修行の日々・1
目に眩しい朝の光。
俺は自分の部屋の蒲団の上で、その光をちょっと恨めしく思った。
また朝がこんなに早く来ちゃったよ。さっき寝たと思ったのになあ。
よろよろと起き上がると、体中の痛みに耐えながら服を着替える。
昔からの習慣で、俺は寝間着を着るという事がない。寝る時もYシャツにジーンズを着ているのだが、今はそのまま起きればいいという事はなくなってしまった。
枕元に置いてあるジャージの上下に着替える。
俺が起きた気配を察してか、控えめに部屋のドアがノックされた。
「起きているか、冴羽さん。」
「…ああ。起きてるよ夜行。」
俺が答えながらドアを開けると、夜行が立って待っていた。
これがここに来て二日目からの習慣になっている。
初日に夜行に術を教わった俺は、死ぬほどダメ出しを受けた。
「…そうじゃない。ここをこうやって動かすんだ。」
夜行が俺の指をつまんで動かすのだが、俺はそれが上手くできないらしく何度も直される。しまいには手を合わせて動きを真似させられたのだけど、微妙な動きがどうしても上手くいかなくて。
夜行が呆れたように溜め息を吐いた。
俺は何十回も繰り返した指の動きで、指がつりそうになっている。
「…冴羽さんは基本的に鍛えなくちゃ駄目だな。」
「え?」
俺を見て、夜行が頷いた。
え。いま、頷くところですか?
「筋肉がないから、細かい動きが出来ないんだ。鍛えなくちゃ駄目だろう。」
「…ええ~…。」
こう言っちゃなんだが、俺は運動が嫌いだ。
筋トレなんて自主的にしたことはないし、休みの日は家でゴロゴロしているのが大好きだ。
ネットで小説書いたり読んだりするのが大好きな人間が、アウトドア派な訳ないだろう。
正真正銘、インドア派である。断言する。
「明日の朝から、走るから。」
「えっ!?マジですか!?」
「…マジだよ。」
「うわあ…。」
そんな訳で。
俺は夜行の後を付いて朝も早くからこうやって走っている。
靴とかジャージとか、ミサちゃんがそろえてくれた手前、さぼる事も出来ない。
ましてや、夜行も時間を割いて一緒に走ってくれているのだから。
俺だけ嫌なんて言えないし。
でも。
息が上がる。
足が遅くなる。
前を走っている夜行が、速度を緩めて俺を振り返る。
「…急げ。」
鬼コーチがいる。本当に優しくないぞ、こういう時の君は。
ゼイゼイ言いながら、よろよろと夜行の後をついて行く。
多分五キロぐらいなんだろうけど。夜行は涼しげな顔で立ち止まって、ゴールの公園で待っている。
俺はと言えばもう、さ。
立ち止まった瞬間に足はがくがく震えるし、汗が滝のようにどっと出て来るし。
夜行が差し出した水のペットボトルの蓋さえ開けられない。
俺の手から取って、蓋を開けると口元に差し出してきた。
手も震えているから、そのまま飲ませて貰う。
冷たくておいしい。
半分ぐらい飲んだところで、渡される。
自分で持って、一息に飲み干した。
公園の端の木陰で座って休む。
「冴羽さんは、本当に体力が無さ過ぎだな。」
「…面目ない…。」
ケロッとしている夜行から言われると、本当に立つ瀬がない。
言い訳じゃないけど、普通にジョギングするなら俺だってこんなにダメージは受けないはずで。なにせ夜行のペースが速いんだ。ほぼ全力で走らないと追いつけないくらい。それを五キロって素人には激しすぎるって思いません?
ああ。そよ風でも心地よい。
強くなって来た日差しに目を細めながら、俺は何時も通り分からない事の質問をする。この休憩時間にたわいもない質問をする事が習慣になってしまっていた。
案外、夜行が良く答えてくれるので、俺も結構ぶしつけな質問をしているのだが。
「あのさ、夜行?」
「ん?」
「夜行って給料をもらっているの?」
夜行が座り込んでいる俺を見降ろす。
「…いや、仕事の歩合制だ。」
「え、そうなの?大きい会社に勤めているって聞いたから、てっきりサラリーマンかと思っていたんだけど。」
「そういう術者もいる。」
木にとまっている蝉がじわじわ鳴き出した。
「業界の収入に関しては色々あるのだが、一番多いのは依頼をされて依頼主から報酬を受け取る形だろうな。」
「へえ。その依頼ってどうやって受けるんだ?」
異世界物ならギルドっていう伝手があるだろうけど、現実社会にそんな場所はないだろうし。
「”所属“から受けるのが普通だ。」
「”所属“?」
「ああ。術者たちが集まって作るチーム…みたいなものか。」
「そんなものがあるんだ。」
夜行が小さく肯く。
「術者たちが、自分たちで作っている互助組織とでも言えばいいのかな。」
「へえ。」
「小さいものや大きいものもある。冴羽さんも近い内に入ってもらわないとだけど。」
「おう。」
夜行が木から身体を起す。
それから、立ち上がった俺を見上げて笑った。
「息も整ったみたいだな。じゃあ帰ろうか。」
「……はい。」
もちろん、帰りも走ります。
何時もの事になりつつあるとはいえ、夜行の楽しそうな笑顔が憎く思えた。
リビングで倒れている俺の横を、さっさと歩いて夜行が風呂に向かった。
とてもじゃないけど、帰ってきてすぐになんて入る気にならない。身体が動かないし、熱い湯を浴びたいとも思わない。かといって冷たいシャワーなんて浴びたら、心臓が止まりそうだしなあ。
けれど今日は何だか、夜行に絡んでみたい気持ちになった。
夜行がいる風呂場にだるい足取りで入ってみる。
まだ中でシャワーを使っている音がした。
「入るぞ、夜行。」
そう言って、引き戸を開けたら。
物凄いビックリした顔の夜行がこっちを向いて固まっていた。
うわあ。
レアな表情、有難うございます。
「…入るなら、そう言っておいてくれないか。」
一瞬後には、至極冷静というよりは冷淡な感じで夜行が答えた。
髪から水が滴っているその顔は、怒っていても綺麗だった。
肌も白くて陶磁器のようだ。
なんて、男に思っている俺ってどうよ?駄目だろう?
「あんまり、見ないでくれないか?」
夜行の身体をじろじろと見た結果、注意されてしまった。
ほんのりと顔が赤くなっているのが可愛いのだが、よく考えてみると俺の身体も見られている訳で。タオルを巻いているとはいえ恥ずかしい。
俺が湯船に入ると、夜行は小さく溜め息を吐いてまた頭を洗いだした。
男にしては細いけど、筋肉がついているのが分かる身体で均整がとれている。身体の割にはマア、ご立派なものもちらりと見えて、それもモテる理由なのかなんて、下世話な事を思った。
「…見るなって言っただろう?」
「お、おう。」
男同士なんだから、そんなに恥ずかしがらなくてもいいのになあ。
と言う台詞は、痴漢レベルで眺めまわした俺には言えません。
湯船の中で手足を伸ばす。
筋肉がついてきたのが自分でも分かるぐらい、身体の形が変わってきた。
なにせ朝のランニングの他に午前も午後も筋トレという、俺史上前代未聞のトレーニング人生で、これから目指すのが術者なのかアスリートなのか分からなくなるほどだ。
「そう言えばさあ、夜行?」
シャワーを止めた夜行に話しかける。
「…ん?」
まだ幾分怒っているようだけど、話しかければ答えてくれる辺りが律儀だなあと思う。
「夜行ってどこで体を鍛えてるんだ?」
「…今はもう、自分で管理している。」
「ん?昔はどこかで習っていたのか?」
「ああ。古武道の師匠について学んでいた。」
「へえ。」
古武道かあ。
いかにもなイメージだけど、マーシャルアーツって言われても違和感ないかも。
そう思った俺の近くに夜行が寄ってきて、屈み込んだ。
ん?
んん??
「…少し避けろ。入るから。」
えっ!?
混浴!?
…違うって。落ち着けよ俺。
大人なら三人ぐらいは入れそうな湯船は、俺がよけただけでやすやすと夜行を抱き込む。
お湯に沈んだ夜行が小さく溜め息を吐くと、俺をちらりと見た。
「長く浸かり過ぎると、のぼせるぞ。」
「おう。」
入れ替わりに出て身体を洗う。
ん?何だかデジャブだわ、これ。
夜行を振り返ると、湯船の縁に顎を乗せてぼんやりしている。
その姿を見て、余計に記憶のどこかが疼くように。
夜行が湯船からザバッと勢いよく立ち上がる。
すたすたと俺の後ろを通って、脱衣所に出て行った。
引っかかっていた記憶の何かは、夜行の行動で掻き消えてしまって。
俺は少し不満だった。




