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29話 鋼の鉄槌

 

 ルミナの歌声によって砂嵐が凪いだ瞬間、カノアの『心眼』は戦場の全てを掌握していた。


 風のノイズは消え、世界はクリアな情報の海へと戻った。


 崖の上に立つガロの驚愕、ザインの冷静な分析、そして砂の中に潜む砂鮫たちの脈動。


 全てが見える。


「作戦変更だ。……いや、最初からこれしかないか」


 カノアは愛剣を逆手に持ち替え、ニヤリと笑った。


「ヒルダさんは真っ直ぐ『本丸』へ。雑魚と人質は俺がやる」


「了解よ。……道を空けてもらうわ!」


 ヒルダが大地を踏みしめる。


 脚部に刻まれた『加速のルーン』が紅蓮に輝き、数トンの巨体が砲弾のように射出された。


 ズドォォォォォンッ!!


 爆音と共に、ヒルダが砂漠を疾走する。

 その進路を塞ぐように、数十匹の砂鮫が一斉に飛びかかった。


 だが、止まらない。


 ヒルダは避けもしない。


 ただ正面から、鋼鉄の肩でぶつかっていく。


 グシャッ! バキバキッ!


 魔獣の骨が砕ける音が響く。

 『物理無効』の加護と、圧倒的な質量による突進。

 それは武術ではない。歩く災害だ。


 触れた端から砂鮫が弾け飛び、肉片となって砂に還っていく。


「な、なんだあのデカブツは!? 化け物か!」


 崖の上でガロが悲鳴を上げる。


 彼の計算では、砂鮫の大群で足止めし、その間に人質を使ってじわじわと嬲り殺しにするはずだった。


 だが、現実は違った。


 ヒルダという規格外の質量兵器が、砂漠の支配者である魔獣たちをゴミのように蹴散らしながら、一直線に自分へと迫ってくる。


「ひぃッ! させるか! 人質を落とせ! 今すぐだ!」


 ガロが叫ぶ。


 崖の縁にいた部下たちが、慌てて鎖を切ろうとする。

 その瞬間。


 ――『空間転移(バウンダリー・ステップ)』。


 ヒュンッ!

 風切り音と共に、カノアの投げたナイフが部下たちの足元に突き刺さった。


 次の刹那、カノア自身がそこに出現する。


「させるわけないだろ?」


 カノアの剣閃が走る。


 部下たちが武器を抜くよりも速く、彼らの手首を峰打ちで砕き、無力化する。

 同時に、人質たちの鎖を正確無比に斬り裂いた。


「逃げろ! 崖下には行くなよ!」


「あ、ありがとうございます……!」


 解放された人々が岩陰へと逃げ込む。

 これで憂いはなくなった。


「チッ、計算外だ」


 ザインが舌打ちをし、鞭を構える。

 だが、カノアは彼を無視して崖の下を指差した。


「アンタの相手は俺じゃない。……あっちだ」


 ザインが視線を落とす。


 そこには、砂鮫の群れを突破し、崖の真下まで到達したヒルダの姿があった。


 彼女は膝を曲げ、溜めを作る。

 脚部のルーンが限界まで輝き、周囲の空気が熱で歪む。


「貴様の罪、その身で償いなさい!」


 ヒルダが跳んだ。

 それは跳躍というより、噴火だった。


 地面が爆発し、鋼鉄の巨体が垂直に上昇する。

 高さ三十メートルの崖など、彼女にとっては一跨ぎだ。


「く、来るなぁぁぁぁッ!!」


 ガロが必死に砂の壁を展開する。

 だが、そんなもので止まる質量ではない。

 ヒルダは空中で拳を振りかぶった。


 武器はない。


 あるのは、数百キロの鋼鉄の塊と、弱きを虐げる者への怒りのみ。


「重装破砕《フォートレス・ブレイク》ッ!!!」


 ドゴォォォォォォォォォンッ!!!


 拳が、ガロの展開した砂の壁ごと、彼自身を地面に叩きつけた。


 崖そのものが揺れ、亀裂が走る。

 砂煙が晴れた後には、地面にめり込み、白目を剥いて気絶しているガロの姿があった。


 一撃。


 完全なるオーバーキル。


「……ふん。手応えがないわね」


 ヒルダがガロを見下ろし、砂を払う。

 その背後で、ザインが静かに鞭を収めた。


「……ガロ程度では最早敵にもならんか」


 ザインは短く告げた。

 ガロという手駒を失い、人質も奪還された今、これ以上戦うメリットはない。

 彼はプロだ。勝てない戦いはしない。


「待てよ。逃がすと思うか?」


 カノアが剣を向ける。

 だが、ザインは懐から煙玉を取り出し、地面に叩きつけた。


「勘違いするな。逃げるのではない。……『狩り場』を変えるだけだ」


 濃密な煙幕が視界を奪う。


 カノアは『心眼』で追おうとしたが、ザインの気配はすでに砂漠の彼方へと高速で移動していた。特殊な移動魔術を使ったらしい。


 深追いは危険だ。この砂漠にはまだ魔獣が残っているし、救出した人々の安全確保が最優先だ。


「……逃げ足の速い野郎だ」


 カノアは剣を納め、ため息をついた。


 だが、勝った。


 ルミナが崖を登ってくる。

 彼女は、地面に伸びているガロを見て、少しだけ顔をしかめたが、すぐにカノアとヒルダに向かって駆け寄った。


「カノア、ヒルダさん! 怪我はない!?」


「平気よ。この程度の砂遊びじゃ、塗装も剥げないわ」


 ヒルダが胸を張る。

 カノアも笑って頷いた。


「ああ。おかげさまでな。……ルミナ、あのアリア、凄かったぜ」


「えへへ……。必死だったから、あんまり覚えてないけど」


 ルミナが照れくさそうに仮面を押さえる。


 彼女の魂の色は、戦いの高揚と、仲間を守れた喜びで、かつてないほど美しく輝いていた。


 砂嵐は止み、砂漠には静寂が戻っていた。


 岩陰から出てきた人質たちが、涙ながらに感謝の言葉を述べている。


 砂漠の暴君は倒れた。


 だが、ヴィオラの影はまだ消えていない。ザインもまた、必ず仕掛けてくるだろう。


 それでも、彼らは確かな一歩を刻み、オアシス都市の方角へと歩き出した。

 

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