28年前の彼女
目が不自由な状態になって月日が流れた。
令和3年になっていた。世の中は、コロナとオリンピックの話題が中心になっていた。
私の生活は、室内で一日を過ごすことに変わりが無かった。いや、変わりようが無かった。
そんな日常の繰り返しの中、週に1日だけ、仕事をしていた時と同じ習慣として、飲酒を嫁さんから許されていた。
ささやかな楽しみだった。
オリンピックが近づいたある日、嫁さんがインターネットの動画の話をした。
たわいもないことだったが、何となくその話が頭に残った。
私は、お酒を飲みながら、その動画を見ることにした。
それまで、動画に興味があったわけでは無かった。
今思えば、それが大変なことになってしまうとは……
ある著名なシンガーソングライターのラブソングの動画だった。
若い時に出会った彼女を懐かしむ悲しい結末の曲である。
私は、そのシンガーソングライターの曲をよく聞いていた。
その曲も好きで、年に1~2回ほど行くカラオケでも、時々歌っていた。
その曲の動画は、すぐに見つけることが出来た。
おぼつかない目で、その動画を見た。
何かのドラマか映画のものであろうか、俳優らしき男女2人の映像を使っていた。
曲によく合っていた。 曲は懐かしかった。
元々、好きな曲の動画だったので、繰り返して見た。
その時で見るのをやめておけば、何も起こらなかっただろう。
私は、気に入ったものは繰り返す性分だった。良くも悪くも。
次の日も何度か動画を見ていた。
予期しなかったある想い、その想いが私の心に広がった。
その想いは、私に愛しさと後悔を同時にもたらした。
そんな感情をもたらす存在は一人しかいなかった。
28年前に別れた彼女が、今の私の心に大きくよみがえってきた。
あの時、大切に大切に想っていた彼女。
彼女と一緒になりたい。それがすべてだった。
長い時を越えて、付き合っていた時の出来事が、無数に溢れ出してきた。
28年前の自分がよみがえっていた。
美術館、キャンプ場にある博物館、渓谷、岬の展望台、高台にある公園などに行った。
渓谷で動物を怖がっていた。 彼女の言葉にドキッとした。
彼女の笑顔は、何よりも私の力になっていた。
お弁当を作ってくれた。 本当に嬉しかった。
手編みのセーターを作ってくれた。 家庭的な彼女、私が求めていた女性だった。
固定電話で話をした。 電話を切りたくなかった。
そして、あの夜、彼女にプロポーズをした。
キラキラした笑顔の彼女、本当に大好きだった……
自分には、交際相手だった彼女がいたんだ。大好きだった彼女が。
いきなり現れた想いに、胸がいっぱいになった。
いや、息が止まりそうになった。死ぬほどに。
感情を表に出すことが苦手な自分。初めての感情に、私は激しく動揺した。
(自分は、何をしていたんだ。彼女がいない)
気がつけば、28年という長い歳月が経っていた。 取り戻すことが出来ない時間が。
浦島太郎の様だった。彼女は、はるか昔に私のそばからいなくなっている。
彼女は、交わることの無い世界で暮らしている。
そして、彼女と別れることになった出来事も、心に大きく現れた。
彼女にお詫びしたい――
そのために、彼女に会いたい。
そんなことをして何になる……
会うことは現実的じゃあない。分かっている……
それでも会いたい。理性的でない、激流のような感情が心を支配した。
彼女が、私を拒否したのに。
あの日、彼女から別れを告げられたのに。




