彼女が住む町へ
今から33年前の平成4年(1992年)
インターネット、パソコン、携帯電話、液晶テレビなど
今では当たり前のものが、まだ一般的に普及していない頃だった。
今の若い人から見れば、考えられないほど情報が入らない時代だった。
それでも、生きていく中で不自由さは感じていなかった。
情報がリアルタイムに入り、その点では便利な世の中になってきた。
その反面、窮屈な空気を感じ、心のゆとりが薄れている気がする。
ひょんなことから、あの時代がよみがえり、あの人を想い出していた。
あの時に経験したことは、私の人生の中で大きな意味を持っていた。
私は過去を振り返らずに生きて来た。振り返りたくないことがほとんどだったためだろう。
それでも、あの人のことは心の奥深くに刻まれていた。
不自由な人生を歩み始めた今になってそのことに気が付いた。
誰しもそうだが、あの頃に帰ることは出来ない。
心に問いかけ、あの時の想いを、これから少し書いていくことにする。
私の名前は、田部康史という。昭和38年9月生まれだ。
大きな産業も無く、人口も少ない県の田舎で生まれ育った。
人付き合いが下手で、内気な少年だった。そんな人間が生きていく場所は、田舎にはなかった。
地元で働くことを考えず、ある国家資格を取って外で生きる道を選んだ。
地元の高校を卒業し、国家資格取得のため故郷を後にした。
多くの失敗を重ねたが、何とか就職前に資格を取ることが出来た。
故郷には帰らず、そのまま国家資格を取った場所で就職した。
ある組織の地方機関で働くことになった。転勤は何度もある職場だった。
20代は1~2年くらいの間隔で転勤を繰り返した。
自分が希望した転勤でないこともあったが、新しい土地で暮らし、少しずつ経験を積んでいった。
20代半ばには、生まれ育った田舎と大きく違う大都市が仕事場になっていた。
そして、平成4年、私はある地方都市に住んでいた。
前年の平成3年10月、その地方都市に転勤していた。
私の所属している組織の出先機関が、その地方都市にあった。
母親の実家が近く、小さい時から幾度となく訪れていた所だった。
町自体はコンパクトにまとまっており、買い物など生活に不自由となることはなかった。
環境的にも、海・山・川があり、自然豊かであった。
それまで住んでいた大都市を考えると、人の流れも緩やかで、のんびりしていた。
最初は、「何もなく田舎やな」と思っていたが、元々田舎者なので直ぐにその生活にも慣れていった。