第17話 王宮の謀略③
宿に戻ったのは夕方を過ぎてからだった。もう日が沈みかけているというのに、一日の疲労はまるで一週間分の仕事をこなしたように重くのしかかる。俺はドアを開けるなり、靴を脱ぐのもそこそこにベッドへ倒れ込みたい衝動に駆られた。何もかもがうまくいかない――そんな無力感が胸を締めつける。
「はあ……」
長いため息が、静かな部屋に響く。外で監視しているだろう王太子の取り巻きたちを思うと、心から落ち着くわけにもいかないが、とにかく身体を休めないと頭が回らない。ドサリと腰を下ろしたベッドで上を向き、天井をぼんやりと眺める。
「アレン、大丈夫?」
カトレアが部屋に入ってきて、心配そうに声をかけてくれた。その表情は俺と同じか、それ以上に憔悴しているように見える。彼女も一日中動き回ったうえ、王都という敵地の空気に晒されているのだから、無理もないだろう。
「うん、平気……と言いたいところだけど、正直キツい。王宮への陳情は門前払い、偽証拠の噂まで出回ってるなんて聞いて、気力も削られたよ」
「そうよね……。私も同じ。何をどうやってもリシャールの圧力が先手を打ってくる感じがするわ。どこに行っても“あの悪役令嬢が帰ってきた”って目で見られるし……」
カトレアはスカートの裾を握りしめ、顔を曇らせる。もともと強い女性のはずなのに、今回ばかりは疲労の色が隠しきれないらしい。俺はベッドから上体を起こして、彼女のほうを向く。
「偽証拠とか聞くと、本当に嫌になるよな。“他国に通じている”とか、ありえないだろ。だけど王太子の力があれば、嘘を真実に仕立てることなんて簡単にできちゃうんだ」
「ええ……。わたしが何を言っても、“殿下を裏切った令嬢の戯言”で切り捨てられるかもしれない。あなたまで罪に問われたら、領地はどうなっちゃうの?」
「考えたくないけど、最悪は取り潰し。つまり、俺の故郷がまるごと消される可能性もあるわけで……。正直、胃が痛い」
言葉にして吐き出すたびに心が重くなる。王太子リシャールが“本気”で俺たちを排除しようとしている――それがヒシヒシと伝わってくるだけに、焦りと不安が押し寄せてくる。カトレアはベッドの端に腰を下ろし、息を詰めるように語りかける。
「……もう打つ手がないのかしら。門前払いされるし、デマの拡散で周囲も信用してくれない。逃げ帰るしかないの?」
「いや、それは違う。ここで逃げたら、殿下の思う壺だ。君の名誉は一生回復しないし、俺の領地も何らかの形で圧迫され続けるだろう」
「わかってる。わたしだって、あの男に負けるわけにはいかない。でも、こういうときは何から始めればいいのか……」
「……とりあえず、今考えられるのは情報戦かな。ロイドやエレナがいる。俺たちだけじゃ突破口を見つけられないなら、彼らのコネクションを総動員して、殿下の裏工作を暴く証拠を集めるしかない」
「ロイド……そういえば、まだ決定的な連絡は来てないわね。王宮に突撃して失敗したって話も、エレナが紹介した屋敷での件も知らせたいけど、そろそろあちらから何か動きがあるはず……」
「そうだ。俺もロイドに連絡してみる。彼なら、王宮や殿下の取り巻きの動きを掴んでるかもしれないから。どうやったら偽証拠に対抗できるか聞いてみよう」
その言葉に、カトレアが少しだけ表情を和らげる。絶望的状況とはいえ、まだ完全に道が閉ざされたわけじゃない。いろいろと追い詰められてはいるけど、まだ仲間がいるのだ。
「そうね……。わたしにも何かできることがあるかしら。父や兄に連絡したいけど、下手に動けばあちらも殿下を恐れて手を引くかもしれないわ」
「でも試してみる価値はあるだろ。君の家族も、殿下がやりすぎてることくらい気づいてるんじゃないか? 何らかの形で協力してくれるかもしれない」
「……うん、やってみる。あまり期待はしないけど、何もしないよりマシよね」
「そうだな。俺も、領地のほうに連絡して様子を確認しないと。もし王都で俺たちが拘束されたら、領地がどうなるか……考えるだけで震えるけど、それでもやるしかない」
しばし沈黙が降りる。二人とも疲れ切っていて、視線を合わせることすら辛い気持ちがある。だけど、この静寂の中でも“くじけない”という意地だけははっきり感じ取れる。
「……ねえ、アレン。もし全部うまくいかなかったら、どうする? わたしたち、ここまで頑張っても負けちゃうこともあるのよ」
「うん、正直、負けの可能性もある。でも俺は信じたい。最後まで諦めずに戦えば、少なくとも殿下のやりたい放題にはならない。君の名誉だって、きっと――」
「……ありがとう。わかってるわ。弱音を吐いたって仕方ないし、あなたがいる限り、わたしも投げ出したくないから」
カトレアは小さく首を振り、笑みとも涙ともつかない表情を浮かべる。俺も似たような気持ちだ。彼女の存在がなければ、とっくに折れていたかもしれない。しかし、その逆もまた然り。だからこそ、俺たちはここで止まれない。
「ふう……。なんだか一気に疲れたな。せっかく王都まで来たのに、状況はますます厳しくなるばかりで、絶望感も増すばかりだ。正直、どうすりゃいいんだろうってなる」
「それでも負けたくないんでしょ? わたしもよ。国賊扱いでも、他国のスパイ扱いでも、冗談じゃない。リシャールなんかに負けてたまるものですか」
「そうだ。こんなところで止まっていられない。……よし、しんどいけど、もう一度ロイドに相談してみよう。彼がどう動いてるのか、進展があるのか聞きたい」
「わたしも動く。エレナさんにも連絡を取って、内部情報を探りたい。どうにかして“私が他国と結託なんてしていない”ことを証明する方法を見つけるわ」
「一筋縄ではいかなそうだけど、やるしかない。……とりあえず今日は休もうか。動くにしても体力がないとどうしようもないから」
「そうね。あなたもベッドでゆっくり休んで。わたしも顔色が悪いって思われたくないし」
そう言い合って苦笑すると、わずかに心の荷が下りたような気がする。もちろん状況は変わってないし、むしろ悪化しているけれど、一緒にいるという事実がせめてもの救いだ。
「……ああ、ありがとう。カトレアがいてくれて心強い。まったく、領主の俺がこんなに頼りないんじゃ笑えないけどさ」
「領主云々じゃなくて、人間として当たり前よ。誰だって怖いものは怖いし、辛いのは辛いんだから」
「確かに。じゃあ、“一緒に負けないぞ”って誓い合おう。ここで終わりにするわけにいかないからな」
「いいわね、それ。何度も誓い合ってる気がするけど、何度だって言うわ。わたしたちは殿下のやりたい放題にさせない。絶対よ」
頷き合ったあと、二人して大きく息をつく。窓の外には淡い月がぼんやりと浮かんでいて、王都の夜は静かに包み込むように闇を落としていく。しかしその闇の奥では、リシャールがさらなる陰謀を巡らせているのかもしれない。いつ殴り込みが来てもおかしくない恐怖感に、身体がこわばるのを感じた。
「まあ、今夜はもう寝るしかないな。明日以降、具体的に動く。ロイドへの連絡、エレナの力、君の家族への連絡だって可能性がゼロじゃない。やることはあるよ」
「そう……わたしも考えてみる。少しは休んでね。あなたが倒れたら意味がないわ」
「わかってる。君もね。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい、アレン」
カトレアは微笑んで部屋を出ていく。暗い空気が漂う中で、それでも彼女の笑みが俺の心を温めてくれる。ベッドに沈み込みながら、デマと門前払い、偽証拠というトリプルパンチで疲労困憊の自分を自覚した。
リシャールの権力は絶大だ。次にどんな謀略が飛び出すかもわからない。けれど、このまま屈するわけにはいかない。敵の狙いは俺たちに絶望を与え、内から崩れさせることだろう。だったら、それに負けない意志を示さなくちゃいけない。
「……あした、ロイドに連絡だ。絶対に、手を組んで逆転してやるんだ……」
つぶやきながら瞳を閉じる。脳裏にはカトレアの不安げな顔と、それでも毅然と誓った姿が交互に映っていた。まだ夜は長い。王都の底知れない闇に飲み込まれる前に、ほんの少しでも心を安らげなければ。
こうして、俺たちはまた一日を終える。絶望感は増すばかりだが、“あきらめたくない”という思いだけは消えない。次の手を探して、殿下の偽証拠に対抗できる策を見つけるために――そうして互いに肩を寄せ合いながら、明日に希望をつないでいく。




