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第四十九話(中編②):世界を壊す少女だけは救いたい件

この物語を書いている間、ずっと考えていたことがあります。


人は、本当に壊れてしまった時、

誰かに「助けて」と言えるのか。


そして、

その声を聞いた誰かは、

本当に最後まで手を伸ばせるのか。


セレナは、

この作品の中でも特に“感情”で世界を壊す存在です。


けれど彼女は、

最初から怪物だったわけではありません。


傷ついて、

奪われて、

耐え続けて、

誰にも届かないまま沈んでいった。


その果てに、

世界そのものを書き換えるほどの絶望へ辿り着いてしまっただけです。


だから桃太郎には、

強さではなく、

「否定しないこと」を背負わせました。


救うというより、

消えかけた存在へ、

「そこにいていい」と言える人間として。


この章は、

派手な戦闘を書きたかったわけではなく、


“壊れる寸前の誰かへ、

それでも手を伸ばす話”


として描いています。


少しでも、

彼らの感情が届いていたなら嬉しいです。

真っ白だった空間が、セレナの心拍に同期して、どろりと濁った。


「……また、奪われるの?」


彼女がそう零した瞬間、空間の色彩が「感情」によって塗り潰されていく。


最初は悲しみの淡い青、それが瞬時にドス黒い憎悪の赤へと反転し、白い壁を焼くように侵食した。


もはや光ではない。それは剥き出しになった彼女の精神そのものが、物理的な毒となって世界を腐食させている証だった。


「助けて、桃太郎」


その言葉が発せられた瞬間、世界の「重力」が歪んだ。


上下の概念が消失し、砕け散った『記憶の石盤』の欠片たちが、彼女の周囲で衛星のように軌道を描き始める。


彼女の「声」はもはやただの音ではない。それは空間の「法則」を無理やり書き換える、絶対的なコマンド(命令)へと昇華されていた。


「……でも、来ないで」


その矛盾した拒絶が、今度は「記憶」を物理化させる。


虚空から、彼女が失ったはずの光景が、悍ましい肉塊のような立体となって次々に溢れ出した。


崩れた家屋、冷たくなった家族の姿、嘲笑う村人たちの顔。


それらすべてが、アッシュの計算を嘲笑うように実体化し、空間の至る所を埋め尽くし、圧壊させていく。


ドクン!!!!


凄まじい脈動が、石盤から上がった。


それはアッシュが操る脈動ではない。セレナの底知れぬ憎悪に同期し、石盤そのものが彼女の「心臓」として機能し始めたのだ。


「……ッ、馬鹿な! セレナ、君は何をしている!? その出力では、君自身の存在が焼き切れるぞ!」


アッシュの焦燥した声が響く。


だが、セレナにはもう届かない。


石盤の「神経(根)」は、今や彼女に接続されているのではなく、彼女の意思によって「逆流」させられていた。


彼女の瞳から、一筋の黒い涙がこぼれ落ちる。


それが床に触れた瞬間、そこから世界を終わらせるための「黒い算式」が、桃太郎のものよりも遥かに無慈悲な速度で周囲を食いつぶし始めた。


「来ないで……お願いだから……私が、あなたを殺してしまう前に」


彼女の周囲で、物質が、記憶が、そして概念までもが、ドロドロとした原初の混沌へと溶けていく。

そこに立っているのは、もはや救いを待つ少女ではない。


触れるものすべてを「無」へと回帰させる、世界の終わりを体現した**『再定義の怪物』**だった。


崩落した隙間からその光景を目撃したエドリックが、思わず足を止める。


戦士として幾多の死線を越えてきた彼ですら、本能が警告していた。


(……これは、アッシュよりも不味い。この子を今すぐ止めないと、本当に全てが終わる)


その時、背後から一人の「努力オタク」が、冷や汗を流しながらも、不敵な笑みを消さずに歩を進めた。


「悪いが、俺の計算に『世界滅亡』なんてバッドエンドは入ってないんだわ」


桃太郎は、崩壊する世界の中心を静かに見据えていた。


黒い算式が空間を侵食していく。


石盤は脈動し、

記憶は肉塊となって空間へ溢れ出し、

世界そのものがセレナの感情に引きずられるように軋んでいる。


だが。


桃太郎は、剣を抜かなかった。


「……来るなって言われて、

 はいそうですか、って帰れるほど器用じゃねぇんだよ」


その声は、不思議なほど静かだった。


セレナの肩が、びくりと震える。


「来ないで……!」


空間が爆ぜた。


黒い算式が津波のように桃太郎へ殺到する。

触れた空間から、

石盤が、

記憶が、

法則そのものが“無”へと巻き戻されていく。


エドリックの目が見開かれた。


(避けろ……!)


だが。


桃太郎は動かない。


算式が目前へ到達した、その瞬間。


――ズレた。


世界のほうが。


黒い奔流が、桃太郎だけを避けるように左右へ裂け、

背後の空間だけを容赦なく食い潰していく。


空間が絶叫した。


桃太郎の周囲だけ、

別の“定義”が割り込んでいる。


「……お前さ」


一歩。


踏み出す。


「今まで、

 どんだけ一人で耐えてたんだよ」


その言葉に、

セレナの瞳が揺れる。


瞬間、

空間の色が不安定に明滅した。


憎悪の赤。

悲嘆の青。

絶望の黒。


感情そのものが、

世界の制御を奪い合っている。


「やめて……!」


セレナが叫ぶ。


「私に近づかないで!

 今の私は……ッ!」


黒い涙が零れ落ちる。


床に触れた瞬間、

周囲数十メートルが“定義崩壊”を起こし、

存在そのものがノイズのように掻き消えた。


「お前を殺す!!」


絶叫。


石盤が脈動する。


ドクン!!!!


世界が、

セレナの殺意へ同期する。


無数の石盤片が、

刃の衛星のように桃太郎へ襲い掛かった。


その瞬間。


「――領域、再定義」


桃太郎の声が落ちた。


世界が静止する。


石盤片が、

空中で止まった。


いや違う。


“落ちる”という法則を、

一瞬だけ上書きしたのだ。


空間に、

桃太郎の黒い算式が走る。


だがセレナのものと違う。


それは破壊ではない。


繋ぎ止めるための式。


崩れゆく世界を、

たった一人へ届かせるための異常な演算。


「俺は、お前を否定しねぇ」


桃太郎の声は低い。


「壊したくなるくらい苦しかったんだろ」


セレナの呼吸が止まる。


「全部憎んで、

 全部消したくなって、

 何も信じられなくなった」


また一歩。


近づく。


「……そりゃ、こうもなる」


その瞬間だった。


空間の奥。


巨大な瞼のような闇が、

ゆっくりと開く。


『理解した気になるな、桃太郎』


アッシュの声。


だが以前のような余裕はない。


どこか焦燥が混じっている。


『彼女はもう、人間では維持できない』

『だから私は、新世界へ接続した』


黒い根が脈動する。


『この世界は壊れている』

『奪われる者だけが泣き、

 奪う者だけが笑う』


『ならば作り替えるしかない』


桃太郎は振り返らない。


「……そこまでは同意だよ」


エドリックの目が細まる。


アッシュの気配が、わずかに揺れた。


『何?』


桃太郎はセレナだけを見ている。


「クソみてぇな世界だ。

 壊れたくなる気持ちも分かる」


静かに。


だがはっきりと言った。


「でもな」


桃太郎の周囲で、

黒い算式がさらに拡張される。


世界そのものへ、

強引に干渉していく。


「だからって、

 セレナごと終わらせる理由にはなんねぇだろ」


ドクン――!!


その瞬間。


セレナの身体が、ぶれる。


輪郭が、

ノイズのように崩れた。


エドリックが息を呑む。


(まずい……!

 存在が世界へ拡散し始めてる!)


セレナの指先が、

黒い粒子となって空間へ溶けていく。


記憶。

感情。

憎悪。

悲鳴。


すべてが石盤へ逆流していた。


「……っ、いや……」


セレナ自身が、

初めて恐怖した。


「やだ……

 消えたく、ない……」


その瞬間。


桃太郎の眼が、

静かに細められる。


「安心しろ」


一歩。


ついに、

セレナの目の前へ辿り着く。


崩壊する算式の中心。


世界終焉の核。


その少女へ向けて、

桃太郎は静かに右手を伸ばした。


「俺の計算に、

 お前が消える結末は入ってねぇ」


セレナの瞳が、激しく揺れた。


伸ばされたその手を、

拒絶しなければならない。


触れれば終わる。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。


今回の話は、

おそらくこの作品の中でもかなり重たい章になりました。


セレナは、

「世界を憎む怪物」でありながら、

同時に「救われたかった少女」でもあります。


そして桃太郎は、

そんな彼女を止めるために戦ったのではなく、


“消えようとしている彼女そのもの”を、

世界へ繋ぎ止めようとしていました。


この作品では、

力の強さよりも、

「誰かを理解しようとする執念」を強く書きたいと思っています。


だから桃太郎は、

どれだけ世界が壊れていても、

最後に選ぶのが“破壊”ではありません。


誰かを諦めないことです。


アッシュにも、

セレナにも、

それぞれ壊れてしまった理由があります。


だから単純な善悪ではなく、

「どうしてそこへ辿り着いたのか」を、

これからも描いていけたらと思っています。


そして最後の、

“触れれば終わる”という場面。


あの瞬間、

セレナはきっと、

世界で一番「触れてほしい」と願っていました。


また続きを読んでもらえたら嬉しいです。

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