迷子
先日の衝撃の告白から、エブリーとよそよそしくなった。
依頼されていた香水作りで、外の業者や多部署との打ち合わせで慌ただしくなり、エブリーと日に言葉を交わす回数が減った。そのことに安堵したほどだ。まさか、仕事が忙しくなって感謝する日が来るとは思わなかった。
それでも、日常的に側に居られると疲れるもので、今日はどうしようもない気持ちを持て余しながら、休日ということもあって城下町に出かけていた。
普通の令嬢なら共の一人や二人付けるものだが、だぼだぼのズボン姿で出歩いているわたしはそんなものつけなくても問題ない。貴族だと周りに認識されていないだろう。
ああ、でも、これをノエルの母君に知られると眉を顰められそうだ。
どこに行こうかな。
流行りのカフェ?
それとも貸本屋?
あ、いい匂い。
風に流され、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。匂いを辿り風上の方に向かうと、そこにはウィトルバケットというパン屋があった。
不純物が混じったガラス越しにぼんやりとパンが見える。そこに今焼きあがったのか、新たにパンが積み重ねられていた。
「いい匂い。美味しそうだわ」
一瞬。心の声が漏れたのかと思った。
隣を見ると、女性がパン屋を覗き込んでいたのだ。
わたしの背が少し高いせいで、彼女の頭部しか見えないが、服装からして貴族のようだった。
白いフリルのついた青色のボンネット。それに合わせるように青い光沢のあるドレス。足元にはブーツを履いている。ヒールではないが、町歩きをするにはその服装の方が適しているだろう。
だが、問題が一つある。
なんで、お付きの人がいないの?
自分のことはさておき、気になる。
普通のご令嬢ならどこかに付き人がいるはず。それなのに、影も形もない。
じっと見つめていると、女性がふとした拍子に顔を上げ、目と目が合った。
きょとんとした表情は幼く見えるが、一体何歳くらいだろう。
淡い水色の瞳。波打つ豊かな青味がかったグレーの髪。肌は白く滑らか。鼻梁は通っていて、唇は熟れた果実のように赤い。
同じ性別だと思えないほど、整った容姿をしている。お人形のような可憐さだ。
「あなたはだあれ?」
鈴を転がしたかのような声で呼びかけられ、甘い女の子の姿に一瞬くらりとする。こんなあどけない風貌の女性が一人で出歩いていたら、犯罪に巻き込まれてしまいそうだ。
「わたしはマリオンです。それよりも、お嬢様、お付きの人はおられないのですか?」
「まあ、お嬢様だなんて」
ころころと可愛らしい笑いが漏れた。
「そういえば、ウィスタリアがいないわ。どこに行ったのかしら……」
多分、ウィスタリアさんが迷子になったわけではなくて、貴女が逸れたんですよ。
きょろきょろと辺りを見渡し、首を傾げる良いところのお嬢様にため息が漏れる。流石に一人にしておけない。
「わたしでよければ一緒にお探しいたしましょうか?」
「よろしいの? 私、旦那様と劇場で待ち合わせしているのです。そこまで送ってくださらない? ウィスタリアも時間になれば一度そこに来るかもしれませんから」
少し不安そうに目を伏せるお嬢様の提案に頷いた。
確かにウィスタリアさんも無闇に探さず、目的地に向かっている可能性もある。一度、この人を旦那さんに預けるのが先決だろう。
というか、旦那さんがいる年齢だったのか。もしかして、わたしと同じくらいの歳なのかな。随分と童顔だ。
「劇場ですと、中央劇場でしょうか?」
「ええ、そこです。ホプキンス・ネルソンの新作が上映されているそうなので。あ、待ってくださらない?」
劇場に向けていた踵を返して立ち止まる。
お嬢様の視線はまだパン屋に向いていた。なるほど、パンが買いたいのか。
ぐぅと小さくわたしのお腹が鳴った。
わたしはお腹が空いている。お嬢様も空いているようだし、ちょっとくらい寄り道しても良いか。
「あら、お腹が鳴りませんでした?」
「気のせいですよ。お嬢様、こちらのパン屋で昼餉を購入してから、向かいませんか?」
さっと誤魔化して、店に入ろうとする。だが、わたしの服の裾をお嬢様が引っ張った。
「お待ちになって。私、ウィスタリアに預けていて、手持ちがないわ」
「ああ、そんなことでしたらわたしが奢りますよ」
だいたい良いところのお嬢様が財布を持っていると思っていない。普通はお付きの人が持つものだ。
何度も言うが、わたしは普通には含まれない。
「悪いわ」
「パンなんてひとつ一ギルもしないものです。遠慮していただくより、美味しく食べていただきたい。お代はお嬢様のお礼で十分お釣りがきますよ」
「まあ、上手ね。色男のようなことを仰るわ」
「色男……」
男。おとこ。また、性別を間違えられている。そんなことはよくあるから、別にそれはショックでもなんでもない。
でも、軟派な感じに受け取られてしまった。流石に、そんな破廉恥な部類の男に間違えられるのはショックだ。
「では、お言葉に甘えさせていただくわ」
からんからんと扉を開けると音がした。木目調が優しい店内には数種類のパンが並んでいた。
ここは無難にライ麦パンかな。でもこっちのミートパイも捨てがたい。
「お嬢様はどれにしますか?」
「私はこれかしら。とっても美味しそうだもの」
指さされた先には木苺のタルトがあった。果たしてそれは昼食と言えるのだろうか。
でも、喜んでくれるならなんでもいいか。
「おかみさん。これとこれとこれをひとつづつ。あと、これとこれは食べ歩くつもりだから、紙に包んでくれますか?」
「まいど! 三点で二ギルと四ペインだよ」
お金を渡し、パンを受け取る。そして、木苺のタルトを渡した。
ぼんやりと手の中のタルトとわたしの顔を交互に見つめて、首を傾げている。
たぶん、食べ歩きなんてしたことがないのだろうな。
「それを食べながら、目的地に行きましょう」
「はしたないわ」
「大丈夫ですよ。最近の流行りは立ち食いです。ほらあそこの紳士も」
目線の先には高級菓子屋の箱から一口大のチョコレートを頬張る男性がいた。衣服からして貴族か豪商のものだろう。
最近はこういう風に立ち食いしている人もよく見る。数年前から隣国と交易を盛んに持つようになり、観光客が増えたため、観光しながら食べられるものが人気を博している。
「まあ、そうですの。なら、私も食べても問題ないかしら」
「ええ、美味しくいただきましょう」
ただ、やはり女性にははしたなく見えるようで、女性が立ち歩いてものを食べているのを見ることは珍しいが。
「とっても美味しいわ」
パイを頬張っているお嬢様は可愛らしかった。小動物のような愛くるしさだ。
わたしもパンを齧る。ふんわりと香ばしいライ麦の匂いがした。
手を引き、向かった中央劇場の一角には馬車が何台も止められるスペースがある。そこにひときわ大きい四頭立ての馬車が置かれていた。
「随分立派な馬車ですね。どこかの上流貴族がいらっしゃるのかも知れませんね」
きっとお金持ちだろうし、ボックス席を貸切にするのだろう。
わたしの家の財力ではそんな無駄使い想像できないけど、ノエルの家ならしていそうだ。
そんなことを思っていたら、お嬢様がその馬車に向かって歩き出した。
「ルチアーノ、そこにいらっしゃる?」
箱馬車の御者にそんなことを聞き始めた。
「先程、降りられたばかりですよ。奥様」
最後の一言にお嬢様をガン見してしまう。思ったよりも良いところの人だった。
そんな人に立ち食いを勧めてしまった。そんな想いだけが胸に交錯する。
「まあ、そうなの! ならきっとエントランスホールで待たせてしまってるわね。早く行かないと」
馬車の横を通り過ぎ、劇場のエントランスホールに入った。
吹き抜け構造で開放感がある。天井部分はステンドグラスを用いていて、様々な虹彩が床に零れ落ちていた。
随分前に来たっきり、何年も来ていなかったから、内装を忘れてしまっていたが、豪華だ。
これなら、貴族の人が利用するのも頷ける。
お嬢様がきょろきょろと周りを見渡して、しばらくすると奥にずんずんと進みだす。それに引きずられるように、手を繋いでいたわたしも奥に向かう。
そこには、すらりとした黒いスーツに身を包んだ背の高い男性が立っていた。
「ルチアーノ。そこにいらしてたの? もしかして、随分待たせてしまったかしら?」
お嬢様が声をかけると、男はこちら側を向いた。
アッシュブラウンの髪を後ろに撫で付けた男で、紫がかった青い瞳が少し鋭く怖そうな人だった。
でも、何というか似合わない。服装と容姿が釣り合っていない。そう思わせる。
「フレアどこに行っていた? セルジオはもう着いて、先に席についている」
「あら本当! よかった」
お嬢様は安堵の息を吐いた。
それにしても、お嬢様の名前はフレアさんか。フレアさん? フレア様の方がしっくりくる気がする。
次会うことはないだろうけど、もしそうなったら、お嬢様ではなくてフレア様と呼ばせていただこう。
そう思って、繋いでいた手を離す。すると、思い出したように、フレア様がわたしを振り返った。
「それでそこの女性はどなたかな?」
「ええっと、確かマリオンさんですわ。迷っていた私をここまで送り届けてくれたのです。って、女性でしたの?」
こんな姿に頓着しない女なんて人生で会ったことがないのだろう。随分と驚かせてしまった。
それにしても距離もあるのに、あのルチアーノと呼ばれた人は、どうしてわたしの性別がわかったんだろう。女慣れしているということだろうか。……、分からない。
「すみません。こんな成りですから言い出しづらくて……。決して騙すつもりはありませんでしたよ。お連れ様と再会できたようなので、わたしはもう帰りますね」
そういうとすたこらと逃げるようにその場を後にした。なんだか連れの男が怖すぎて、留まる気になれなかったのだ。
ああ、やっぱり変だ。あんなスーツ似合わない。きっと、お忍びの高貴な人だったのだろう。
四頭立て馬車がお忍びになるくらい高貴な、別世界の住人。
明日からまた仕事だから、もう会うこともない。そう思いながら、借家までの道を辿った。




