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行き遅れ令嬢の婚約  作者:
四章
39/50

夢路③*

セルジオ視点です

 ――ぴしゃんぴしゃん。


 水滴が地面に落ちる音がする。微睡みの中にあった意識が徐々に現実世界に引き戻されていく。


「いっ、た」


 意識が覚醒した瞬間、激しい頭痛がした。


 どれほど粗悪な薬を使ったのでしょうか。


 黴のような臭いが鼻腔に入ってくる。喉はからから、手は後ろに縛られ、足も纏められている。

 これでは身動きが取れない。辛うじて寝返りを打てるくらいか。

 体を反転させると、眼前に鉄格子が見えた。その奥から土がむき出しの地面が光に照らし出されていた。


 随分と暗い……。


 窓は取り付けられておらず、灯りも通路に付けられた松明だけ。眠っていたから時間感覚も乏しい。


 今はいつでしょう? 連れ去られてから何時間、いや何日経ったのでしょうか?


 疑問は尽きることなく湧き出してくる。

 だが、深く考えると思考に霧がかかる。それでも、無理矢理にでも考えようとすると、ずきりと頭に痺れるような鈍い痛みがした。


 だめですね。何もわからない。まあ、殺すつもりなら既に殺されているでしょうから、何か他の思惑があるのでしょう。なら、国王陛下の線は消えましたね。彼なら私のことをサクッとやりかねません。


 しばらく待っていたら誰かしらかが接触してくるでしょうか?


 だが、どれほど待っても人はやって来ない。


 冬場で良かったです。これが夏なら既に脱水状態で死んでましたね。まさかとは思いますが、このまま放置して餓死でもさせる気でしょうか?


 だが、すぐにその考えは否定された。

 廊下の奥の方から足音が聞こえた。それとコツコツという硬質なものの音と衣摺れの音も。

 目を凝らして見てみると初老の男がステッキを片手にやって来ていた。


「ようやく目覚められたか。……セルジオ殿下」


 やはり、国王陛下からの指示ではないようですね。あの方は私のことを王族とは認めてらっしゃらないから、こんな呼びかけを彼の手下がするはずありません。


「どちら様ですか、と伺った方が良いのでしょうか?」

「貴殿のご主人様になるものだ。どうだ? 生活の保障はするぞ。儂の子飼いにならんか?」


 殿下とか言うのでしたら、もう少し言葉を取り繕ったらどうです。それでも貴方の手下なんて願い下げですが。


「寝言は寝て言うものです。望みはなんです? 私を王位に押し上げ口利きを、とでも仰るのですか?」

「それも良いかも知れんな。始祖の瞳を継承する不遇の王弟。その方が表舞台に登られるため助力する腹心。胸踊るものがある」

「反吐がでる妄言ですね。ご自身の能力を見誤ると痛い目を見ますよ?」


 国王陛下は愚かではない。私への対応は些か短慮だと思うこともありますが、それでもこんな三下に読み負けするほど可愛らしい方ではない。

 だいたい私自身、王位に毛ほども関心がありません。たまに身勝手な後見人ができかけますが、迷惑極まりない。

 人を勝手に謀反人に仕立て上げないでいただきたいものです。


「まあ、儂も分を弁えているつもりだ。そんな大それたこと目論みはせんよ」

「なら、何が望みです」

「政敵の弱みを握りたいと思うのが人というものだろう?」


 同意を求められても困ります。私には陥れたい相手なんていないのですから。


 ああ、でも彼女なら意趣返しをしたい人のひとりやふたりいますか。

 苛烈な性格の義姉様を思いくすりと笑った。それが気に入らなかったのか、男は手に持ったステッキで殴ってきた。


「随分と乱暴な方ですね」

「貴方は立場というものを分かっていないようだったので。で、返答はどうする?」

「馬鹿ですか? 否に決まってるでしょう。……ったあ」


 またステッキで殴られた。しかも頭だ。

 体を縛られてなければ避けられるほど遅い動きですのに……、痣になってしまいますね。


「ここで、立場ってものを理解するんだな」


 鼻を鳴らして男は廊下の向こう側に去っていった。

 その背を見送ったあと、目を閉じた。薬がまだ体に残っている。少しでも休息が必要だった。




 すぅと消えていく意識。記憶の奥から、声が聞こえた。



『私は貴方の姉になるのよ、お姉様とお呼びなさい!』


 ふわふわ揺れる青みのあるグレーの髪。空色の瞳は少しつり目がちで青毛の猫のような人だと思った。

 気高く、優雅で、溝鼠のような自分とは真逆の人なのだと、咄嗟に線引きした。


 身の程を弁えないといけない。彼女の言葉をそのまま受け取ったらきっと不興を買ってしまう。

 自分から声をかけてはいけない。命令を拒否してはいけない。決して微笑みを絶やすなかれ。


 ――そうじゃないと、僕の居場所がなくなる!!


 決して出しゃばらず、彼女の言葉全てを肯首してきた。

 国王陛下と王弟殿下におもねるのと同じように細心の注意を払って彼女をもてなした。

 それなのに、なぜ彼女は僕が笑みを浮かべるたび苦虫を噛み潰したような表情になるのだろう。


 僕の居場所は彼女の不興を買っただけで崩れる。


 お願いだから、笑っていてよ。


『いつになったら、私のことを姉と呼んでくださるの!?』

『恐れ多いことでございます。妃殿下』


 ああ、まただ。なにがいけないのだろう。

 恐怖に心が染め上げられる。


 彼女の手が顔に近付いてくる。

 もしかして打たれるのだろうか。でも、避けると生意気だと思われるかもしれない。

 細い腕だし、爪だってそれほど伸びてない、血が出ることはないだろう。

 ぎゅっと目をつぶって衝撃に備えた。


 むぎゅ。


『いひゃひ(痛い)でふ』

『ちゃんと言葉を喋れるじゃない』


 頬が掴まれて伸ばされた。

 僕は触れた人の心が読める。だから、誰も僕に直接触ろうなんてする人はいなかった。

 それなのに、まさか頬を引っ張られるなんて思わずに、素が出てしまった。


 ――まあ、一瞬だったから、ほとんどなにも聞こえなくて、辛うじて聞こえたのは僕の態度に対する不平不満だったけど。


 それに対して彼女はにやりと悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべた。


『貴方の口は飾りではないのだから、ちゃんと主張しないと誰にも気が付いて貰えないわよ。嫌なことも好きなことも包み隠していいことはないわ』


 この人は裏表がない人なんだ。

 それは、先ほど流れてきた彼女の心の声と同じだった。

 それなら、僕も少しは心を曝け出すべきなのかもしれない。


『でも、僕は、弟じゃないから。あなた様のことをお姉さまとは呼べないです』

『どういうこと?』


 彼女は訝しげに顔を顰めた。

 彼女は僕が奴隷の子だと知らないんだ。だから、僕に優しくしてくれる。本当のことを告げたら、きっと国王陛下と同じように汚いモノを見るような目で見るんだ。

 それは当たり前のことであるはずなのに、胸が少し痛んだ。


『僕は妾の子で、だから王子ではないです』


 奴隷とは流石に言葉に出したくなかった。でも、これで分かるだろう。

 僕には貴女を姉と呼ぶ資格がないことを。


『くだらない。くっだらないわ!』


 そう思っていたのに……。


 彼女が突然地団駄を踏みながら怒るものだから、驚いた。

 本気で怒ってる? でも、なにに対して?


『妾の子がなんだってのよ! なんでこんな所まで来てそんな言葉聞かなくてはいけないわけ!?』

『!?』


 なにに対して怒ってるのかわからないけど、僕が言った言葉に対して怒っていることは間違いない。

 なんとか怒りを落ち着けていただかなければ。

 そう思ったのに、僕が口を開くよりも彼女が行動する方が早かった。


『貴方は悪くないわ。もう! ルチアーノに一言言ってやらないと気が済まない!』


 そう言って彼女は身を翻して何処かへ行ってしまった。

 え、もしかして、僕が怒らせたことを王弟殿下に告げ口する気?

 ざっと血の気が引く音がした。


 微笑みは意地でも崩さない。頬はちょっと痛いし、赤くなってるかもだけど、絶対に表情だけは完璧に取り繕えていると思う。

 でも、王弟殿下がいつも僕に向ける温度のない目を思い出し、体が石になってしまったように動かなかった。




 僕は片方だけ血の繋がった国王陛下にすごく嫌われている。ただ、その国王陛下の弟に嫌われているかはよく分からない。


 直接触れられることはなく――大体の人は触れてこないけど――言葉も交わしたことはごくわずかで、好嫌を判別できない。もしかしたら興味の一片もないのかもしれない。

 でも、嫌われるよりも良かった。僕が息をしていても、そこにいても許されるのだから。


 だから、僕はこの王弟殿下がほんの少しだけだけれど好きだった。

 でも、自身の妃から僕のことを聞いて、流石に目障りに思われたのだろうか。


 目の前に腰をかける彼は真剣な眼差しでこちらを見ている。

 今まで一度だって交わったことがない視線がこちらを向いている。


『……すまなかった』


 ぽつりと呟かれた言葉は想像もしていなかったもので、聞き間違いかと思った。


『すまなかった』


 どうやら聞き間違いではないらしい。でも、僕には彼に謝られる理由がさっぱり分からない。


『なにがですか?』


 咄嗟に疑問が口をついてでた。言ってしまってから、気がつき、慌てて口を手で塞ぐ。でも、出てしまった言葉はなかったことにはできない。

 直接言葉を投げかけて無礼だと罵られるかもしれない。

 存在が目障りだと国王陛下と同じことを言われたら嫌だな。

 少し沈黙が落ちたが、王弟殿下が言葉を続けた。


『私はお前を弟とは思っていない』


 そんなの当たり前のことではないか。僕だって片親が同じだけど、奴隷の子どもと王妃の子どもが兄弟だなんて思えない。

 庶子は母親の身分で自分の地位が決まるのだから、僕は将来宮奴になる。

 もしかしたら、先王陛下の血を引いているから、良民にはしてもらえるかもしれない。

 でも、王侯貴族の身分でもないのに、王族と兄弟を主張するなんて身の程知らずだ。


『が、確かに同じ血を引いている。フレアが言うのだ、片親だけでも血が繋がっているのならそれだけの情を示すことはできないのか、と。お前に対して無頓着すぎる、と』


 思いもよらない方向に話が流れていく。


『フレアは妾の子だったらしいからな。婚姻前に王の養女となり王女の位を得たが、何か思うところがあるのだろう』


 彼女が、妾の子? 僕と同じ立場だった?

 驚きのあまり、まじまじと王弟殿下の顔を見た。

 触れないと心の声は聞こえない。だけど、その表情は嘘を言っているようには見えなかった。


『……、王弟殿下?』


 でも、僕に何でそんな話をするんだろう。妃の出自の不確かさなんて、なるべく誰にも知られたくないものだ。

 不思議に思って声をかけると、青眼に宿るわずかな紫色が増した。

 心を見透かされているようで少し怖気がした。


『アレのことは姉と呼べ。私のことはお前の好きにするといい』

『なにを、おっしゃって……』

『私はこれからお前の兄たるよう努めよう。ものごとは形から入ることもある。いつかお前が弟だと思える日が来るかもしれない。だが、そうならなくとも、気に留めるようにすると約束する』


 そう言って、王弟殿下は僕の頭を撫でた。心が読めるとわかってから、誰も触れてこなかった僕に直接触れて撫でてくれた。

 そこから流れてくる声も、言葉と違わない、優しいものだった。


『お前、泣いているのか?』

『?』


 王弟殿下が手を離した後、僕の顔を見て首を傾げた。


 泣いてなんかいない。だって、僕は悲しいなんて思ってないし、表情を作るのは得意だから、きっといつも通り微笑みを浮かべている。

 そう思って頬に触れるとしっとりと濡れた。


 これは涙? 分からない。だって、僕は悲しくない。

 ううん。むしろ、幸せを感じている。今までで、いっとう幸せだ。

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