思いを一つに
「おはよう、トオル」
「お、おはよう」
トオルの頭に昨日の記憶が蘇る。
トオルはナツの目を見ることが出来なかったが、ナツは何を考えているのか分からない人物なのでおそらく昨日の事なんて気にしていないのであろう。
トオルの心にナツの思いを抱えたまま、もう一つ大きな問題を抱えていた。
それは、挑戦した努力を簡単に砕かれたことだ。
周りにとってその努力は、米粒ほどの規模にしかならないと思うが、トオルにとってはこれからを左右するほど大事な事だった。
ぐずぐずしてどうすればいいか分からないトオルを横目に、鈴本はちゃくちゃくと絵をいくつか描き上げていき、サルは相方らしき人と組み公園での漫才練習にも力が入るようになっていく。
そんな日々が続く、ある日・・・
ナツの部屋で鍋パーティーをすることになった。
「こんな暑い夏に鍋ですか?」
「夏だからこそ汗を掻いて、食べるんだよ!」
「答えになってませんけど・・・」
「トオルは・・・鍋・・・嫌い?」
「いや嫌いじゃないけど、あれ?それよりサルは?」
「あ~サル君は漫才の練習をしてから来るってよ」
「なら、先に初めましょうよ!」
3人が鍋に箸をつけようとした時、サルが息をきらして入ってきた。
「おっ!来たな!」
サルの顔は険しかった。
鈴本は箸を置き、サルに訊ねた。
「どうした?何かあったのか?」
サルはカバンを投げ捨て、床に座り口を開く。
「あいつとは今日をもって解散しました」
相方と思っていた男はサルと違って、将来に本気でお笑いを注いでいなかった。
そんな2人が続けても意味はないと感じ、別れを告げてサルはみずき荘に戻ってきた。
「本当に・・・それでいいの?」とナツが訪ねるとサルは頭を縦に頷く。
この日、4人は口数を減らし鍋を食べた。
翌朝、一人の怒鳴り声と何かが倒れる音が聞こえる。
トオルは昨日のことからサルが腹いせで暴れているのだと思ったが、聞こえてくる方向は鈴本の部屋からだった。
トオルは慌てて鈴本の元へと向かった。
扉を開けるとそこには立ち尽くす鈴本と地面にばらまかれた紙や絵描きに必要な道具等が転がっていた。
カーテンで窓の光を遮り、部屋の中は薄暗かった。
「鈴本さん・・・」
「こんなもんしか描けない自分にムカついちゃって・・・ごめんね」
鈴本は静かに落ちている道具や飛び散った絵の具を拭き始める。
そこに寝起きのナツが来る。
この光景を見て、ナツは悲しい顔をして鈴本を見続けた。
トオルは何かを考えていたのか、しばらくして鈴本の手伝いをする。
トオルはここ最近の嫌な空気を変えたいため、いくつかの花火を買って来て、みんなをアパート下に呼んだ。
各々花火に火を点け、楽しむ。
この時、トオルは心に引っかかっている事をみんなに告げる。
「僕は初めてやってみたいことを見つけた。でも、すぐにそれは脆くも崩れたんだ。その後、サルや鈴本さんが挫折して・・・内心ではどこかで喜んでいた自分がいた」
「トオルくん・・・」
「自分だけじゃなくてよかったとホッとしていた自分がいた。でも、サルや昨日の鈴本さんを見て、こんなことを考えた自分にムカついた。このままみんなが悲しい顔していくのを僕は見たくないんだ」
ナツはトオルに火のついてない花火を渡し言う。
「トオルは・・・優しい人なんだね」
その花火に鈴本は火を点けて言う。
「トオル君は、自分の事だけ考えてればいいのに・・・」と飽きれた顔をして笑った。
明るく光り飛び散る先端にサルはもう一本火の点いてないのを近づけ火を点けた。
「トオルはホンマにお人よしやな~」
トオルはそんなみんなの言葉を聞き、笑って言った。
「ここ、みずき荘にいる住人は皆何かしらの目標を持ってるんだ!みんなでその目標まで走りたいんだ!」
「まったくそんな事言われると、俺達がまるで駄目人間みたいじゃないか~」と鈴本とサルは笑いながら花火が置いてある場所に向かった。
ナツもトオルに「頑張って」と一言伝えて後ろに下がった。
トオルは小声で「うん、頑張るよ」と言った。
手に持つ花火はゆっくりと輝きを消していく。
「もし挫けても、僕たちには進む道しかない。立ち停まっても一歩一歩また進めばいい。言うのは簡単だが、行動にするのは難しい」そんな当たり前の言葉を飲み込みトオルは3人の元へと歩いた。