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63話 不器用な協定


 カノアの決断を聞くと、ザインは短く鼻を鳴らした。


「……賢明な判断だ。感傷に浸って死ぬよりはマシだな」


 ザインはコートの裾を翻し、懐から黒曜石のような魔石を取り出した。


 彼がそれを地面に叩きつけると、ドムッという重い音と共に、地面に複雑な幾何学模様の魔法陣が広がる。

 黒い煙が渦を巻き、大地が震動した。


「出ろ、『いわおの巨城』」


 煙の中から現れたのは、象よりも遥かに巨大な、六本足の亀のような魔獣だった。

 背中の甲羅は平らに削られた岩盤のようで、苔や小さな木さえ生えている。


 その巨体は、まさに動く要塞だ。

 魔獣は低い唸り声を上げながら、主であるザインの前で恭しく頭を垂れた。


「『陸亀ランド・タートル』だ。揺れが少なく、長距離移動に適している。……瀕死の荷物を運ぶには丁度いいだろう」


 ザインは冷淡に言い放つと、魔獣のゴツゴツとした首筋を慣れた手つきで撫でた。

 凶暴そうな魔獣が、猫のように目を細める。


「……ヒルダさん」


 カノアは唇を噛み締めながら、ぐったりとしたヒルダを慎重に抱きかかえた。

 重い。

 肉体を取り戻した彼女は、鎧の時のような冷たさはない。だが、その身体は高熱を発し、脂汗で濡れている。


 命の重さだ。

 傷口はザインの氷結術で塞がれているが、あくまで時間稼ぎに過ぎない。

 カノアの『心眼』には、ヒルダの魂の色が、風前の灯火のように弱々しく明滅しているのが見えていた。


 一刻の猶予もない。


「急ぐぞ。……その女の命が尽きる前に、谷へ辿り着かねばならん」


 ザインが先に魔獣の背に飛び乗った。

 手を差し伸べることもなく、甲羅の先頭に座り込む。


 カノアとルミナは、協力してヒルダを甲羅の上に慎重に寝かせ、自分たちも乗り込む。

 魔獣の背中は意外なほど温かく、そして安定していた。


「出発だ」


 ザインの号令で、陸亀がゆっくりと歩き出す。

 ズシン、ズシンという重い足音が響くが、甲羅の上は不思議と揺れない。


 サスペンションのように衝撃を吸収しているのだろうか。まるで船に乗っているかのような感覚だ。


「……助かる」


 カノアは短く呟いた。

 敵に礼を言うのは癪だが、この揺れの少なさなら、ヒルダの傷に障ることもないだろう。

 ザインは振り返りもせず、ただ背中でその言葉を聞き流した。


 ルミナは、ヒルダの頭を膝に乗せ、手持ちの水筒から水を布に含ませて、汗を拭っていた。


「ヒルダさん……頑張って……」


 ルミナが小さな声で歌う。

 『夜想ノクターン』の旋律。

 苦痛を和らげ、安らかな眠りを誘うための歌。

 その歌声が響くと、ヒルダの苦しげな呼吸が少しだけ落ち着き、眉間の皺が緩んだ。


 ザインは前方の闇を見据えたまま、ピクリとも動かない。

 ただ、目的地へ荷物を運ぶ御者のように、無心で手綱を握っている。


 一行は北西へと進む。

 目指すは『星降る泉の渓谷』。

 険しい山脈の裂け目にあるという、伝説の聖地。





 日は傾き、空が茜色に染まっていく。

 荒野の岩肌が赤く燃えるような夕暮れの中、魔獣の歩みは止まらない。


「ザイン」


 カノアが、低い声で呼びかけた。

 ヒルダの様子を確認し、少しだけ落ち着いた頃合いを見計らっての問いかけだ。


「アンタの探し物って、なんなんだ? その場所に何がある?」


「……ヴィオラ様が廃棄した『ゴミ』だ」


 ザインは淡々と答えた。


「あの方は、気に入らないものや使い終わったものを、あの泉に捨てる癖がある。……記憶、感情、そして魂の欠片」


「ゴミ捨て場ってわけか」


「そうだ。だが、私にとっては砂金よりも価値があるものが混じっている可能性がある」


 ザインの声に、微かな熱が宿る。

 

「なるほどな。……俺たちも、ゴミ拾いは得意分野だ。なんせ出会ったのがゴミ捨て場だからな」


 カノアは自嘲気味に笑ったが、その目は笑っていなかった。

 捨てられた者たちが、捨てられた場所へ向かう。

 だが、今度は拾われる側じゃない。


 奪われたものを、泥の中から引きずり出してでも取り返す。その執念が瞳に宿っていた。


「……お前たちの事情など知らん。足だけは引っ張るなよ」


 ザインは会話を打ち切り、目を閉じた。

 だが、その警戒心は解かれていない。

 周囲の気配を常に探り、敵襲に備えているプロの姿だ。


 その背中は、敵であるはずなのに、今のカノアたちにとっては唯一の頼れる道標だった。


 夜の帳が下りる。

 満天の星が瞬き、冷たい風が吹き抜ける荒野を、巨大な亀が静かに進んでいく。

 奇妙な四人旅。


 敵と味方、利用する者とされる者。

 だが、その間には、ヒルダの命を繋ぐという一点において、見えない共闘関係が結ばれていた。


 彼らは、星の光だけを頼りに、前へと進み続けた。


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