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30話 渇きと兎と情報量


 灼熱の地獄だった。


 『黄昏の砂漠』を抜け、東へと続く街道。

 そこは本来、オアシス都市『ミラム』からの湿った風が届くはずの場所だったが、今のカノアたちを包んでいるのは、肌を焦がすような熱波と、どこまでも続く乾いた砂の海だけだった。


「……暑ぃ」


 カノアが掠れた声で呻く。

 足取りは鉛のように重い。一歩進むたびに、ブーツが砂に沈み込み、体力を容赦なく削り取っていく。


「み、みず……」


 隣を歩くルミナも限界だった。

 白い仮面をつけているとはいえ、その下にある肌は熱で火照り、呼吸は浅く早くなっている。彼女の魂の色が、脱水症状による生命力の低下で、頼りなく明滅しているのが『心眼』に映っていた。


 ドサッ。


 ついに、ルミナが膝をついた。

 カノアも支えようと手を伸ばしたが、自分自身の平衡感覚も怪しく、そのまま二人して熱された砂の上へと倒れ込む。


「ちょっと二人とも!? しっかりしなさい!」


 最後尾を歩いていたヒルダが、慌てた様子で駆け寄ってくる。

 彼女は『生体鎧』という特性上、暑さも乾きも感じない。だが、その巨大な鉄の身体は直射日光を浴びてフライパンのように熱されており、うかつに触れれば火傷しかねない状態だ。


「だから言ったじゃない、さっきの休憩所で水を補給しておくべきだって……」


 ヒルダはオロオロと周囲を見渡した。

 彼女の水筒はすでに空だ。カノアたちの分も、数時間前に底をついている。


「……め、面目ない……。俺の『心眼』でも、蜃気楼までは見抜けなかった」


 カノアは乾いた唇を舐めた。

 予定では、もうとっくにオアシス都市ミラムに到着しているはずだったのだ。だが、魔女の影響か、あるいはこの土地特有の磁場異常か、砂漠の地形が地図とズレていた。


 喉が張り付く。

 意識が遠のく。

 このまま干からびて、砂漠の養分になるのか。それもまた一興……なんて皮肉を言う元気もない。


 その時だった。


「水、要る?」


 頭上から、鈴を転がすような軽い声が降ってきた。


 カノアが重いまぶたを持ち上げ、声のした方角へ『心眼』を向ける。

 そこには、岩陰からひょっこりと顔を出している「何か」がいた。


 小柄な人影だ。

 だが、頭には長く伸びた二つの耳。

 お尻には、丸くてふわふわとした尻尾。

 獣人族だ。それも、砂漠に住む兎人族ラビット


 鮮やかなピンク色の髪が風に揺れ、同じ色をした大きな瞳が、興味深そうにこちらを見下ろしている。


「……幻覚か?」


「幻覚じゃないよ。ボクはここ、現実にいる商売人さ」


 兎人族の娘は、岩の上から軽やかに飛び降りた。

 スタッ、という着地音すらしない。驚くほど身軽だ。


 彼女は腰に下げた革袋をちゃぷちゃぷと振ってみせた。中から、水がたゆたう音が聞こえる。


「冷たくて美味しい水だよ。この辺じゃ貴重品だ。……一杯、銀貨一枚でどう?」


「……ぼったくりだな」


需要と供給サプライ・アンド・デマンドってやつさ。死にかけの命よりは安いと思うけど?」


 少女はニシシと笑い、長い耳をピコピコと動かした。

 悪びれる様子もない。生きるためのしたたかさを感じる。


 カノアは苦笑し、懐から銀貨を三枚取り出して指で弾いた。


「商談成立だ。……ありったけくれ……」


 少女は空中で銀貨を見事にキャッチすると、嬉しそうに革袋を差し出した。


「毎度ありっ! お客さん、話が早くて助かるよ」


          ◇


 少女から買った水は、確かに極上の味がした。

 乾いた細胞の一つ一つに染み渡り、カノアたちの身体に生気を呼び戻していく。


「ふぅ……生き返った」


 カノアは息を吐き、空になった革袋を返した。

 ルミナも青白い顔色が少し戻り、ヒルダの陰で安堵の表情を浮かべている。


「助かったわ。貴女、名前は?」


 ヒルダが尋ねると、少女は胸を張り、親指で自分を指差した。


「ボクはフィーネ。しがない情報屋兼、何でも屋さ。……この砂漠で迷子になるなんて、あんたたち運が悪かったね」


「情報屋、ねぇ」


 カノアはフィーネを観察した。

 年齢はルミナと同じくらいだろうか。

 服装は動きやすさを重視した盗賊風の軽装だが、随所に小銭入れや隠しポケットのような膨らみがある。


 そして何より、カノアの『心眼』が捉えた彼女の魂の色は、奇妙なほど「揺らいで」いた。

 嘘つきの色ではない。だが、本心を分厚いカーテンで隠し、決して他人に見せまいとする警戒心の色。


「じゃあ、追加料金を払うから道を教えてくれよ。オアシス都市ミラムに行きたいんだ」


「ミラム?」


 フィーネの長い耳が、ピクリと跳ねた。

 その瞬間、彼女の魂から「恐怖」に近い色が滲み出したのを、カノアは見逃さなかった。


「……やめときなよ。今のあそこは、観光できるような場所じゃない」


 フィーネの声から、商売人の軽薄さが消えた。


「『音』がないんだ。……あそこに入ったら、二度と声を出せなくなるよ」


「音が、ない?」


「ああ。魔女の呪いさ。……ボクは逃げてきたんだ。あそこから」


 フィーネは寂しげに視線を逸らし、砂漠の彼方――陽炎の向こうに霞む都市の影を見た。


「でも、行くんでしょ? あんたたちからは、トラブルに首を突っ込む奴特有の匂いがする」


「ご名答。……俺たちには、魔女をぶっ飛ばすっていう大事な用事があってね」


 カノアがニヤリと笑うと、フィーネは呆れたように肩をすくめた。


「やっぱりね。……いいよ、案内してあげる。ただし、別料金だ。それにボクは街の中までは入らないからね。入り口までだ」


「交渉成立だ」


          ◇


 フィーネの案内は的確だった。

 一見何もない砂漠に見える場所でも、彼女は「風の匂いが違う」と言って隠れた岩場や抜け道を見つけ出し、最短ルートでカノアたちを導いていく。


「すごいね、フィーネちゃん。砂漠のことが全部わかってるみたい」


 ルミナが感心して声をかけると、フィーネは得意げに耳を動かした。


「伊達にこの長い耳をつけてないよ。風の音、砂の流れる音……世界は『音』で満ちてるんだ。それを聞けば、どこが安全でどこが危険かなんてすぐに分かるさ」


 彼女にとって、聴覚こそが世界の解像度なのだ。

 視覚に頼らないという意味では、カノアと通じるものがある。


 やがて、砂丘の向こうに緑の木々が見えてきた。

 オアシス都市ミラム。

 砂漠の宝石と呼ばれるその街は、美しい湖を囲むように白い石造りの建物が並んでいる。


 だが、近づくにつれて、カノアはその異様さに眉をひそめた。


「……静かすぎる」


 本来なら、市場の喧騒や人々の話し声が聞こえてくるはずの距離だ。

 だが、風の音以外に何も聞こえない。

 街全体が、巨大な防音ガラスの中に閉じ込められているかのような静寂。


「言ったでしょ? 音がないって」


 フィーネが足を止め、街の入り口を指差した。


「今のミラムを支配しているのは、『沈黙の聖女』シレーヌ。……魔女ヴィオラ配下の歌姫さ」


「歌姫……?」


 ルミナが反応する。

 自分と同じ、歌を力とする存在。


「シレーヌは静寂を愛してる。だから、街から全ての『雑音』を奪ったんだ。大声で話すことも、笑うことも、歌うことも禁止。……逆らった奴は、石にされる」


 フィーネが拳を握りしめる。

 その小さな手が、怒りで震えている。


「ボクの家族も……みんな石にされた。パパも、ママも、弟たちも……みんな、歌うのが大好きだったのに」


 彼女が逃げてきた理由。

 それは恐怖からだけではない。自分一人だけが生き残ってしまった罪悪感と、何もできなかった無力感。

 それが彼女の心を縛り付けているのだ。


「……じゃあ、フィーネちゃんは一人で?」


「……悪い? ボクは逃げ足だけは速いからね。家族を見捨てて、しっぽ巻いて逃げ出した薄情者さ」


 フィーネは自嘲気味に笑い、強がるように鼻を鳴らした。


「だからボクは、情報を売って金を稼いでるんだ。いつか凄腕の傭兵でも雇って、家族を助けてもらうためにね」


 嘘だ。

 カノアには視えている。

 彼女の魂の奥底にあるのは、「誰かに助けてほしい」という依存心ではない。

 「本当は自分で助けたいのに、勇気が出ない」という悔しさだ。


「……傭兵なんて雇わなくていいよ」


 カノアはポンとフィーネの頭に手を置いた。

 長い耳の間を撫でる。


「え?」


「俺たちがやるよ。……どうせ魔女の手下だろ? 俺たちの標的ターゲットと被ってる」


 カノアは街を見据えた。

 その静寂の奥に、粘着質で歪んだ魔力の気配を感じる。

 ヴィオラの気配。そして、その下で歪んだ美学を振りかざす新たな敵の気配。


「ついでに助けてやるよ、君の家族も。……情報料のオマケだ」


「な……何言ってんのさ! 相手は魔女の幹部だよ!? あんたたちみたいな少人数で勝てるわけ……」


「勝てるわよ」


 答えたのは、ヒルダだった。

 彼女は巨大な鉄の身体を揺らし、フィーネの前に立った。


「私たちは、ここまでいくつもの死線を越えてきたわ。……それに、私たちにも『歌姫』がいるもの」


 ヒルダがルミナを見る。

 ルミナは仮面を押さえ、力強く頷いた。


「うん。……歌を禁止するなんて、間違ってる。私が、そのシレーヌって人に文句を言ってやる」


 フィーネは呆然と三人を見つめた。

 無謀だ。馬鹿げてる。

 でも、その瞳(カノアは見えないが)には、揺るがない自信と覚悟が宿っている。


「……変な奴ら。死んでも知らないからね」


 フィーネは顔を背け、涙を隠すようにゴシゴシと目を擦った。


「案内はここまでだ。……ボクは街外れの隠れ家で待ってる。もし生きて戻ってきたら、また水を売ってあげるよ」


「ああ。期待しててくれ」


 カノアたちはフィーネと別れ、静寂に包まれたミラムの門をくぐった。

 音のない世界。

 そこでは、声による意思疎通が封じられた人々が、怯えるように身を寄せ合い、筆談やジェスチャーで生活していた。


 そして、街の中央広場。

 そこには、見せしめのように石化された人々の像が並んでいた。

 恐怖に歪んだ顔。叫ぼうとして固まった口。

 その中には、長い耳を持つ兎人族の家族の姿もあった。


「……許せない」


 ルミナが呟く。

 その声は小さかったが、静寂の街にはっきりと響いた。


 新たな戦いの幕が開く。

 音を奪う魔女シレーヌと、音を奏でる歌姫ルミナ。

 相反する二つの「音」がぶつかり合うときが迫っていた。


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