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トカゲ主夫。発売記念短編:わらびもち




 それは、ある日の夕食後のこと。

 食べ終えた後の食器を片付けた陽海が、ふぅと息を吐いてお茶を飲む。


「そういえばトカゲさん、今日はデザートがあるんです」

「デザート?」


 俺はしっぽをぱたりと揺らす。

 デザート、というのは食後に食べる甘いもののことだ。

 すっかり蒸し暑くなった今日この頃、食後のデザートも冷たいものが多い。

 アイスだろうか。

 ゼリーだろうか。

 冷やした果物ということもある。

 最近陽海が貰ってきた桃、と呼ばれる果物は水気がとても多く、それでいて濃厚な甘みがとても美味しかった。


「今日はねえ、駅で何か美味しそうなわらび餅が売ってたんです」

「わらびもち」


 餅、というのは知っている。

 おでんの巾着に入っていた。

 あのねちねちとした触感とほのかな甘みを思い出すものの、あまりそれはデザート、との響きとは重ならない。

 わらび、の部分が甘いのだろうか。

 そういえば、桜餅も餅だ。

 同じ餅でも、おでんの餅と桜餅の餅は味わいが随分と違ったような気がする。

 わらびもち、というのはどちらに近いのだろう。

 デザートというくらいだから、桜餅に近いのだろうか。

 立ち上がってキッチンへと向かう陽海の肩に向かって、跳ぶ。

 たん、と肩に着地するのにも随分と慣れた。

 陽海は上機嫌そうに鼻歌を歌いながら、冷蔵庫をがぽんと開ける。

 中から取り出したのは、お惣菜が入っているようなプラスチックのパックだった。

 表面には、「わらびもち」と平仮名で書かれている。


「たまにね、本わらびもち、っていっていかにも特別っぽいわらびもちを駅で売ってるんです」

「特別っぽいわらびもち。特別じゃないわらびもちもあるんだろうか」

「ンー……、最近はコンビニなんかでも見ますからねえ。そういうのとは一味違った本家本元の本気のわらびもち――…ということなのでは」

「本気のわらびもち」


 そんな風に言われるとますます気になって来る。


「駅で売ってるのって、小さな屋台なんですよ。で、商品も持ってきた分だけで、なくなったら終わっちゃうんです」

「うん」

「だから、今日みたいに帰りに見つけられるとちょっと得した気持ちになります。出かける途中で見つけると、買っても溶けちゃうかな、とか。置く場所に困ったりして我慢することが多いので」

「そうなのか」

「はい」


 嬉しそうに、陽海が紙の装丁を外す。

 透明なプラスチックの蓋の向こうには、何かよくわからない茶色の■がみっちりと並んでいた。


「…………」


 じっと見る。


「………………つち?」

「違います」


 陽海の否定は早かった。

 土ではないらしい。

 細かい土のようなものが満遍なく中につまった■を覆っている。

 土にしては色合いが明るく、砂にしては粒が細かい。

 陽海がぱかりと蓋を開ける。

 ふわ、と鼻先を漂う、香ばしい香り。

 良い匂いだ。

 俺はトンと陽海の肩からテーブルへと降りて、パックの中の■へと顔を寄せる。


「あ、」


 陽海が何かを言いかける。

 それを聞きながら匂いを確かめようと俺はスン、と小さく鼻を鳴らして――


「ふェっくション!」


 くしゃみが、出た。

 ぶふあーっと目の前が霞む。

 沈んだ黄色の靄は、パックの中の■を覆っていたのと同じ色だ。


「あー!!!」


 陽海の悲鳴が頭上から聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん」


 謝る。

 テーブルは一面うっすらと黄色がかっている。

 それを台拭きで拭いていた陽海は、俺の謝罪に小さく笑った。


「粉ものは危険ですね。ほら、前のポップコーンも」

「そういえば」


 そうだった。

 あの時は、もうもうと舞う味付けパウダーに主に陽海が苦しんでいた。

 細かい粉末のかかった食べ物を口にするときには、要注意だ。

 テーブルを綺麗に拭き終わった陽海が、俺に向き直ってまた小さく笑う。


「トカゲさんも、きなこ味になっちゃいましたね」

「ン?」


 ちょい、と陽海が台拭きをティッシュに持ち替えて、俺の鼻先を拭う。

 言われてみれば、黒く艶を帯びた俺の鱗の上にも、うっすらと黄色の粉がかかっている。


「きなこ味」


 ぺろ、と爪先を舐めてみる。

 ほのかに苦いような、香ばしいような――…あれ。

 俺はこの味を、知っているような気がする。

 どうしてだろう。

 俺はきなこを口にするのは初めて、のはずだ。

 だけれど、この素朴で、苦いようで香ばしい仄かな甘みを知っている。

 

「陽海、俺はこの味、知ってる気がする」

「ふふふふ」

 

 答えを求めて見上げた先で、陽海が愉しそうに笑う。


「それはですね、きなこ、と言って。前に節分の時に食べた大豆から出来ているものなんです。あの炒り豆を細かく砕いたらきなこになります」

「なるほど」


 だから、知っているような気がしたのだ。

 あの時の豆と、よく似た素朴な味わい。


「大豆って、すごいな」

「え?」

「だって、お豆腐にもなるし味噌にもなるしきなこにもなるんだろう?」

「あと、お醤油にもなるし納豆にもなるし枝豆にもなりますねえ」

「……すごすぎないか、大豆」


 味噌と豆腐だけでもすごいと思ったのに、大豆にはまだまだ他の食べ方がいろいろとあるらしい。

 偉大だ。

 

「で、このわらびもち、というのはですね。実は『もち』とは言っていますが、前に食べた桜餅やおでんの巾着の中に入っていたおもちとは別物になります」

「別物。おもちには、種類があるのか?」

「うーん……種類がある、というか。和菓子の世界では、もちもちした触感のものを大まかに『もち』と呼んでいるところがありまして」

「うん」

「さくらもちのもちや、餅巾着のもちは、もち米を蒸して作ったものなんです。でも、わらびもちはですね。わらび、という植物から作っています」

「つまり、わらびで作ったもち、ということか?」

「その通りです。だから、わらびもちはもち、と名前についてはいるけれども、トカゲさんが知っている『もち』とはまた違った味がすると思いますよ」

「へえ」


 陽海の指先が、パックの中に入っていた小さな袋を取り上げる。


「それは?」

「黒蜜です。これをかけて、食べます」


 ぴ、と小さく口を切って、とろとろとした黒い蜜が■の上にかけられていく。

 艶のある黒の液体にきなこの薄い黄色が纏わりつき、やがてじっとりと同じ色に染められていく。ふわりと鼻先を、湿り気を帯びた甘い香りが霞めていった。

 ただ甘いのでなく、どこか水に濡れた土の香にも似たしっとりとした香りだ。

 きなこの香ばしさと混じって、いい匂いだと思う。

 早く、口に入れてみたい。

 わらびもちときなこは、どんな味がするのだろう。

 陽海が手にした楊枝で、器用に黒蜜ときなこを纏った■を持ち上げる。

 ぷるぷると震える■は柔らかそうだ。

 楊枝を刺したところから、自重で形を変えていく。


「はい、トカゲさん、ぁーん」

「あー」


 開けた口の中に、ぽとりと■が落ちる。

 とたんふわりと広がったのは香ばしくほろ苦いきなこの風味だった。

 それから、ひやりとした柔らかな感触。

 咀嚼すると、もちりと歯が柔らかな■に埋まり、ねっとりと貼りつく。

 そこから広がる濃厚な甘み。

 これは、黒蜜だ。

 甘い。

 けれど、甘いだけじゃない。

 とろとろと甘い中にきなこの香ばしさと、ほろ苦さと粉っぽさが閉じ込められている。そして、もちもちと咬み裂き、舌で丹念に味わうべく捏ねのばすわらびもち自体のひややかでささやかな味わい。

 一つで、三度楽しめる。

 

「おいしい」

「ふふ、良かった。私も、わらびもち好きなんです」


 あーん、と陽海が自分の口にもわらびもちを運んでいる。


「最近はお手軽にコンビニでも買えるようになりましたけど」

「うん」

「本わらびもちを食べると、なんだか夏だなあ、って気持ちになります」

「うん」


 あーん、と口を開けて強請る。

 楊枝の先に掬い取られるわらびもち、ひとかけ。

 ぽとりと落とされて、ぱふりと口の中できなこが舞う。

 それが口の外に零れてしまわないように、しっかりと口の中に閉じ込めてもにもにもちもちと黒蜜ときなことわらびもちの三位一体の味わいを楽しんだ。


 夏の、味がする。


本日8月17日は「トカゲ主夫。――星喰いドラゴンと地球ごはん――」の発売日ということで、読み切り短編を書かせていただきました!


読み切り短編、ということで、本編ではまだ春ですがトカゲさんに夏のお菓子を食べてもらいましたー!





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