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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
四章
41/50

夢路⑤

 ――ごめんなさい。ごめん。


 さっきからずっとそればっかり! そんなに謝らないで。


 わたしはどこにいるのだろうか。何も見えない、真っ暗な世界が広がっている。

 地面もなければ、空もない。ぽつんとわたしの存在だけが浮かび上がったような世界。


 でも、耳を澄ませると、遠くから女の子の泣き声が聞こえた。謝りながら泣き続ける可哀想な声がずっと。


 こんなに脈絡のない世界。わたしは夢でも見ているんだろうか。

 たまに、夢だとわかる夢がある。コレはそういう類のもの。でもいつもは夢とわかったら目が覚めるのに、コレはいつもと違う。


 いつもと違うということは、ここでぼんやりしていては、夢の中から抜け出せないのかもしれない。

 鬱陶しいくらいジメジメした泣き声も聞こえるから、泣き声の女の子を泣き止ませたら、目が覚めるのかな。


 声のする方に向かって歩くと、ぼんやりと白光りする空間があって、その中心に十歳前後の女の子がいた。


「いいこ、いいこ。なんで泣いているの?」


 しゃがみこんで、背丈を少女に合わせる。

 手を目に当てて泣いていた女の子は、驚いたようにこちらを見た。

 赤く腫れた目。でも、その虹彩はすごく見覚えのある青色。

 波打つ髪の毛も今よりも少し短いけれど、同じ青みがかった灰色をしている。

 少女らしく踝までの少し短めのドレスに身を包んでいるが、多分フレア様だろう。


 いつもは顔を拝見してもわからないのに、子ども姿になった相手の顔も判別できるなんて、さすが夢の中! 冴えてる!


「あなたはだあれ?」


 いけないいけない。テンションの高ぶりに気付かれないように、表情をこっそりと引き締め、フレア様の問いかけに答えた。


「わたしはマリオン・ロペス。貴女の友人です」

「わたしに友達はいないわ。いるのはゲボクだけよ」


 ゲボクって下僕のこと? なんでそんな言葉をこんな小さな子が知ってるの?

 いや、でもこの子はフレア様でフレア様は私より年上だ。


 フレア様だと認識して、先ほどの言葉を考えてみると、確かにお姫様と対等の友達になる人は少ないかもしれないと思った。

 わたしも、対等とは言い辛いし。でも、下僕や小間使いとはきっと違う。

 なぜなら、彼女は初めからわたしを友だちとみなして、そうあろうとしてくれたからだ。


「いいえ、わたしは確かにあなた様の友達ですよ」

「嘘よ。友達なんて!」


 あまりにも必死な様子で、違うと言われたものだから、何でそう思ったのか聞いてみることにした。


「なぜ、嘘だと仰るのですか?」

「だって知っているもの。みんなわたしのことを妾の子どもだって馬鹿にしているのっ」


 フレア様は涙を堪えるようにして、わたしを睨めつけてくる。その様子はひどく痛々しかった。


「でも、ご機嫌をとってお兄様に中継してもらおうって、そんな魂胆で近づいてくるの。わたしはお兄様の付属品で、その価値がないってわかれば捨てられる。いつもそう」

「だから、ゲボクですか?」

「ええ、そうよ。どうせ捨てられるんだもの、それならその一時だけでも我儘を聞いてくれてもいいじゃない。物語の中のお姫様のようにちやほやしてくれてもいいじゃない」


 そこまで言うと、ついに涙を湛えていた堤防は決壊し、しゃくりあげながら泣き始めた。


「ほっ、ほんとうは、寂じい。で、うぇぐ、でもだ、れ、もいなくなる、ことが、ひっく、嫌なの!」

「わたしは居なくなりませんよ」


 髪の毛を軽く触れるように撫でながら、相槌を打つ。


「ほんとうに? ほんとうに、離れていかない? お友達になってくれるの?」

「すでにお友達ですよ」

「っう」

「う?」

「うれしい。うれしいわ! はじめての友達」


 フレア様は泣き腫らした顔に輝くような笑みを浮かべた。


「はじめてのお友達。ううん。マリオンさん、一緒に話しましょう?」


 そう言って、フレア様の手がわたしの手に触れる。その手をぎゅっと握り返した。





「えー、マリオンさん、まだ結婚していらっしゃらないの?」

「恥ずかしながら……。でも、婚約者が最近できたんです。元々は友人だったんですけど、色々あって」

「友情から目覚める恋ってもの? ラブロマンスみたいだわ!」


 一方通行の恋愛感情だけどね。

 それにしても、フレア様相手に恋バナすることになるとは思わなかった。


「私はどんな方と結婚するのかしら? 素敵な殿方がいいわ。せめて、私のことを蔑んでこない人がいいのだけど、高望みかしら?」


 儚げに微笑むフレア様。でも、おかしい。


「フレア様はもう結婚してますよね?」

「あら。あらあら、そう、そうかしら? そうね、私は結婚しているわ」


 頬を朱に染め、フレア様は幸せそうに笑った。

 あれ? なんだか、さっきと違う……。

 瞬きをする間に、でも自然にフレア様は成長していた。十代半ばから後半といったところか。


 子どもの愛くるしい表情から、強い意志を秘めた今のフレア様に近い麗しい顔つきに変わっている。


「ええ、とっても素敵な殿方よ。マリオンさんのお相手はどんな方なの?」

「優しい人です。表情は分かりにくいですが、とっても優しくて……」

「優しいだけ?」


 フレア様はぷくっと頬を膨らませた。

 もっと華やいだ話を期待していたのなら申し訳ない。

 恋愛初心者には難しすぎる談義だ。


「彼の隣では自然体でいられて、とっても楽なんです。楽だったんです、けど、ダメですね。私は彼に恋をしてしまいました」

「好きになってはダメなの? 好きだと楽じゃなくなるの?」


 ただの好きならいいのだ。でも、恋をしてわたしは貪欲になってしまった。

 わたしが思う気持ちと同じ気持ちを持って欲しい。わたしが彼を思うのと同じ重さで、彼もわたしのことを思って欲しい。

 欲望とは尽きないものだ。もっともっとと望み増え続けるばかりで。


「正直いうと少し苦しいです。だって、彼は友達だって思ってるんですよ。私のこの気持ちと彼の気持ちは似ているけれど違う。どれだけ思ってても気持ちは返ってこない。不毛じゃないですか?」


 自分で自分をバカだと思う。人が人を思う心に重さなんてない。天秤に置くように形があるものでもないのに、相手の気持ちを推し量ろうとして。


 恋が友情よりも重いなんて、そうとは限らないと知っていても、無駄だと分かっているのに、相手に同じ気持ちで同じほど思っていて欲しいと願ってしまう。


「気持ちが変わらないって、なぜ言い切れるの?」


 フレア様は不思議そうに首を傾げた。


「貴女だって最初は友情から始まったのよね? 気持ちが変わったから、苦しくなった。彼の気持ちも変わらないとは言えないわ」


 悪戯っ子のようにフレア様はわたしの手を握ったまま駆け出した。

 つられるように、駆け出す。真っ暗な道だけど、結構なスピードが出ていると思う。夢の中だからこそできる全力疾走。息も切れることがない。


「ねえ、マリオンさん。私、彼のこと大っ嫌いだわ」


 唐突に何を言っているのだろう。わたしの手を握りながら、斜め前を走るフレア様を見る。でも、わたしの位置からでは、後ろ姿しか見えない。


「彼の婚約者なら何をしても許されるってそう思ってた。謝っても許してもらえないでしょうけど、いいえ、許さなくて構わない。でも、これだけは伝えさせて、ごめんなさい。ごめんなさい、こんな方法しか取れなくて」


 何を


 ――……オ……、……!

「巻き込んでしまって」


 言って


 ――……オン、お……。

「私の初めての友達。私の唯一の友達だった人」


 わたしに何を伝えようとしているの?


 ――マ……オン、おき……! お願いだから!

「目が覚めたら、きっと貴女は私を嫌うのでしょうね。でも、私は貴女が好きよ。だから、助言するわ」


 フレア様が唐突に止まり、わたしの方に振り向く。その姿はもうすっかり大人になっていて、わたしが知っているフレア様だった。

 暗闇に包まれた世界が白みはじめていた。それは多分、目覚める瞬間、夢と現との狭間。


 フレア様の顔も徐々に靄がかかったかのように揺らぎはじめた。

 フレア様がすっと近づいてきて、耳元で囁いた。


「確かめてごらんなさい。きっとうまく行くから」


 その言葉を聞き取った瞬間、視界は光に満ち、夢が現実へと置き換わった。

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