第1話
目を開けると、俺は知らない草原の中に立っていた。
草原を吹き抜けるそよ風が、空を行く鳥たちの声が、青い草特有の匂いが、鋭くなった五感を刺激する。
「本当に、異世界に来ちゃったんだなぁ……」
口から洩れる、前の世界での、俺のものとは違う鈴を転がしたような涼やかな高い声。
(えと、まずはどうするんだっけ?)
心の中で呟きながら、思案顔になった俺が周囲を見渡すと、俺の横の地面に転がっている一冊の小冊子に気が付いた。『異世界生活の手引き』と書かれたその冊子は、俺があの時神様に見せられた物と同じ物だった。
それをしゃがみ込んで手に取った俺は、地面に腰を下ろすと、パラパラとそれをめくり、行動する前に必ずしなくてはいけないことを確認する。
(ええと……ステータスの確認と、アイテムボックスの確認、マップの確認、か……)
俺は、そこに描かれていたように心の中で『ステータス』と念じた。すると、目の前に半透明の画面が現れる。その中には、俺が希望した通りの身体状況が表示されていた。
キャラクタークリエイトにこだわりぬき、レベルカンストまで育て上げた自慢の娘。ホラアクでのメインプレイヤーキャラクターの姿そのままが表示されており、その下のタブには、俺が最後にプレイした時と同じ状態が表示されていた。
トーカ・モチヅキ
性別:女
年齢:13歳
ジョブ:ニンジャマスター
レベル:99
体力:☆9(98236/98236)
マナ:☆9(90314/90314)
攻撃力:☆9(9561)
防御力:☆9(9203)
魔法攻撃力:☆9(9456)
魔法防御力:☆8(8769)
命中率:☆10(100%)
回避率:☆9(98%)
攻撃速度:☆10(1236)
移動速度:☆10(1420)
装備
メイン:桜花月影の手裏剣・神極
サブ:桜花月影の忍刀・神極
頭:桜花月影の忍元結・神極
体:桜花月影の忍衣・神極
腕:桜花月影の忍手甲・神極
足:桜花月影の忍脚絆・神極
称号
鍛冶神匠
木工神匠
裁縫神匠
製薬神匠
神の手を持つ料理人
創造神の加護を受けし者
異界神の祝福を受けし者
転生者
加護
創造神の加護 戦神の加護 鍛冶神の加護 裁縫神の加護 工芸神の加護 料理神の加護
薬神の加護
異界神の祝福
「おぉぅ……これはすごい……」
ホラアクでのプレイヤーキャラクターだった、トーカそのままでのステータスが俺の前に表示されていた。少し呆れたような表情になった俺は、タブを操作して、スキルも確認していく。
「言われたとおり、これって所謂チートってやつなんだよな……。見た目も能力も。言っていたことが本当の事だったら、だけどなー。ホラアクじゃ俺以上のステータスを持った奴は何人かいたし」
廃人プレイヤーをごろごろ抱えたギルドの中でも、そのトップを走る俺が所属していたギルドのギルマスを思い出しながら、俺はそう呟いた。あいつ、課金アイテムつぎ込んで各種ステータスカンストさせてたし。
深いため息をつくと、俺は首をぶるぶると横に振った。
「まあこれはこれで仕方ない!残念ながらこれがガチでリアルだから!!」
暗くなった気分を吹き飛ばすかのように、俺は大声でそう言った。
涼やかな声が、誰もいない草原に響き渡っていく。
「さて、次は……。《アイテムボックス》」
ステータス画面の右隅にある、小さな×印を指で触ってステータス画面を消すと、何もない空中にぽっかりと黒い穴が開いた。大きさはちょうど手を入れて余裕がある程度の黒い穴に手を入れると、試しにHPポーションXを1個取り出してみた。俺が手を黒い穴から出すと、手には澄んだ赤い色の液体が入った透明な小瓶が一本握られていた。またそれを黒い穴に入れて手を穴から抜くと、俺の手には何も握られていなかった。
「おお、これは便利。自分は猫だと言い張る某青ダヌキのなんでも入るポケットみたいじゃん。何が
入ってるかは何となくわかるし、個数を念じればその個数だけ引き出せるとか最高すぎる。今まで貯めこんだ金もここに入ってるっぽいし、必要な分だけ財布か何かに入れて、あとはこの中に入れておけば安心かな。まあ、どっかで使えるかどうか確認しなきゃだけど」
俺が黒い穴を手で払うようにすると、黒い穴が消えた。
「これもテンプレだと目立ちすぎるとか何とかでごまかす必要性もあるか……。まあ、どこかで袋を手に入れて、その中でやるようにすればいいかなぁ」
中学生時代から今の今まで読み漁った各種ラノベを思い出すと、俺はそう呟いた。
「あとは自分のボディチェックだな。どこかに小川かなんかあればいいんだけど」
俺は周囲を見回すと、鋭くなった聴覚に川の流れる音が聞こえてきた。
その方向に走り出すと、すいすいと景色が流れていく。体が軽い!それに疲れないとか最高!!アラサーを過ぎてメタボ体型になってから、そういった感覚は久しぶりだったので俺はちょっと感動した。しばらく走ると、きれいな水の流れる小川が草原の中を流れていた。遠くには橋が架かっているのだろうか、ゆっくりと馬車が通り過ぎていくのが見えた。
鋭くなった五感に感動しつつ、俺は小川に近づくとゆっくりとそれを覗き込んだ。
そこには年の頃十代前半の、黒い猫耳が生えた、黒髪をポニーテールにした涼やかな印象の少女が映っていた。衣服はホラアクで見慣れた、ごく薄く桃色がかった白地に舞い散る桃色の桜の花びらがデザインされた、両サイドに腰まで深いスリットの入ったノースリーブミニ丈の、ややもすると露出度が高いと言われそうなまったく忍んでいない忍び装束。少し激しく体を動かすと簡単におぱんつが見えてしまいそうだと思いながら目を下にやると、やや膨らみかけた慎ましやかな胸が目に入ってきた。そのまま股の間に手をやると、そこにはずっと慣れ親しんだぞうさんがいなくなっていた。
「おぉぅ……マイぞうさんさようなら……。実戦で使えなくてごめんよ……」
その場に頽れると、心の中で実戦配備されることなく、訓練でしか使うことのなかったぞうさんに敬礼しつつ、女になってしまったという事実をひしひしと感じていた。そう、アラフォーの俺はもうこの世には存在しておらず、ここにいるのは猫耳少女のトーカ・モチヅキなのだ。俺はこれから女として生きていかなくてはならないのだ。
「そうすると、話し方も女に変えないといかんのか。俺とか男言葉を使うのはおかしいもんなぁ……。よし、決めた!ギルチャで使っていたトーカの話し方でいこう。それが一番おかしくないかもしれない」
そう言うと、俺は小川を覗き込みそこに映る自分の姿に話しかけた。
「私はトーカ・モチヅキ。見ての通り獣人。よろしく」
深夜アニメで見たことのある無口なクール系美少女が話すような話し方で言うと、小川に映る少女も涼やかな声で私と同じように口を動かした。
「うん、ばっちり」
にこりと笑うと、小川に映る少女もにこりと笑った。うれしそうな感情を表すかのように、頭の上に生えた猫耳がひくひくと動く。背後では、猫のしっぽがゆらゆらと揺れていた。
私は、頭の猫耳と背後の猫しっぽに触れるとその感触をしばらく楽しんだ。
「ん……っ……。さらさらもふもふ……毛並みも触りごこちも最高……」
気持ちよさそうな声を上げると、私は手を耳としっぽから離した。これ以上触ったら自分が気持ちよくなりすぎておかしくなってしまいそうだったから。
小川を覗き込むと、そこに映る私の頬がうっすらと桃色に染まっていた。
(これは良くない。耳としっぽを触らせるのは本当に仲良くなった人じゃないとだめ)
そう心に強く決めると、私はゆっくりと立ち上がって背中と腰に手をやった。
「ん、武器はちゃんとある。防具もホラアクの中と同じ。あとは私がこれをうまく使えるかどうか。ちょっと体を動かしてみる」
私は小川から離れると、背負っていた手裏剣を両手に持った。両手に持つと同時に手裏剣が納刀状態の、背負えるほどの大きさから、身の丈以上の大きさをもつ抜刀状態へと変化する。それを両手に持ったまま、体の動くままにホラアクで使い慣れた通常攻撃のコンボを繰り出していく。どうやら、この体はその使い方をよく知っているようだった。体の動かし方や手裏剣の動かし方も最初から知っているかのようにスムーズな動きでその場で攻撃を繰り出していく。そのまま、今度は回避やスキルを混ぜて体を動かしていく。回避行動もスキル攻撃も問題なく繰り出せることを確認した私は、手裏剣を納刀状態にして背中に背負った。
(これだけやっても全く疲れてない。この体すごい。自分が思った通りの動きができた)
子供の頃空手を習っていた記憶を思い出しながら、若かったあの頃もここまでの動きはできなかったと苦笑する。あの頃の記憶はもう薄れてしまい、細かい部分までは思い出せないが、あの頃このような動きができていたならば、全国大会で優勝することも夢ではなかったかもしれないと思った。
「次はこっち」
そう呟くと、腰に差した忍刀の柄を逆手に持ち抜刀する。そのままの流れで通常攻撃のコンボをしばらくその場で繰り返した後、先ほどと同じく回避行動やスキル攻撃も混ぜて体を動かす。しなやかな動きで、蝶が舞い蜂が刺すように私の体が動く。体が思う通りに動くことに、私は感動していた。ひとしきり体を動かすと、手にしていた忍刀を腰の鞘に納めた。忍刀が納刀状態であることを確認した私は、ゆっくりと息を吐き出した。
(あれだけ体を動かしたのに全く疲れてないのは、この体チートすぎる。うまくやらないと目立つ)
私は、新しく直面した問題にため息をついた。まあ、目立たないようにすれば大丈夫だろう。そう思い気持ちを切り替えると、私はまだ試していなかったことがあるのを思い出した。
「そうだ、あと試していないことがあった。えと……《マップ》」
そう言って空中をちょんと触ると、目の前に半透明の地図―マップがあらわれた。
(この青い矢印が私の今いる場所と向いている方向。白い線が道。水色の線が川。この草原が薄い緑色で表示されているから、この濃い緑は森林かな)
心の中で呟きながら、私は半透明のマップを右手の親指と人差し指でタブレット端末を操作するかのように拡大縮小させてみた。
(最大まで拡大すると自動的に世界地図になるのね。この青が海で、この水色が湖。たぶん池も水色だと思うから、大きさで判断。茶色は山岳地帯で、白は雪原地帯……たぶん)
私は地図を最初の縮尺まで戻すと、目の前の目立たない場所に指でドラッグして移動させた。地図は移動するときはこのままでも構わないだろう。そう思った私はとりあえず地図の白い線―先ほど遠くに見えた橋のかかる道だろう―そこへ移動することにした。
この世界で生きていくとなった以上、現実世界と同じようにおなかもすけば排泄行動もするだろうし、怪我をすれば痛いし場合によっては命の危険性だってある。神様が言っていた通りならば、この世界は剣と魔法があるものの文明レベルは地球の中世レベルの世界。それは端的に言ってしまうと、現代日本のようにぬるま湯につかったような平和な世界ではなく、生死がすぐそばにある危険な世界であることを意味している。
地球の中世だって普通に盗賊や山賊、海賊がいて強盗や略奪行為もあったし、国と国の大きな戦争もあった。何せ当時のイギリスとフランスが百年もの間戦争をしていたという事実もある。殺人事件の頻度だけでも、戦国時代~江戸時代の日本だって現代日本のそれよりははるかに多かった。ちょっとした病気やけがが命の危機に直結することだってあった。
用心しすぎてそれに越したことはないはずだ。
これが小学生~高校生くらいの若者ならば、浮かれてその部分に気が付かなかったかもしれないだろうが、見た目は十三歳の猫耳少女ではあるが中身は四十歳間近のおっさんである。しっかりとこの状況を現実であるととらえていた。
自分の目の前にあることはすべて現実であると認識しなければならない。それは強く覚悟をしていかなければならない。そう思うと、私は心の中でこの世界で生きて生きて、生き抜いていくという覚悟を決めた。
(まずは街か村で拠点を探してこの世界の常識も手に入れなくちゃいけない。それが当座の目標)
とりあえずの目標を決めた私は、マップを確認して、小川にかかっていた橋を目指して走り出した。
しばらく走ると、木でできた小さな橋に出た。橋の下には、先ほど私が自分の姿を確認した小川が流れている。橋の欄干にもたれかかり、私はマップをドラッグして付近に街か村がないか探していた。
しばらくの間ドラッグしていると、白い丸で表示された場所があることに気が付いた。
(たぶん、これが街か村……かな。まずはここを目指す)
おそらくテンプレだと、街に入るには入場料がかかるはず。そう思いだした私は、周囲に人がいないことを確認してから、アイテムボックスより銀貨を十枚取り出して、忍び装束の懐の内側にあるポケットに忍ばせた。
お金がしっかりと入っていることを確認した私は、現在地と白丸の方向を確認してマップを目につかない場所に移動させると、白丸の方向へ舗装されていない、ただ草原を切り開き人や馬車が通ることで道になったと思われる土がむき出しになっている街道を走り出した。




