未来の選択
2月の始めに私立嬉野高校の入学試験があった。
試験が終わって、恵麻ちゃんと一緒に電車に乗って帰りながら美月は今後のことを考えていた。
「もし受かったら、嬉野高校に行くことにしようかな。」
合格したらの話だが、美月にとってはトイレの設備が一番気になる。
嬉野のトイレは私立だけあって、綺麗で広かった。女子トイレに生理用品の自動販売機まであって、至れり尽くせりだ。
生理痛の酷い美月にとっては、その設備へのポイントがかなり高い。
「美月が一緒の高校になったら電車通学も楽しいよね。遥には悪いけど、そうなったらいいね!」
恵麻ちゃんも春からの生活を期待するような満面の笑顔だ。
特別進学コースを受けた恵麻ちゃん、スポーツ推薦で一足先に合格が決まっている芳樹、そして結局、普通科コースを受けた美月。
三人で一緒に高校へ入学できたらいいな。
美月は今日の試験に一応の手ごたえがあったので心底安心した。
秋から始まった勉強漬けの日々に、これで終止符が打てるのではないか、そんな気がする。
◇◇◇
2月の半ば、恵麻ちゃんと一緒に高校の合格発表を見に行った。
しかし美月は嬉野高校の校門を入ったところで怖気づいてしまった。
試験を受けたばかりの時には受かるかもしれないと思っていた。けれどよく考えたら恵麻ちゃんは合格確実だが、美月は合否がギリギリのところにいる。
どこも受からなかったら困るので、特進コースではなく普通科にグレードを下げて受験したのだが、もし嬉野に受からなければ、公立のグレードも下げなければならない。
そうなったらどうしよう・・・。
玄関の掲示板に男の人が大きな紙を持って来て貼り付けているのが遠くから見えると、緊張で足がすくんで動けなくなってしまった。
「もう、美月らしくないなぁ。」
「だって・・・。お願い、恵麻ちゃん。番号があるかどうか見てきて!」
恵麻ちゃんに頼んだが、聞く耳を持ってくれない。
「受かっても落ちても自分が努力した結果でしょ。自分の目で見たほうがいいと思う。」
確かに恵麻ちゃんが言うことはもっともだ。
美月はポケットに入っているお守りを上から抑えると、恵麻ちゃんの腕に縋りつきながらやっと歩いて掲示板のところに行った。
そこにはもう人だかりができていて、大勢の受験生たちが自分の受験番号を探している。
ニコニコしながら帰って行く人もいるし、顔色を変えて黙って去って行く人もいる。
・・・114番・・・・111・112・114
「うわっ! あった! あったよ、恵麻ちゃん!」
思わず大声を出してしまう。
恵麻ちゃんも興奮した声をあげて、美月に抱きついて来た。
「私も合格したみたい。美月も良かったねー。ふふっ、高校でもよろしくねっ。」
何か・・・まだ本当とは思えない。
これ、業者模試じゃなくて本番の合格なんだよね。
自分が春から高校生になるんだという実感が、いまいちわいてこない。
ぼんやりと安心した気分で、お母さんたちに結果報告のメールだけは打っておいた。
家に帰って自分の部屋のベッドに寝転んで、合格発表を見てから感じていたフワフワした気持ちがようやく落ち着いてきた。
そこで初めてお守りのことを思い出して、ポケットから出して紐を緩める。
白い煙があがって聖さんがユラユラと出て来た。
聖さんは黙って美月の顔色を見ている。
「受かったよ、聖さん。私、嬉野高校へ行けるみたい。」
「やったー! 美月ちゃん、おめでとう! ずっと頑張ってたんだもの。私も合格すると思ってたわ。」
聖さんがキラキラした笑顔で飛び上がって祝福してくれた。
美月はその言葉を聞いて、じわじわと喜びが湧き上がってきた。
塚田先生に家庭教師のお礼を言わなくっちゃなぁ。
一人で勉強していたらここまで計画的に受験対策がとれなかっただろう。
途中でくじけてしまっていたかもしれない。
厳しくて恨んだこともあるけれど、こうして合格ができたのは塚田先生の指導のお陰だなと思う。
◇◇◇
合格発表の後に、一度、塚田先生に家に来てもらった。
お母さんと一緒に丁寧にお礼を言って、最後の月謝も渡す。
「美月ちゃんが希望の高校へ合格出来てなによりです。」
「もう、本当に先生のお陰です。外遊びの好きな美月がここまで集中して勉強をするのを始めて見ました。」
お母さん、気持ちはわかるけど外遊びが好きって・・小学生の頃のことを今更言われても・・。
「それではこれで失礼します。」
塚田先生がお辞儀をして、玄関を出ていく。
「あ、お母さん。塚田先生に話があるからちょっとそこまで送って来るね。」
「はいはい。」
美月が先生と一緒に家を出たのは訳があった。
聖さんのことを話して、お守りを返そうと思ったのだ。
「先生、神社まで一緒に行きます。」
「うん。何の話かな?」
美月は先生の隣を歩きながら、ポケットからお守り袋を出した。
「あれ? それ・・。」
「これ先生のお母さんが作ったお守りじゃないですか?」
「よくわかったね。名前も何も書いてないのに。高校に合格してから無くしてしまって、だいぶ探したんだよ。懐かしいなぁ。」
美月が聖さんから聞いたことを全部先生に話すと、先生はお守りを手にしながら紐を緩めた。
いつものようにぼわんと白い煙が出てきて、聖さんがユラユラと現れた。
「浩平、こんなに近くでゆっくり会えるのは久しぶりね。」
「何も出てこないよ。」
やっぱり先生には聖さんは見えないようだ。
聖さんはわかっていても、ちょっとがっかりしている。
美月は聖さんと先生の通訳をすることにした。
「先生には見えないみたいですね。聖さんは先生に『久しぶりね。』って言ってるよ。」
美月の言葉に、先生は疑い深い顔をしてお守りと美月の顔を交互に眺める。
「ふふ、そうねぇ。浩平は幼稚園の時に大賀科学パークで迷子になったわ。探してくれてる職員の人を警察官と間違えて、恐竜の卵の遊具の中から出てこなかった。」
「そんなことがあったんですか。ふふ、可愛い。」
「小5の時には母の日にカレーを作ってくれたけど、ニンジンが煮えてなかったのよね~。でも嬉しかったわ。」
「へぇ~、男の子なのに優しいですね。」
聖さんと美月が話していると、先生が不思議そうに美月を見てくる。
美月が聖さんから聞いた話を伝えると、先生は驚いて自分の持っているお守りをマジマジと見つめた。
「本当に母さんがここにいるんだ・・・。」
「ええ。」
「びっくりでしょ? 先生が運命の人に出会えるまでお母さんが見守ってくれるみたいですよ。良かったですね。」
「・・なんかマザコンみたいで照れるけど、母さんにはもう二度と会えないと思ってたから嬉しいよ。美月ちゃん、ありがとう。」
「いいえ、どういたしまして。」
「美月ちゃんと離れるのは悲しいわ。」
「でも、久しぶりに息子さんとゆっくりされたらどうですか? また違う女の人に会う前に。」
「・・そうね。」
そんなことを聖さんと話して別れたのはいいのだが・・・。
美月が家に帰ると、なぜか机の上にお守りがあった。
「ええっ?!」
美月が慌てて紐を解くと、聖さんがポワンと出てくる。
「あら、美月ちゃん? どうして?」
「どうしてって、こっちが聞きたいですよー。なんでここにお守りがあるんですか?」
「わからないわ。私の知らないうちにいつも移動してるから。」
・・・・・・・。
とにかく探すといけないので、お守りが美月のもとに帰って来たことだけを、先生に電話で連絡しておいた。
◇◇◇
その後、何度も同じことが繰り返されることになった。
お守りを誰に渡そうが、すぐに美月のもとに返って来るのだ。
聖さんには申し訳ないけれど、このお守りは呪いのお守りじゃないかと思ったこともある。
五年後に短大を卒業した時、とうとう美月は自分の気持ちと運命に逆らわないことにした。
「私は浩平が好きみたい。」
「美月ちゃん、やっと言ってくれたのね。」
聖さんは深い笑顔を浮かべて、小さな身体で美月と浩平を抱きしめてくれた。
温かい光に包まれて、浩平にも聖さんの気持ちが伝わったようだ。
「母さん、美月ちゃんを幸せにするよ。」
「わかってる。私にはずっと前からわかってたみたい。ふふ、お役目を終える時がきたようね。」
聖さんの身体が煌めきながら徐々に透き通っていく。
「母さんっ?!」
「見えるの?」
「うん。」
「二人とも、幸せに。あなたたちの行く末が、笑顔の多い道でありますように・・。」
慈愛に満ちた聖さんの最後の言葉が、二人の心の中にするりと入ってきた。
美月と浩平は、光の粒々が消えてしまうまでずっと黙って聖さんのいた空間を見ていた。
そして、自然にどちらからともなく抱き合った。
空の上では、聖さんと神様がそんな二人の様子をニコニコして眺めていた。
中学校生活に焦点をあてていたので、最後は駆け足になってしまいましたが、こういうことになりました。
ここまで読んでくださってありがとうございました。