第17話 王宮の謀略②
午後の陽射しが傾き始めた頃、屋敷の応接室に急ぎ足で入ってきた情報通の男が、息を整える間もなく話し始めた。
「アレン様、カトレア様……とんでもない噂が広がりはじめています。王太子殿下が、“カトレア様が他国と結託している”という偽の証拠を出そうとしているとか……」
その言葉に、俺は思わず椅子から立ち上がり、カトレアも顔をこわばらせていた。朝に王宮へ直談判しようとして門前払いをくらったばかりなのに、もうこんな悪辣な手が回り始めているとは。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それ、本当なのか? いくらなんでも“他国と通じている”なんて……国レベルの反逆をでっち上げるのか?」
「ええ、私も信じがたいのですが、確かな筋からの情報でして。どうやら“カトレア様が軍事情報を横流ししている”などと、捏造書類を作り始めたらしいんです。殿下はあらゆる手段を使ってでも、“反逆者”を完全に失脚させたいんでしょう」
男は額の汗を拭いつつ、眉をしかめて悲痛な表情を見せる。もはやこれまでにない危機感がにじんでいた。カトレアは唇をきつく噛み、震える声で呟く。
「さすがにそこまで悪辣なことを……そんな大罪、私がやってるわけない。なのに、あの男なら本当にやりかねないわね。自分に歯向かった者を徹底的に排除するためなら、いくらでも嘘をでっち上げるはず……」
「確かに。殿下が“カトレア様は犯罪者だ”という噂を流し、それで下地を作ってきたのは間違いない。そして今度は国家反逆罪……。さすがに度が過ぎるよな」
俺は頭を抱えて椅子に腰を下ろす。誹謗中傷のビラ程度とはわけが違う。国家反逆罪になれば、カトレアだけでなく、庇っている俺まで共犯扱いされる可能性が高い。そうなったら正当な裁判すら受けられないかもしれない。
「けど……あの男なら本当にやりかねない、か。朝に門前払いされたばかりだし、やっぱり王宮の中で主導権を握っているのは殿下なんだろう。このままじゃ、君が国賊として正式に断罪されてもおかしくない」
「正式に……断罪。もしそんな嘘を真に受けたら、私はもう完全に社会から葬られる。あなたにも危険が及ぶし、領地だって……」
「考えたくないが、それが現実だ。偽の証拠を出されれば、俺たちはどう弁明しても先に疑いをかけられる側。今のままじゃ殿下の政治力に対抗できない」
ここで一度言葉を切ると、屋敷に張りつめた沈黙が重くのしかかる。カトレアはうつむいて拳を握りしめ、何とか自分の感情を抑えようとしている様子だ。彼女が王都へ戻ることを決意した矢先に、こんな強烈な一手が飛んでくるなんて、まさに悪夢としか言いようがない。
「……アレン、どうする? 私たちがこのまま何もしなければ、殿下が作った偽証拠が“真実”として広まってしまうわよ。私が本当に他国の密偵みたいに扱われたら……」
「落ち着いて。まだ正式に公表されたわけじゃない。偽証拠を流そうとしている段階だろ? だったら、それを否定する材料を探して先手を打てばいい。何もせず殿下が仕掛けてくるのを待つわけにはいかない」
「でも、その材料をどうやって見つけるの? 殿下の取り巻きは一枚岩だし、私がやってないことの証明なんて、やってる側が偽書類を作れば簡単に崩されるんじゃない?」
「確かに“やってない証拠”を示すのは難しい。けど、殿下がどういう形で偽装を進めているかが分かれば、逆にそこを突く手段が見えてくるかもしれない。何らかの矛盾とか、偽装の痕跡とか……」
俺は頭を巡らせる。ロイドがいくつか王都の有力者と話をつけようとしているが、この件については急いで動かなければならないだろう。捏造された“犯罪証拠”が出回ってから対抗しても手遅れかもしれない。
情報通の男が申し訳なさそうに言葉を継ぎ足す。
「まだ確定の話ではありませんが、王太子は“カトレア様が他国に軍事情報を提供している”として、いつでも逮捕令を出せるよう準備しているとか。小さなトラブルではなく、本当に国家を揺るがす罪で――」
「大袈裟にもほどがあるわ。私がどこの国と結託するっていうの? レーヴェンシュタイン家だって王家と繋がっていたのに、他国に軍事情報なんて渡すわけ……っ、馬鹿馬鹿しい!」
怒りと悔しさでカトレアの声が上ずる。しかし、同時にその瞳には恐怖の色が宿っているのがわかった。王太子リシャールは、そこまでして彼女を貶めようとしている。いっそ命を奪うよりも悪質な手口だ。
「“逮捕令”か……殿下の政治力を考えれば、裁判所が形だけ動いて一瞬で結論を出す可能性もある。そうなれば正真正銘の“国賊”として処罰されるだろうな。最悪は死罪かもしれない」
「……こわいけど、やっぱりあの男ならやりかねない。私があの夜会で殿下を公然と批判したようなものだし、あなたも庇った以上、一緒に処罰されかねないわ」
「つまり、時間がないってことだ。やるなら迅速に『そんな証拠は嘘だ』って示さないと。最終的には殿下の言い分を覆す、強い証拠や証言を手に入れなきゃダメだな」
「そんなもの、どこに転がっているの……? 無実を証明するのって、本当に大変よ」
「大変だろうけど、やるしかない。負けたら完全に終わりだ。……よし、ロイドやエレナとも協力して、逆に殿下の捏造を暴く証拠を探すしかないな」
俺は意を決したように拳を握り、カトレアも顔を上げる。彼女の表情にはまだ恐怖が残るが、それでも“背水の陣”の覚悟が垣間見えた。
「私も協力する。王都の人脈はまだ少し残ってるし、レーヴェンシュタイン家がまったく動けないわけじゃない。父や兄がどう出るか分からないけど、何かしら情報を得る手段はあるかもしれないわ」
「うん、それに期待する。……とりあえず、この話をロイドに伝えなきゃな。殿下が“他国との結託”という大罪を作ろうとしているなら、あっちも対策を練る余地があるはず」
情報通の男が深く頭を下げ、「私はこれで失礼します。十分にお気をつけて……」と退出していく。重苦しい空気が応接室に残り、俺とカトレアは向き合ったまま息を呑む。
「さすがにそこまで悪辣だなんて、想像を超えているわ。本当に何でもありね、あの王太子は」
「無実の人を犯罪者扱いするのはもう珍しくないんだろう。……だが、諦めるわけにはいかない。絶対にこの冤罪を跳ね返して、真実を証明しよう」
彼女が小さく頷くと、その瞳に決意の炎が宿っているのが見えた。恐怖は消えてはいないだろうが、俺たちは敗北を甘んじて受けるわけにはいかない。
「証拠を否定できる“別の証拠”を探す、といっても簡単じゃないわ。けど、やるしかないものね。わたしが“他国と結託していない”ことをどうにかして示さないと」
「示そう。殿下が嘘を広める前に、先手を打つのが一番だけど……少なくとも対抗策を用意しなきゃ。ロイドやエレナとも連絡を密にして、内情を探ってみるんだ」
「……これ以上、殿下の好きにはさせない。わたしたちの闘いはまだ始まったばかり。そうよね、アレン」
「うん、ここで挫けたらもう一生終わりだ。俺も君も、守りたいものがあるし、ここで殿下に負けるわけにはいかない」
そう言って拳を握りしめると、カトレアも力強く頷く。お互いに“殿下を許すまい”という意識がはっきり共有され、もしここで怯んだらすべてが終わると理解している。
「なら、動こう。偽証拠を否定するための情報収集、ロイドへの連絡、エレナさんのコネクションも使えるはず。……時間が勝負ね」
「まさにそうだ。恐れている暇はない。待っていても殿下はさらに手を打ってくる。こっちから先に動いてやろう」
シーンの最後に、俺たちは強く視線を交わす。このまま黙って殿下の捏造を許すなら、カトレアは“国家反逆罪”で終わらせられてしまうし、俺も同罪で巻き込まれるのは必至だ。
けれど、こうして二人で誓えば心に湧き上がるのは闘志――“絶対に殿下の思いどおりにはさせない”という気持ち。まだ勝算は見えないが、負けを確定させるわけにはいかない。ここが正念場だと自覚しながら、俺たちは情報の糸を辿るための一歩を踏み出そうとしていた。




