誤解*
ノエル視点で後輩〜の部分です
こんなことってあるだろうか。
愕然とした。そんな表現が生易しく思えるほど、強い衝撃を受けた。
「ひっひ、笑いすぎて腹が痛い」
「殿下、そのように笑わないでください」
「そ、そんな恨めしそうな表情で俺を見るな、っふはははは」
目の前で笑われてしまっては、睨みつけてしまうのも致し方ないだろう。
事の発端はマリオンから届いた手紙だ。
婚約の顔合わせからここ数ヶ月、少しでも互いを意識していけたらと、幾度となく接触を図ってきた。ついでに、何か贈り物をもらえたら、とお菓子作りが得意なようなので、リクエストを出してみた。
菓子類を好んで食べたことはないが、友人――いや今は婚約者か――が作るものならきっと好ましいと思える食べ物だろう。そう思って頼んだのだ。
後日、マリオンから届いた手紙には『友人の女の子からお菓子作りの依頼をされているので、ノエルの分も何か作りましょうか』と書かれていた。
一瞬、他にもお菓子を友人に振舞っていたのかと考えたが、彼女は王宮の中心部に滅多に近付かない。そのため、行儀見習いに来ている子女と出会う可能性は限りなくゼロだと言える。
他の場所に女の子がいないではないが、圧倒的に数がいない。私がお菓子を頼んだのと同時期にマリオンにお菓子を頼む人がいる確率は如何許りだろうか。
それらのことから導き出されるのは、考えたくもないが……。
「俺はお前と彼女が似た者同士だとずっと思っていたが、随分と向こうの方が上手のようだな」
私は女だと思われているらしい。しかも、婚約者とその女が同一人物だと気が付いていない。
たしかに、彼女と婚約者としてあったとき呼び捨てだったのに、王宮で会うときにはさん付けに戻っていた。だが、それも別に別人を相手にしているつもりだったとかではなく、時と場所を弁えているだけだとばかり思っていた。
それなのに、現実は残酷だ。今朝の訓練も身が入ってなかったのだろう、隊長が訝しがって事情を聞いてきた。真剣にしていたつもりだが、気が散っていたのは紛れも無い事実なので、馬鹿にされることを承知で事情を説明した。まさかそれを、それを王太子に告げ口されてしまうとは思ってなかったが。自業自得なので仕方がない。
「私はそれほど女顔なんでしょうか?」
「百人いれば一人は女だと勘違いする奴がいたな。まあ、だいたい数回会って言葉を交わせば誤解は解けて男だと思い直す程度だぞ」
勘違いした輩は誰だったのだろう。今度会ったら殴ってしまいたい。
「ロペス令嬢と会うときに何か変装でもしてたのか?」
「顔合わせの時も普段も別に格好など変えておりません」
「ならなぜ、こんな面白可笑しな状況になっているんだ」
「知りませんよ! 私はあの手紙を受けてようやく皆にからかわれていた理由を知ったぐらいですからね。しかも、なぜ顔合わせして普通に対応したはずなのに、その誤解が解けずに変な加速を生んでいるのか……。頭痛がします」
たしかに彼女と会ってから女装をする潜入捜査や囮捜査、護衛のお誘いが山程来ていた。その理由が判明したのはありがたかったが、理由自体は信じたくないものだった。
「婚約者なのだから、男とわかった状態で会ったのだろう? 普通はそこでいつも会っているノエルさんが男だと気がつくはずだろ。なんで別人扱いされてるんだ?」
「いえ、もしかして同一人物だと確証が持てなくて、探りを入れてきているのかも……」
「それもそれでおかしいが……。現実を受け止めたほうがいいぞ。名前が一緒なのに同一人物だと思われてないとはな」
不憫なものを見る目で私を見るのはやめて欲しい。遣る瀬無さが倍増する。
「もう一度確認のためにも、婚約者ノエルとして彼女と会ってきます。さすがに二回も見比べれば同一人物だとわかるでしょうから」
そうだ、デートの誘いでもしたら意識してもらえるのではないだろうか。インパクトに欠けていたから、このような誤解を生み出したのかもしれない。
「だといいがな」
やる気のないエールを受けた。
終業時間後に手紙を書き、それを植物園の園長であるチェスター殿に渡す。彼がまだ居て良かった。
それにしても一体いつ帰るのだろう。すでに就業時間より一刻近く時が過ぎている。日が沈んだ空を見上げてふとそんな考えが頭をよぎった。
結果から言うと惨敗だった。
「直接間違いを正せばよかったのではないか?」
「みっともなさ過ぎて無理です。何が悲しくて、女と見間違えているのではないかと聞かねばならないのです。それに、よく考えるとノエルさんが私だと分かると違う誤解を受けそうで、言うに言い出せなくなりました」
「なんだそれは?」
「殿下が仕組んだと知らなかった時に、私は一瞬彼女が騙し討ちしてきたのだと勘違いいたしましたから」
私が彼女と婚約者として会った時、何を思ったのかそれを思い出した。
相手がこの婚約話を仕組んだのだと勘違いしたことを!!
今更、ノエルさんと婚約者が両方同一人物だと知ったら、彼女が何と思うか。下心を持って近付いたと思う可能性がゼロではない。
「そんなことを思っていたのか?」
「仕方ないでしょう。今までそう言ったことが全くなかった訳ではありませんから」
それこそ、偶然を装って付き纏われたことや、夜這いをかけられかけたことが幾度もある。それに飽き足らず、両親に有る事無い事吹き込み、結婚寸前までことを運ばれたことも何度かあった。
「お前の女嫌い、いや人間不信は根深いな。だが、彼女はそんな人間不信になるような人生歩んでないぞ。恥を忍んで言ったらいいじゃないか」
「絶対の確信なしに、そんな行動取れませんよ」
「女々しいやつ。そういや、彼女にアイツの事言ったか?」
王太子が後半を吐き捨てるように言うと、場の雰囲気が重くなった。
「いえ、誰が来るかは機密事項なので漏らしておりません。ただ、一月以内に賓客が来るので警護の関係上、連絡を取れなくなる旨は伝えております」
「身内が迷惑をかけるな。あのクソ女の面倒を見なければならないとは災難だ」
「お言葉が乱れております。それに私にとっても姫は従姉妹に当たりますので、身内ですよ。どうしようもないほど困ったお方ですが」
あの女に関しては災厄の類だと思っている。私の人間不信の一端は彼女によるものだろう。
あの女とは、私の従姉妹で王太子の異母妹のことだ。とんだ悪童で年を取るにつれ、王宮内で起こす騒動が大きくなったため、早々に国外の王族と政略結婚させたのだ。それなのに里帰りしてくるとは思わなかった。
いや、里帰り自体はある事なのかもしれないが、妊娠しているわけでも、離婚の危機とかでもないのに、なぜこの国に戻ってくる必要がある。
「なあ、これ普通の里帰りだと思うか?」
「十中八九何かしらかの意図があってのものでしょう」
「だよなあ。お忍びで来るらしいし。きな臭い匂いしかしないよな。巻き込まれたくない。お義弟はストッパー役になってくれるかな」
厳しいだろうなとふたりして溜息をつく。
王太子の言う義弟は隣国の王弟のことで、問題の姫の結婚相手だ。普通なら彼が姫のことを止めてくれれば万事がおさまる。だが、その彼も彼女の唐突な里帰りに目を瞑っているとなると、一枚噛んでいると考えるべきだろう。
「便乗して便利屋にされる未来が見えます」
「だよなあ。しかも、ご丁寧に貢物まであるぞ。今朝、使者から渡されたものだ」
王太子は紙を一枚手渡してきた。そこには貢物リストがずらりと並んでいた。
「思ったより少ないですね?」
「だな。おそらくだが国王からじゃなくて、王弟か問題児からのものだろう」
やはり嫌な予感しかしない。
「臣籍に降りた王弟が用意するには気が入りすぎた贈り物じゃないか。内密の頼みごとを押し着ける気だろう。この様子だと」
「ストッパーどころか元凶の可能性も出てますね」
「まだ何も事は起こってないんだから、元凶というのは言い過ぎだろ」
王太子は乾いた笑いをこぼしているが、私にはもはやそんな作り笑いも浮かべる余裕もない。今までの姫の性格から考えると、絶対に碌でもない巻き込み方をするに決まっている。
もうその事については覚悟を決めている。だがせめてマリオンだけは巻き込んでくれるなと心の底から思った。彼女には裏表のない人に囲まれていて欲しいから。間違っても姫のような人には近くにいて欲しくないのだ。




