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第四十八話(後編③):演算で攻略しようとしたら全部“不正解”にされた件

今回は、「努力で届く相手」と「存在そのものが理不尽な相手」の差を書きたくて、この戦闘を書きました。


桃太郎は積み上げる主人公です。

考えて、傷ついて、それでも前へ進む。


対するアッシュは、その“積み上げ”自体を否定する存在として描いています。


だからこの戦いは、勝敗よりも「それでも一歩前へ出る桃太郎」を描く場面でした。

桃太郎は、ゆっくりと杖を構えた。


空間は脈打っている。


壁も、床も、天井も、生き物のように呼吸を繰り返し、そのたびに黒い蔓がざわりと蠢いた。


アッシュは玉座に腰掛けたまま動かない。


ただ静かに、こちらを見下ろしている。


その視線だけで、空気が重かった。


桃太郎は小さく息を吐く。


そして、一歩前へ出た。


瞬間。


空間全体が反応した。


無数の蔓が一斉に殺到する。


「《多層防壁》!」


青白い障壁が幾重にも展開され、迫る蔓を迎え撃つ。


轟音。


衝撃。


防壁表面に激しい波紋が走る。


押し切られる。


桃太郎は即座に次の式を重ねた。


追加防壁。


空間固定。


干渉遮断。


しかし完成より先に、術式が乱れる。


「……またか!」


演算汚染。


構築した数式が、途中で別の意味へ捻じ曲げられていく。


防壁が砕けた。


黒い蔓が隙間から侵入する。


桃太郎は咄嗟に杖を振り抜き、強引に軌道を逸らした。


だが次が来る。


横。


背後。


上空。


逃げ場を塞ぐように、空間そのものから蔓が生えてくる。


桃太郎は防壁を張り続けた。


砕かれる。


立て直す。


また砕かれる。


その繰り返し。


一歩進むだけで、莫大な演算を要求される。


脳が軋む。


視界が明滅する。


呼吸が熱い。


それでも桃太郎は止まらない。


背後にセレナがいる。


だから前へ出るしかなかった。


「……っ!」


防壁が内側から弾け飛ぶ。


衝撃で身体が揺らぐ。


桃太郎は床を踏み砕く勢いで踏み止まった。


届かない。


近づけない。


アッシュまでの距離は確かに縮まっている。


なのに、永遠に辿り着けない。


まるで世界そのものが、アッシュへ至ることを拒絶していた。


アッシュは動かない。


迎撃すらしていない。


ただ座ったまま。


その余裕が、圧倒的だった。


桃太郎は歯を食いしばる。


術式を再構築。


崩壊した演算を無理やり繋ぎ止める。


「《空間接続》――」


展開。


しかし直後。


ドクン――。


脈動。


その一拍だけで、術式全体が反転した。


「な……」


桃太郎の目が見開かれる。


次の瞬間、防壁群が一斉に砕け散った。


凄まじい圧力が正面から叩きつけられる。


桃太郎の身体が大きく後退した。


それでも倒れない。


杖を突き立て、無理やり踏み止まる。


呼吸は乱れ、演算精度も落ち始めている。


だが前を見る。


諦めずに。


アッシュだけを見据えて。


その姿を見下ろしながら。


玉座の上で、アッシュの口元がゆっくり吊り上がった。


「……いい目だ」


低い声が響く。


「まだ、自分なら届くと思っているのか」


ドクン。


空間が脈打つ。


黒い蔓がさらに膨れ上がり、桃太郎を押し潰すように包囲していく。


それでも桃太郎は、一歩前へ出た。


その瞬間。


アッシュが、ニヤリと笑った。


空間の「呼吸」が止まった。


静寂。


それは、桃太郎がこれまで必死に繋ぎ止めてきた世界の物理法則そのものが、アッシュの意思一つで「破棄」された合図だった。


「――っ!?」


桃太郎の足元から感覚が消える。


床があるはずの場所に、底知れぬ空虚が口を開けていた。


そこにあるのは、アッシュの魔力によって強制的に書き換えられた「無」の演算領域だ。


「《事象固定》! 《座標維持》!」


桃太郎は反射的に術式を叩きつける。


だが、構築した数式が手元から砂のように崩れていく。


アッシュという存在がそこに居るだけで、桃太郎の積み上げてきた「正解」が、この空間においては「不正解」へと上書きされていくのだ。


「……無駄だと言っている」


アッシュは玉座に深く腰掛けたまま、退屈そうに指先をわずかに跳ね上げた。


その刹那、桃太郎を包囲していた無数の蔓が、意思を持つ蛇のように一斉に襲い掛かった。


「が、はっ……!?」


手首、足首、そして首筋に冷酷な蔦が絡みつく。


強引に四肢を引っ張られ、桃太郎の身体は宙で無様に吊るし上げられた。


杖が手からこぼれ落ち、床に虚しい音を立てて転がる。


「計算、ミス……なんて、させるか……!」


桃太郎は溢れ出す血を吐き捨てながら、なおも視線を逸らさない。


脳内ではまだ、数式が火花を散らしている。


汚染された回路を無理やり繋ぎ、この拘束を爆破する逆転の数式を。


だが、アッシュはその「努力」すらも見逃さなかった。


立ち上がるまでもない。


アッシュが玉座の肘掛けに腕を置いたまま、空いた手を軽く振る。


すると、空間の歪みが実体化した「不可視の拳」となり、吊るされた桃太郎を真正面から殴り飛ばした。


「――ぶ、っ!」


鈍い衝撃音。


顔面を殴打され、桃太郎の視界が真っ白に弾けた。


蔓の拘束が引きちぎられ、その勢いのまま、桃太郎の身体は床を何度も激しく転がった。


壁に激突してようやく止まる。


口の中は切れ、鮮血が床にどくどくと広がる。


あれほど鮮明だった「勝利への道筋」は、今や激痛と眩暈の向こうへ消え失せていた。


「……は、ぁ……がふっ……」


指先一つ動かせない。


立ち上がろうとする意志を、身体が、脳が、痛みが拒絶している。


「努力オタク」の矜持が、物理的な蹂躙によって泥の中に沈められた。


アッシュは玉座に座ったまま、冷たく細い指先で顎を支え、転がる桃太郎を見下ろす。


「これが計算の限界だ。自力で正解をこじ開けてきたつもりだろうが……その手が届く場所など、最初からどこにもなかったのだよ」


アッシュの口元には、完膚なきまでに獲物を壊した、冷酷な愉悦の笑みが浮かんでいた。

アッシュを最後まで玉座からほとんど動かさなかったのは、実力差を演出するためです。


桃太郎は必死に術式を組み続ける。

けれどアッシュは、そのルールそのものを書き換えてしまう。


特に「空間の呼吸が止まった」という描写は気に入っています。

あの瞬間、桃太郎は“敵”ではなく、“世界そのもの”と戦わされている。


それでも諦めず前へ出るのが、桃太郎という主人公です。


今回の敗北は終わりではなく、彼がもう一度立ち上がるための崩壊編として書きました。

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