紫色
他部署や城下の技術者との連携もだんだんと軌道にのってきた。
ちなみに、隣国ではムスクを隠し程度に入れて、香水に深みを出すらしい。だから、主体となるのはムスクではなく、他の花などの匂い。
「どんなものが喜ばれるのかな」
「隣国の国花とかはどうだ? 王家とも繋がりの深い花らしいぞ」
今日は植物研究所との会談だ。研究所の一室を借りながらわたしとエブリー、ジョンともう一人の研究所のメンバーで机を囲っていた。
主体となって動いているのは薬草園なのだが、いかんせん話し合いに使えるような部屋はあの場所にはないため、ここでしている。
モチーフは何がいいのか。今日の話し合いのテーマはそれに尽きる。
ジョンが国花といったことで、隣国の花を思い浮かべた。
「菫かあ。たしかに高貴な色としてこの国でも人気だよね」
「だが、誰のための香水なんだ? 受け取り主が女なら甘い匂いがいいだろうが、男なら甘ったるい香水なんてつけられねえだろ」
わたしの少し先輩にあたる研究所所属の男――たしか名前はパルタ。あまり会ったこともないし、自己紹介をしてくれたわけでもないため、自信がない。ただ、階級章がわたしと同じで研究所所属で思い浮かぶ人物は彼くらいだ――が机に肘をつきながらそう言った。
「何のためのって、そんなの友好を図るためで、国王に渡すんじゃないの?」
「そんなら、楽なんだけどな。でもなあ、国王に渡したものが王妃に贈られたことが過去になかったわけじゃない。それに、向こうにはこっちの姫が嫁いだ王弟がいるんだ。そいつに渡るかもしれねえ。というか、この麝香の送り主が誰かも知らねえんだろ。香水が渡る相手の推測がつかねえよ」
そうなのだ。麝香は隣国からの贈り物と上司殿に言われただけで、誰からのという人物を特定できるものはなかった。
国同士の取引だから、普通なら国王になるだろうが、向こうの王弟にはこの国の姫が嫁いでいるらしい。よって、国ではなく、王弟の個人的な貢物という線も薄いながらある。
「じゃあ、匂いは保留かな。でも、メジャーどころのローズ、ジャスミン、あと国花のスミレを試作することにしよう」
今、決められることは少ない。後日、今日話し合ったことを纏めて城下の技術者に意見を聞きに行く予定だ。
「何もしないわけにもいかないもんな」
「情報がなさすぎますね。どうすればいいのかさっぱり分かりません」
「全くだ。園長ももっと情報を横流ししろよな」
ジョン、エブリー、パルタの順でぼやいている。
情報といえば、もう情報規制が徹底されているのか、ノエルさんに出した手紙の返事が返ってこない。おそらく、要人が近々王宮に滞在するのだろう。それとも、もう来ていたりして。
「じゃあ、とりあえず今日はここまでとするか」
パルタがそう言ったことでその場は解散となった。いそいそと、机の上に出していた資料を片付ける。
「わたし、今から城下の香水店からさっき候補にでた香水を貰ってくる。次までに麝香混ぜてみるから、感想をよろしく」
今の季節ではどの花も咲いていない。辛うじてジャスミンの花がわずかに残っているかもしれないが、わたしが知る範囲では散っていた。
本当はそこから作りたかったが、もうすでに生成されているものに混ぜるしかないだろう。
書きつけたメモと資料を抱えて部屋を出ると、後ろから追ってくる足音がした。それに気がつかないふりをして、歩を早める。
角に差し掛かったところで、走り出す。
絶対に捕まりたくない。背後にあった軽い足音を振り切るように、王宮の中心部に向かって走った。
もう撒けただろうか。
王宮の普段人通りの少ない回廊まで出て立ち止まり、ちらりと後ろを振り返る。
よし、エブリーが追ってきている様子はない。
近くにあった柱に背を預け、ずるずると座り込む。
つ、疲れた。いったいいつぶりだろう、こんな全力疾走したのは。
でも、二人っきりで仕事をするなんて今の状態で考えられない。呼び止められる前に仕事を見つけて逃げている。
でも、もうそろそろこんな方法は取れなくなる。なんせ、私はエブリーの上司。指導役だ。仕事放棄は一週間くらいなら他の用事で忙殺されていると言えるが、長くは持たない言い訳だ。
「どうすればいいんだ」
「どうされましたか?」
誰もいないと思っていたから、人の声が聞こえて驚いた。恐る恐る目線を上げると、柱の裏から覗き込むように男の人が見下ろしていた。
日陰のため、相手の顔がよく見える。
砂のような黄土色の強い金色の髪と瞳の色は紫。
そういえば、先日も紫がかった青い瞳の男を見かけたな。あの色に比べ淡く明るい青紫の瞳をしている。
そうそう、こんな色のことを表す言葉があったはず。
「藤色」
そうだ、藤と同じ色だ。そう思って、言葉が口をついて出た。
あれ? そういえば先日この言葉を聞いたような気がする。誰が言った言葉だっただろう。
「どうして私の渾名をご存知で?」
そう言って男は手を差し伸べてきた。
ああ、そういえば地べたに座りこんでいたな。気を使わせてしまったか。
「いえ、そう言うわけではなく、ただちょっと珍しい目の色だなあと」
「なるほど、私セルジオと申します。奥様にも瞳の色からウィスタリアと呼ばれることがあり、もしかして知り合いやもと勘違いしてしまいました」
差し伸べられた手をありがたく使わせていただき、立ち上がる。
そういえば、セルジオも最近聞いた。いや、ちょっと前に会ったフレア様の付き人がそんな名前だったはずだ。
「奥様ってフレア様のことですか?」
「おや、ご存知でしたか」
「先日、ばったり道で出くわしまして。劇場まで付き添わせていただきました」
「ああ、あの時の。その節はご心配をおかけしました。どうでしょう、奥様も王宮に滞在しておりますが、会っていかれますか?」
「いえ、仕事の途中なので今日のところは遠慮させていただきます。またお誘いください」
腕に抱えた資料の束を見る。もう、エブリーも撒けたことだし、王宮から出て行こう。
それに、来賓の部屋から遠く人気のない場所とはいえ、ここも王宮の中心部。下手に騎士に見つかると怪しまれてしまうかもしれない。
「そうですか。残念です。こちらでお会いしたことを奥様にお伝えしても宜しいでしょうか?」
「それは、ええ、もちろん」
至極残念そうなので少し可哀想になった。何か気に入られることを言っただろうか。
会って少しの時間しか経っていないし、互いを知るような内容の話はしていない。
あ、もしかしてフレア様からわたしのこと、何か聞いたのかも! そうならば、立ち食いを勧めたことも筒抜けに?
ごめんなさい。ごめんなさい。わざとじゃないんです。貴方のご主人の奥様に下町の流儀を仕込んでごめんなさい!
「そういえば、お名前を伺っていませんでしたね」
「わ、わたしはマリオン・ロペスと申します!!」
「ではマリオン嬢、今後ともよろしくお願いします」
にっこりと笑いながら差し出される手を恐々と握り返して、ぎこちない笑みを浮かべるのがやっとだった。これはバレてないのか? それともわかってて威圧しているのか?
弓なりになった紫の瞳からは何も読み取れなかった。




