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28話 歌姫の胎動

 

 『黄昏の砂漠』に足を踏み入れた瞬間、世界は黄土色の暴力に塗りつぶされた。


 ゴオオオオオオッ!!


 猛烈な砂嵐が、カノアたちの身体を叩く。

 それは自然現象などではない。


 風に乗って飛来する砂粒の一つ一つが、魔力で鋭利に研ぎ澄まされた刃となり、肌を容赦なく削り取ろうとする。


「くっ……! なんて風だ!」


 カノアは顔を腕で覆い、身を低くした。

 物理的な痛みだけではない。


 この砂嵐には、支配者ガロの悪意に満ちた魔力が混じっている。それが『心眼エイドス』のレーダーに干渉し、無数のノイズとなって脳内を掻き乱すのだ。


 まるで、砂嵐の音量を最大にしたラジオの中に放り込まれたような感覚。全方位から「敵意」という雑音が叫び続けている。


「カノア、大丈夫!?」


 ルミナの声が、風音にかき消されそうになりながら届く。


 彼女は白い仮面を手で押さえ、飛ばされないように必死に立っていた。仮面の隙間から覗く肌は、すでに風圧で赤く腫れているかもしれない。


「ああ、なんとかな。……けど、これじゃ遠くが見通せない」


 ルミナとヒルダの魂の光は視える。だが、その数メートル先にあるはずの敵の気配が、砂のノイズに埋もれて判別できない。


 完全なジャミング(妨害)を受けている状態だ。


「ギャハハハハ! どうだ、俺の庭の居心地は! 目が見えなきゃ、ただの的だなぁオイ!」


 砂嵐の向こう、見えない崖の上から下卑た笑い声が響いた。


 声の方向を見やるが、カノアの心眼(視界)は魔力の濁流で埋め尽くされている。


「歓迎してやるよ、ネズミ共! 食らえ!」


 ズズズズ……ッ!


 足元の砂が、生き物のように隆起した。

 カノアの『心眼』が警告を発するよりも早く、砂の中から巨大なあぎとが飛び出した。


 砂漠の捕食者、『砂鮫(サンドシャーク)』だ。


「しまッ――」


「させない!」


 ドンッ!

 ヒルダがカノアを突き飛ばし、自ら砂鮫の前に立ちはだかった。

 鋼鉄の顎が、ヒルダの胴体に噛みつく。


 ガギィィィン!!


 凄まじい金属音が響く。

 だが、砕けたのは鮫の歯の方だった。


 『物理無効』の鎧は、魔獣の数トンある咬合力すらも無効化する。


「ふん、ただの魚ね! 私の身体はもっと硬いわよ!」


 ヒルダは噛み付いたままの鮫の鼻先をガントレットで鷲掴みにすると、そのまま豪快に一本背負いを決めた。


 ドサァッ!


 巨体が砂の上に叩きつけられ、ピクリとも動かなくなる。


「すごい……!」


「感心してる場合じゃないわよ、ルミナ! 次が来るわ!」


 ヒルダの警告通り、周囲の砂漠が一斉に波打ち始めた。


 一匹や二匹ではない。数十、いや百に近い数の砂鮫の背びれが、波状攻撃を仕掛けるために旋回している。


「チッ、数で押す気かよ!」


 カノアが剣を振るう。

 『心眼』の精度が落ちているとはいえ、接近してくれば反応できる。


 飛びかかってくる鮫の眉間――魔石のある急所を的確に貫き、砂に還していく。


 だが、キリがない。


 倒しても倒しても、砂の奥から次々と湧いてくる。ここは敵のホームグラウンドだ。


 さらに悪いことに――。


「おいおい、そっちばかり気にしてていいのか?」


 空から声が降ってきた。

 カノアが見上げると、崖の上に立つガロが、鎖に繋がれた人々を崖の縁ギリギリに立たせていた。


 老人、女、子供。


 彼らは砂塗れになりながら、恐怖に震え、泣き叫んでいる。


「助けて……!」


「ママぁ……ッ!」


 人質。

 ガロはニヤニヤと笑いながら、ナイフをちらつかせた。


「動くなよ? 少しでも抵抗したら、こいつらを一人ずつ突き落として、砂鮫の餌にする。……ほら、一匹腹を空かせてるのが下で待ってるぜ?」


 ガロが足元の砂鮫に合図を送ると、崖下で巨大な口が開かれた。

 落ちれば即座に噛み砕かれる。


 カノアたちの動きが止まる。

 その隙を見逃さず、待機していた砂鮫たちが一斉に襲いかかった。


「ぐぅッ……!」


 ヒルダがルミナとカノアを抱え込み、うずくまる。

 彼女の背中や腕に、無数の牙が突き立てられる。


 物理無効とはいえ、衝撃と数トンもの重みまでは消せない。


 三人は次第に、ガロが作り出した人工的な流砂の中心へと引きずり込まれていく。


「ハハハ! いい様だなぁ! そのまま砂の底で窒息死しな!」


 ガロが高笑いする。


 その横で、ザインが冷ややかに見下ろしている気配がした。彼は手を出さない。確実に狩れる瞬間を待っているのだ。


「……最悪だ」


 カノアは歯ぎしりした。

 自分たちだけならどうとでもなる。だが、人質を取られては手出しができない。


 ヒルダの防御も、流砂に飲まれてしまえば意味がない。


 このままでは全滅だ。

 打開策はないのか。この砂嵐の中で、敵の位置を正確に把握し、人質を傷つけずにガロを仕留める方法は――。


「……カノア」


 その時、腕の中で震えていたルミナが顔を上げた。

 白い仮面が、砂埃で汚れている。


 だが、その奥にある瞳は、怯えてはいなかった。

 彼女は、吹き荒れる砂嵐の「音」をじっと聞いていた。


「私……聞こえるの」


「え?」


「この砂嵐、ただの風じゃない。……悲しい音がする。魔力で無理やり荒らされて、泣いてるみたい」


 ルミナが自身の喉元に手を当てる。


 便利な魔道具も、強化アイテムもない。


 特訓の時間なんてなかった。どうすればいいのかなんて、理論的には分からない。


 けれど、カノアが言っていた。「お前の声は武器になる」と。


 なら、やるしかない。


「私が……この嵐を鎮めてみる」


 ルミナが立ち上がろうとする。


「無茶だ! こんな轟音の中で歌っても、かき消されるだけだ!」


「届くよ。……だって、カノアが教えてくれたもん。『想いを乗せれば、声はどこまでも届く』って」


 ルミナはヒルダの腕から抜け出し、砂嵐に向かって両手を広げた。


 風が彼女の髪を乱暴に叩く。

 鋭利な砂粒が、仮面の隙間から入り込み、包帯の下の傷口を刺激する。


 痛い。怖い。


 でも、ここで歌わなきゃ、みんな死んでしまう。

 あに人質の人たちも、ヒルダさんも、カノアも。


 ――アァァァァ……。


 小さく、けれど透き通るようなハミングが始まった。


 それは、技術も理論もない、ただの祈り。

 暴れる風の音に寄り添い、その激情を宥めるような、優しい旋律。


 最初は風音にかき消されていた。

 だが、彼女の魂の輝きが増すにつれ、声は不思議な浸透力を持って大気に溶け込んでいく。


「あ? なんだぁ? 命乞いの歌か?」


 ガロが嘲笑う。

 だが、次の瞬間、彼の表情が凍りついた。


 ピタリ、と。

 カノアたちの周囲だけ、風が止んだのだ。


「な……ッ!?」


 それだけではない。


 ルミナの歌声を中心に、虹色の波紋が広がり、荒れ狂っていた砂嵐を物理的に押し返していく。


 魔力のノイズが中和され、消えていく。


 視界がクリアになる。


 カノアの『心眼』に映る世界から、邪魔な雑音が消え去り、鮮明な色彩が戻ってきた。


「……すげぇ」


 カノアは息を呑んだ。

 特訓もなしに、ぶっつけ本番でやってのけたのか。

 彼女は嵐を消したのではない。


 嵐の魔力(周波数)に自分の声を同調させ、内側から支配権を奪い取ったのだ。


 それはまさに、才能の開花。


「カノア! 今だよ!」


 ルミナが叫ぶ。

 彼女の背中には、虹色の翼のようなオーラが揺らめいていた。


 カノアはニヤリと笑い、愛剣を抜いた。


「よくやった、ルミナ! ……さあ、反撃の時間だ」


 視界は良好。


 崖の上にいるガロの間抜け面も、人質たちの位置も、そして砂の中に隠れている鮫たちの核も、手に取るように視える。


 おまけに、ザインが「計算外だ」と言いたげに舌打ちした表情まで、くっきりと。


「ヒルダさん、準備はいい?」


「ええ。いつでもいけるわ」


 ヒルダが流砂から強引に足を引き抜き、鋼鉄のガントレットを打ち鳴らす。


 攻守交代だ。


 ここからは、一方的な蹂躙ショータイムが始まる。

 

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