第51話 絶対に諦めてはならないもの
翌朝、シオンが目覚めると、鍛冶作業場の方から、「ふっ……、はっ……」という短く鋭い息遣いが聞こえてくるのに気づいた。シオンがそっと覗いてみると、上半身裸のファイズが鍛錬をしていた。もう随分と続けているのだろう、玉のような汗を浮かべながら木刀を振り続けている。
――なんて美しい筋肉っ!
シオンは目を輝かせた。
シオンはわりと筋肉フェチである。細マッチョが好きで、ご主人様の筋肉がとても好きだったが、ファイズの美しさはハッキリ言って神々しさすら覚えた。
本来シオンもイケメンや美しい女性に惹かれて当然の年齢ではあるのだ。
「シオン、起きたのかい?」
我を忘れて見ていたら、ファイズに気づかれてしまったらしい。
「あの……、鍛錬ですか?」
「……ああ。腕と脚を失っても、これだけはやめられない」
「……ファイズ様は、冒険者だったのですね」
「ああ。そうだ。俺にはやるべきことがある」
シオンは、腕と脚を失ったファイズがなぜ諦めないのか知りたくなった。
「ファイズ様は、どうして諦めないのですか?」
「ふむ……そうだな。……シオン、何かを失ったとしても、それで人生は終わりではないんだよ。転げ落ちたとしても、再び歩まなければならない」
「一度は到達した域にさえ届かないかもしれないのに、どうしてそうまで頑張れるのですか?」
「そうしなければならないからだ。ある程度は諦め、捨てることも必要だろう。だが、絶対に諦めてはならないものがある。ならば、止まっていてはいけないんだ」
「夢はあきらめなければ必ず叶う、ってことですか?」
「夢か……。それも間違いではない。だけど、少し違う。まだ叶っていない夢など、人は簡単に諦められる。……それとは違い、絶対に諦められないもの、諦めてはならないものとは、既に持っていたものだよ。これは必ず取り戻さねばならない。どうにか開いた穴を埋めなければ、人は自分を失ってしまう。自分の形を失ってしまうんだ。……完全に元どおりでなくてもいい。開いた穴をそのまま開けっ放しにしておくと、そこから人は腐ってゆく」
「……よく、わからないです」
「例えば、飯を食う。仕事をする。日常を守る。約束を守る。……困っている者を助ける。愛する者を守る――そのために鍛錬する。あるいは違う方法を模索する。……自分が守っていた自分への規範。それをもう一度守るために、守ることができるように、歩み続けるんだ」
「…………」
それはシオンの現状と似ていた。失ってしまったご主人様たちとの日常。それを取り戻す為の努力といいつつ、シオンがいま必死になってやっていることは剣の修復である。本来の目的があまりにも達成が難しいために、一時的に目的がすり替わっているのだろう。それにシオンが気づいているのかはわからない。
だが、ファイズの言葉はシオンの胸に突き刺さった。
「今はまだわからなくともよいさ」
シオンの表情を見てファイズは満足したようであった。
シオンは「出かけてきます」と言ってファイズの家をあとにした。夕飯までに帰ってこいと言われ、なんだかおかしくなって笑みがこぼれた。それは久しぶりの笑みであった。
孤児院で子供たちと話しているときもこれほど心が落ち着いたことはなかった。
どうすればよいのかはわからない。だが、何を目指すべきかが定まったからであった。
ファイズの腕さえ治れば、剣の修復は叶う。
今まで完全に暗雲の中であった目標だったが、行き方はわからずとも道は見えたのだ。
道さえ見えればなんとでもなる。なんとでもしてしまえる気がしてきていた。
シオンは、とりあえず孤児院に向かった。昨晩あのような別れ方をしたのだ、無事を報告せねばなるまい。誰にも見つからないように細心の注意を払って行くと、レェリがいた。
「あの後、あいつらに何かされなかった?」
「だ、ダイジョウブです!」
「そ、そう……? でもまた来るかもしれないから気をつけて。ボクのことは何も知らないと言えばいいから。それでも奴らが引かなかったらギルドで呼び出せば来る、と伝えて」
「は、ハイ!」
昨日のリーダーぶろうとする態度から一変しているレェリであった。
怖がられている風ではなく、むしろ羨望のまなざしで見られている気がしてシオンは落ち着かなかったが、まあいいかとあまり気にはしなかった。
孤児院を後にしたシオンは、試練の迷宮へと向かった。何をするのかといえばあたりまえのことだ。
シオンは冒険者である。そして、居候である。タダ飯食らいになるわけにはいかないのである。
試練の迷宮一階層。
ドゥルドとゴーレムが生息している。ドゥルドの肉は売れるし、食材にもなる。稼ぎにはもってこいの階層だろう。
というより、基本的に試練の迷宮のモンスターはゴーレムを基本とした魔法生物系だそうなので、モンスターから取れる素材としての価値をあまり見出せない二階層以降の稼ぎは実は一階層より落ちる。
それに、シオン一人で二階層以降へと行くことが出来るかどうかも定かではなかった。
要するに、皆考えることは同じらしく、一階層は冒険者でかなり賑わっていた。
できるだけ単独で行動しているドゥルドに狙いをつけ、弓で先制攻撃を仕掛ける。矢が命中したドゥルドは怒り狂ってシオンに向かって駆け出す。
シオンは冷静に格闘家へとクラスチェンジし、ドゥルドを待ち受ける。大抵のドゥルドは走り込みからの得意の蹴りを放ってくるので、躱しつつカウンターを入れる。ドゥルドは地に落ち気絶するか目を回すので追撃を入れて仕留める。
シオン一人ではこの戦法が最も良いと思われた。弓以外の武器がないため、近接戦闘は格闘家に頼るしかなく、格闘家の『体力』は使ってしまえばあっという間に消耗してしまうため、多数のドゥルドを一度に相手にするのは得策ではなかったからである。
同じ理由で武器がない状態ではゴーレムの相手はするだけ損という状況であった。
よってシオンは対象をできるだけドゥルド一匹に絞り、『体力』をできるだけ節約しながら狩っていくことにしたのだ。
とはいえ、孤立したドゥルドを見つけるのは中々に難しく、他の冒険者に先を越されることも多々あった。
あまり効率的な狩りが出来たとは言い難い。しかし、それでもシオンは日暮れまで狩り続けた。
「ふう。今日はこのくらいかな。次でラストにしよう」
そういって、シオンは今日の〆に、『体力』を惜しみなく使ってドゥルド数匹を強引に相手にし、勝利をおさめた。
素早いドゥルドを複数を相手にすればシオンでも捌ききることは難しかったのか、シオンは腕にかすり傷を負ってしまっていた。
「ん。ケガしちゃったか……。でもまあこれくらいなら」
本当なら僧侶にクラスチェンジして回復魔法を唱えればよいのだが、なんとなく面倒くさくなったシオンは胸に意識を向けた。
――その瞬間!
「あああああああああ!!」
シオンに電流走る。
天啓。
シオンの脳内いっぱいに一つの単語が溢れる。
――もしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかしてもしかして……。
シオンは弾けるように街に向かって走り出した。




