片方が、土から顔を出していた。
その瞬間、遠くでリミバァの足音が聞こえた。
物語の扉を開いてくれて、ありがとうございます。
もしこの世界にもう一度訪れたいと思っていただけたら、
高評価とブックマークで“扉を閉じない”ようにしていただけると嬉しいです。
次回も、また会いましょう。




